(前回からつづく)
「散文詩自註」をずっと読んできて
「虚無の歌」に来ると、
しかし私は特異な文体を工夫して、不満足ながら多少の韻文性――すくなくとも普通の散文に比して、幾分かの音楽的抑揚のある文章――を書いて見た。それがこの書中の「虚無の歌」「臥床の中で」「海」「墓」「郵便局」「パノラマ館にて」等の数篇である。厳重に言えば、此等の若干の物だけが「散文詩」であり、他は未だ「詩」というべきものでないかも知れない。
――とあるのを読んでは
このうちで読まなかった
「臥床の中で」
「海」
「墓」
「パノラマ館にて」を読まずにいられなくなります。
(※「臥床の中で」は、全集が底本とした創元社版に収録されていないために青空文庫にも収録されていません。読みたい方は、国会図書館のサービス「近代デジタルライブラリー」へアクセスしてください。)
◇
49、 海
海を越えて、人々は向うに「ある」ことを信じている。島が、陸が、新世界が。しかしながら海は、一の広茫とした眺めにすぎない。無限に、つかみどころがなく、単調で飽きっぽい景色を見る。
海の印象から、人々は早い疲労を感じてしまう。浪が引き、また寄せてくる反復から、人生の退屈な日課を思い出す。そして日向の砂丘に寝ころびながら、海を見ている心の隅に、ある空漠たる、不満の苛だたしさを感じてくる。
海は、人生の疲労を反映する。希望や、空想や、旅情やが、浪を越えて行くのではなく、空間の無限における地平線の切断から、限りなく単調になり、想像の棲むべき山影を消してしまう。海には空想のひだがなく、見渡す限り、平板で、白昼(まひる)の太陽が及ぶ限り、その「現実」を照らしている。海を見る心は空漠として味気がない。しかしながら物憂き悲哀が、ふだんの浪音のように迫ってくる。
海を越えて、人々は向うにあることを信じている。島が、陸が、新世界が。けれども、ああ! もし海に来て見れば、海は我々の疲労を反映する。過去の長き、厭わしき、無意味な生活の旅の疲れが、一時に漠然と現われてくる。人々は“げっそり”とし、ものうくなり、空虚なさびしい心を感じて、磯草の枯れる砂山の上にくずれてしまう。
人々は熱情から――恋や、旅情や、ローマンスから――しばしば海へあこがれてくる。いかにひろびろとした、自由な明るい印象が、人々の眼をひろくすることぞ! しかしながらただ一瞬。そして夕方の疲労から、にはかに老衰してかえって行く。
海の巨大な平面が、かく人の観念を正誤する。
「自註」を読んでみましょう。
49、海 海の憂鬱さは、無限に単調に繰返される浪の波動の、目的性のない律動運動を見ることにある。おそらくそれは何億万年の昔から、地球の劫初と共に始まり、不断に休みなく繰返されて居るのであろう。そして他のあらゆる自然現象と共に、目的性のない週期運動を反覆している。それには始もなく終もなく、何の意味もなく目的もない。それからして我々は、不断に生れて不断に死に、何の意味もなく目的もなく、永久に新陳代謝をする有機体の生活を考えるのである。あらゆる地上の生物は、海の律動する浪と同じく、宇宙の方則する因果律によって、盲目的な意志の衝動で動かされてる。人が自ら欲情すると思うこと、意志すると思うことは、主観の果敢ない幻覚にすぎない。有機体の生命本能によって、衝動のままに行為している、細菌や虫ケラ共の物理学的な生活と、我々人間共の理性的な生活とは、少し離れた距離から見れば、蚯蚓(みみず)と脊椎動物との生態に於ける、僅かばかりの相違にすぎない。
すべての生命は、何の目的もなく意味もない、意志の衝動によって盲目的に行為している。
海の印象が、かくの如く我々に教えるのである。
それからして人々は、生きることに疲労を感じ、人生の単調な日課に倦怠して、早く老いたニヒリストになってしまう。だがそれにもかかわらず人々は、尚海の向うに、海を越えて、何かの意味、何かの目的が有ることを信じている。そして多くの詩人たちが、彼等のロマンチックな空想から、無数に美しい海の詩を書き、人生の讃美歌を書いてるのである。
◇
45、 墓
これは墓である。粛條たる風雨の中で、かなしく黙しながら、孤独に、永遠の土塊が存在している。
何がこの下に、墓の下にあるのだろう。我々はそれを考え得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られている。そうして僅かばかりの物質――人骨や、歯や、瓦や――が、蟾蜍(ひきがえる)と一緒に同棲して居る。そこには何もない。何物の生命も、意識も、名誉も。またその名誉について感じ得るであろう存在もない。
尚おしかしながら我々は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだろう。我々はいつでも、死後の「無」について信じている。何物も残りはしない。我々の肉体は解体して、他の物質に変って行く。思想も、神経も、感情も、そしてこの自我の意識する本体すらも、空無の中に消えてしまう。どうして今日の常識が、あの古風な迷信――死後の生活――を信じよう。我々は死後を考え、いつも風のように哄笑するのみ!
しかしながら尚お、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだろう。我々は不運な芸術家で、あらゆる逆境に忍んで居る。我々は孤独に耐えて、ただ後世にまで残さるべき、死後の名誉を考えている。ただそれのみを考えている。けれどもああ、人が墓場の中に葬られて、どうして自分を意識し得るか。我々の一切は終ってしまう。後世になってみれば、墓場の上に花輪を捧げ、数万の人が自分の名作を讃えるだろう。ああしかし! だれがその時墓場の中で、自分の名誉を意識し得るか?
我々は生きねばならない。死後にも尚お且つ、永遠に墓場の中で、“生きて居なければならない”のだ。
粛條たる風雨の中で、さびしく永遠に黙しながら、無意味の土塊が実在して居る。何がこの下に、墓の下にあるだろう。我々はそれを知らない。これは墓である! 墓である!
「自註」は
45、 墓 死とは何だろうか? 自我の滅亡である。では自我(エゴ)とは何だろうか。そもそもまた、意識する自我(エゴ)の本体は何だろうか?
デカルトはこれを思惟の実体と言い、カントは認識の主辞だと言い、ベルグソンは記憶の純粹持続だと言い、ショペンハウエルと仏教とは、意志の錯覚によって生ずるところの、無明と煩悩の因縁(いんねん)だと言う。そして尚近代の新しい心理学者は、自我の本体を意識の温覚感点だと言う。諸説々。しかしながら、たとえそれが虚妄の幻覚であるとしても、デカルトの思惟したことは誤ってない。なぜなら「我れが有る」ということほど、主観的に確かな信念はないからである。
だがかかる意識の主体が、肉体の亡びてしまった死後に於ても、尚且つ「不死の蛸」のように、宇宙のどこかで生存するかという疑問は、もはや主観の信念で解答されない。おそらく我々は、少しばかりの骨片と化し、瓦や蟾蜍と一所に、墓場の下に棲むであろう。そこにはもはや何物もない。知覚も、感情も、意志も、悟性も、すべての意識が消滅して、土塊と共に、永遠の無に帰するであろう。
ああしかし……にもかかわらず、尚且つ人間の妄執は、その蕭條たる墓石の下で、永遠に“生きて居たい”と思うのである。とりわけ不運な芸術家等――後世の名誉と報酬を予想せずには、生きて居られなかったような人々は、死後にもその墓石の下で、眼を見ひらき、永遠に生きて居なければならないのである。どんな高僧知識の説教も、はたまたどんな科学や哲学の実証も、かかる妄執の鬼に取り憑かれた、怨霊の人を調伏することはできないだろう。
◇
15、 パノラマ館にて
あおげば高い蒼空があり、遠く地平に穹窿は連なっている。見渡す限りの平野のかなた、仄かに遠い山脈の雪が光って、地平に低く夢のような雲が浮んでいる。ああこの自然をながれゆく静かな情緒をかんず。遠く眺望の消えて尽きるところは雲か山か。私の幻想は涙ぐましく、遥かな遥かな風景の涯を追うて夢にさまよう。
聴け、あの悲しげなオルゴルはどこに起るか。忘れた世紀の夢をよび起す、あの古めかしい音楽の音色はどこに。さびしく、かなしく、物あわれに。ああマルセーユ、マルセーユ、マルセーユ……。どこにまた遠く、遠方からの喇叭のように、錆ある朗らかのベースは鳴りわたる。げにかの物倦げなベースは夢を語る。
「ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし。時は西暦1815年。所はワータルローの平原。あちらに遠く見える一葦の水はマース河。こなた一円の人家は仏蘭西の村落にございます。史をひもとけば6月18日。仏蘭西の皇帝ナポレオン1世は、この所にて英普連合軍と最後の決戦をいたされました。こなた一帯は仏蘭西軍の砲兵陣地、あれなる小高き丘に立てる馬上の人は、これぞ即ち蓋世の英雄ナポレオン・ボナパルト。その側に立てるはネー將軍、ナポレオン麾下の名将にして、鬼と呼ばれた人でございます。あれなる平野の大軍は英将ウェリントンの一隊。こちらの麦畑に累々と倒れて居ますのは、皆之れ仏蘭西兵の死骸でございます。無惨やあまたの砲車は敵弾に撃ち砕かれ、鮮血あたりの草を染めるありさま。ああ悲風粛々たるかなワータルロー。さすが千古の英雄ナポレオン一世も、この戦いの敗軍によりまして、遠くセントヘレナの孤島に幽囚の身となりました。こちらをご覧なさい。三角帽に白十字の襷をかけ、あれなる間道を突撃する一隊はナポレオンの近衛兵。その側面を射撃せるはイギリスの遊撃隊でございます。あなたに遥か遠く山脈の連なるところ、煙の如く砂塵を蹴立てて来る軍馬の一隊は、これぞ即ち普魯西の援軍にして、ブリツヘル将軍の率いるものでございます。時は西暦1815年、所は仏蘭西の国境ワータルロー。――ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし」
明るい日光の野景の涯を、わびしい砲煙の白くただよう。静かな白日の夢の中で、幻聴の砲聲は空に轟ろく。いずこぞ、いずこぞ、かなしいオルゴルの音の地下にきこゆる。あわれこの古びたパノラマ館! 幼ない日の遠き追憶のパノラマ館! かしこに時劫の昔はただよいいる。ああかの暗い隧路の向うに、天幕(てんと)の青い幕の影に、いつもさびしい光線のただよいいる。
「自註」は
15、 パノラマ館にて 幼年時代の追懐詩である。明治何年頃か覚えないが、私のごく幼ない頃、上野にパノラマ館があった。今の科学博物館がある近所で、その高い屋根の上には、赤地に白く PANORAMA と書いた旗が、葉桜の陰に翩翻(へんぽん)としていた。私は此所で、南北戦争とワータルローのパノラマを見た。狭く暗く、トンネルのようになってる梯子段を登って行くと、急に明るい広闊とした望楼に出た。不思議なことには、そのパノラマ館の家の中に、戸外で見ると同じような青空が、無限の穹窿となって廣がってるのだ。私は子供の驚異から、確かに魔法の国へ来たと思った。
見渡す限り、現実の真の自然がそこにあった。野もあれば、畑もあるし、森もあれば、農家もあった。そして穹窿の尽きる涯には、一抹模糊たる地平線が浮び、その遠い青空には、夢のような雲が白く日に輝いていた。すべて此等の物は、実には油絵に描かれた景色であった。しかしその館の構造が、光学によって巧みに光線を利用してるので、見る人の錯覚から、不思議に実景としか思われないのである。その上に絵は、特殊のパノラマ的手法によって、透視画法を極度に效果的に利用して描かれていた。ただ望楼のすぐ近い下、観者の眼にごく間近な部分だけは、実物の家屋や樹木を使用していた。だがその実物と絵との“つなぎ”が、いかにしても判別できないように、光学によって巧みに工夫されていた。後にその構造を聞いてから、私は子供の熱心な好奇心で、実物と絵との境界を、どうにかして発見しようとして熱中した。そして遂に、口惜しく絶望するばかりであった。
館全体の構造は、今の国技館などのように図形になって居るので、中心の望楼に立って眺望すれば、四方の全景が一望の下に入るわけである。そこには一人の説明者が居て、画面のあちこちを指さしながら、絶えず抑揚のある声で語っていた。その説明の声に混って、不断にまたオルゴールの音が聴えていた。それはおそらく、館の何所かで鳴らしているのであろう。少しも騒がしくなく、静かな夢みるような音の響で、絶えず子守唄のように流れていた。(その頃は、まだ蓄音機が渡来してなかった。それでこうした音楽の場合、たいてい自鳴機のオルゴールを用いた。)
パノラマ館の印象は、奇妙に物静かなものであった。それはおそらく画面に描かれた風景が、その動体のままの位地で、永久に静止していることから、心象的に感じられるヴイジョンであろう。馬上に戦況を見ている将軍も、銃をそろえて突撃している兵士たちも、その活動の姿勢のままで、岩に刻まれた人のように、永久に静止しているのである。それは環境の印象が、さながら現実を生写しにして、あだかも実の世界にいるような錯覚をあたえることから、不思議に矛盾した奇異の思いを感じさせ、宇宙に太陽が出来ない以前の、劫初の静寂を思わせるのである。特に大砲や火薬の煙が、永久に消え去ることなく、その同じ形のままで、遠い空に夢の如く浮んでいるのは、寂しくもまた悲しい限りの思いであった。その上にもまた、特殊な館の構造から、入口の梯子を昇降する人の足音が、周囲の壁に反響して、遠雷を聴くように出来てるので、あたかも画面の中の大砲が、遠くで鳴ってるように聴えるのである。
だがパノラマ館に入った人が、何人も決して忘られないのは、油絵具で描いた空の青色である。それが現実の世界に穹窿している、現実の青空であることを、初めに人々が錯覚することから、その油絵具のワニスの匂いと、非現実的に美しい青色とが、この世の外の海市のように、阿片の夢に見る空のように、妖しい夢魔の幻覚を呼び起すのである。
(青空文庫より。「旧かな・旧漢字」を「新かな・新漢字」に改めたほか、改行・行空きを加えました。漢数字は適宜、洋数字に改め、傍点は“ “で示しました。タイトルの数字は便宜的に付けたもので、原作にはありません。編者。)
◇
朔太郎のいう散文詩は
朗読してなめらかな、口に乗りやすい
「音感」があるもののようです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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