反撃する朔太郎/「氷島」の詩語について5・ニーチェ詩の強い意志
(前回からつづく)
「『氷島』の詩語について」は
日本語論になり
必然的に漢語・漢字論になります。
◇
元来言えば、僕は漢語と漢字の排斥論者である。なぜかと言えば、明治以後に於けるそれの濫用(特に翻案語の過度な濫造)からして、今の日本語がでたらめに混乱し、耳で聴くだけでは意味の通じないような言葉、文字に書いて読まなければ、語義を解しないような、奇怪の視覚的言語になってしまったからである。こんな日本語は実用上にも不便であるし、詩の韻律美を守るために有害である。この点からして、僕はローマ字論者に7分通り同情している。しかし残りの三分だけ反対するのは、今日の場合として、日本語から漢語と漢字(漢語は漢字で書かないと解らない、「鉄鎖」をローマ字でTessaと書いたのでは、何のことか解らない。)を除いてしまうと、後には促音のない平坦な大和言葉しか残らなくなる。それでは「氷島」の詩やニイチェの詩のように、弾力的な強い意志を持った情想が歌えなくなる。強いて表現しようとすれば、前に言ったプロレタリア自由詩の如く、壮士芝居的口調の政談演説をする外はない、しかしバケツの底を乱暴にひっぱたくのは、芸術上の意味の勇壮美でもなく悲壮美でもない。
◇
ニーチェの詩が
「氷島」の詩を作るときに意識されていたことは
「氷島」の詩篇を読むときのサポートになることでしょう。
◇
漢語・漢字は
同音異義語が多く
中国語の「四声」までは輸入できなかったため(とは書かれていませんが)
耳で聴いただけでは理解できず
字の形を見てはじめて分かるという欠点をもちます。
そのことは
実用的でない上に
詩の韻律美を生みにくいのです。
詩を作りにくいのです。
そのために
プロレタリア詩のような
演説口調の詩が作られがちになる。
そうであるのに
なぜ漢語・漢字を多く使って「氷島」を書いたのか――。
日本語論は
日本文化論、文化の現状に及びます。
◇
つまり僕等の時代の日本人は、日本語そのものに不便を感じているのである。僕はかつてこのことを或る親戚の老人に話したら、日本人たる者が、日本語に不便を感ずるなんて馬鹿な話はない。そんなこと考えるのは、お前の頭が異人かぶれして居るからだと叱られたが、後で考えて全くだと思った。つまり僕等の時代の日本人は、子供の時から西洋風の教育を受け、半ば西洋化した文化環境に育った為、文学上の構成でも、言葉の発音の韻律上でも、依然として昔ながらの日本語である為に、僕等の感情や思想を表現する時、そこに根本的な矛盾と困惑とが生ずるのである。例えば喉が渇いた時、僕等は「水が欲しい」と言うよりは、「欲しい、水が」と言いたくなるようなものである。「欲しい」というのは、エゴの感情の露骨な主張であり、これが支那語や欧州語では、最初に強く叫ばれるのである。そして僕等の時代の日本人が、この外国流のエゴイズムと表情主義とに深くかぶれて居るのである。
◇
僕らの時代は
西洋化した文化で育ったのにもかかわらず
日本語は昔ながらのものであるから
矛盾しているのです。
「水が欲しい」と言おうとして
「欲しい、水が」と言いたくなるという矛盾を抱えているのです。
このように支那語や欧州語にかぶれてしまっているのが現状なのです。
◇
こうした現状から推察して、日本語の遠い未来は、文体上にも音韻上にも、よほど外国語に近く変化して来ると思う。しかし今日火急の場合としては、漢語で間に合わして置く外にない。前に言う通り、支那の言葉は本質的に西洋の言葉に似て居るのである。文法もほぼ同じであるし、韻律の構成もほぼ似ている。僕は今度「氷島」の詩を書いて見て、漢語と独逸語とがよく似て居るのに驚いた。ニイチェは独逸語を悪罵して、軍隊の号令語だと言って居るが、その意志的で強い響を持ってる所は、実際漢語とよく似て居る。それ故に日本の軍隊では、今日でも専ら漢語を術語用とし、村を村落と言ったり、橋を橋梁と言ったり、家を家屋と言ったりして居る。「はし」と言うよりは「キョーリョー」と言う方が、拗音の関係で強く響き、男性的の軍隊気風に合うからである。
◇
遠い未来には、日本語は外国語と同じように変化していくであろう。
しかし今は漢語で間に合わせるしかない。
「はし(橋)」というよりも
「キョウリョー(橋梁)」と言う方が
拗音の効果があって強い響きとなり
男性的であるために
日本の軍隊では漢語を正規の言葉として使っている。
(筑摩書房「萩原朔太郎全集」第10巻より。原作の歴史的かな遣い・旧漢字を現代かな遣い・新漢字に改めました。改行(行空き)も加えました。編者。)
◇
強い響き。
男性的。
軍隊用語に特徴的な漢語の意味を説いて
漢語(調)で「氷島」を書いた理由の一つとするのです。
ニーチェが唾棄(だき)したドイツ語であるにもかかわらず
それで詩を書いたことや
ドイツ語と似ている漢語(調)が軍隊の術語とされていることに
朔太郎は目を向けていました。
◇
今回はここまで。
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