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2014年10月14日 (火)

三好達治の「氷島」否定論について7/「望景詩」を誇大に拡充

(前回からつづく)

 

三好達治の散文は
ワンセンテンスが長くて
うっかりすると主述(もしくは主従、主副)を見失いがちになります。

 

 

「いかんぞ」や「羞爾」や「悽而」などの言葉使いが
いま主語(主格)として語られています。

 

この言葉使いが
詩全体の「歪曲」へと繋がっていく(影響していく)ということが
次のように記述されるのです。

 

 

私のけげんに耐えないのは、
とっさの反射的落想に於て、
ここではかねがね持合せの鋳型のようなもののあること、
それの適用がとっさに反射的に先立つことから、
勢い前後の詩句が、
さらでもいつものこの人流儀の歪曲を、
いっそう何倍増しかにして、
勢いまたそれを気短かに圧縮したのをむやみと蒙るということ、

 

 いかんぞ残生を新たにするも
 冬の蕭條たる墓石の下に
 汝はその認識をも無用とせむ。(国定忠治の墓)
 
というが如き、

 

 虎なり
 曠茫として巨像の如く
 百貨店上屋階の檻に眠れど
 汝はもと機械に非ず
 牙歯もて肉を食い裂くとも
 いかんぞ人間の物理を知らむ。(虎)
 
というが如きありさまに到ることそのことに、
係わっているのである。

 

(※以上「『詩の原理』の原理」より。現代かな遣いに変え、改行を加えてあります。)

 

 

この文の主語は
「いかんぞ」や「羞爾」や「悽而」ですが
隠れています。
明示されていません。

 

前の文にあるのです。

 

 

ここでは改行を加えてありますから
ブレス(息つぎ)は容易ですが
「私のけげんに――」から「「係わっているのである」までが一つの文(センテンス)です。

 

「。」(句点)が一つも付けられていませんから
文末の「係わっているのである。」に辿りつくには
辛抱しなければなりません。

 

 

取りあげられた「国定忠治の墓」「虎」にある「いかんぞ」が
これらの詩を「台無し」(とは言っていませんが)にしていることを例証しています。

 

このあたりは
「『詩の原理』の原理」の「ヤマ」に差し掛かっているでしょうか。
まだ7合目くらいでしょうか。

 

一つの重要な断言が
行われます。

 

 

「望景詩」の残響反響はそれが持越しの転用というだけでなく、ここでは誇大に拡充され、前後近隣に影響を及ぼしているのを見る。ためにたいそう、ぜんたいの気息、“生き”を悪くしているのを見る。
(※引用前同。)

 

 

途中ですが今回はここまで。

 

 

 

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