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2014年12月

2014年12月31日 (水)

「AULD LANG SYNE!(蛍の光)」と「除夜の鐘」

 

2014年の大晦日という「時」に感じて

 

締めくくりの詩を二つ読んでおきましょう。

 

 

 

今年は萩原朔太郎の世界へ少し踏み込んだ流れで

 

まずは散文詩「AULD LANG SYNE!」を読んで

 

新しい年への橋渡しを試みましょう。

 

 

 

 

 

 

AULD LANG SYNE

 

 波止場に於て、今や出帆しようとする船の上から、彼の合図をする人に注意せよ。きけ、どんな

 

悦ばしい告別が、どんな気の利いた挨拶(あいさつ)が、彼の見送りの人々にまで語られるか。

 

今や一つの精神は、海を越えて軟風の沖へ出帆する。されば健在であれ、親しき、懐かしき、また

 

敵意ある、敵意なき、正に私から“忘られようとしている”知己の人々よ。私は遠く行き、もはや君ら

 

と何の煩わしい交渉もないであろう。そして君らはまた、正に君らの陸地から立去ろうとする帆影

 

にまで、あのほっとした気軽さの平和――すべての見送人が感じ得るところの、あの気の軽々とし

 

た幸福――を感ずるであろう。

 

 

 

もはやそこには、何の鬱陶しい天気もなく、来るべき航海日和の、いかに晴々として麗らかに知覚

 

せらるることぞ。おお今、碇をあげよ水夫ども。おーるぼーと。……聴け! “あの”音楽は起る。

 

見送る人、見送られる人の感情にまで、さばかり涙ぐましい「忘却の悦び」を感じさせるところの、

 

あの古風なるスコットランドの旋律は!

 

 

 

Should auld acquaintance be forgot, and never
brought to mind

 

Should auld acquaintance be forgot, and days
of auld lang syne

 

 

 

(青空文庫より。「旧かな・旧漢字」を「新かな・新漢字」に改めたほか、改行・行空きを

 

加えました。傍点は“ “で示しました。編者。)

 

 

 

 

 

 

末尾に付録として置かれた「散文詩自註」も読んでおきましょう。

 

 

 

 

 

 

AULD LANG SYNE!   人は新しく生きるために、絶えず告別せねばならない。すべての古き親し

 

き知己から、環境から、思想から、習慣から。

 

 

 

 告別することの悦びは、過去を忘却することの悦びである。「永久に忘れないで」と、波止場に見

 

送る人々は言う。「永久に忘れはしない」と、甲板(デッキ)に見送られる人々が言う。だが両方とも、

 

意識の潜在する心の影では、忘却されることの悦びを知っているのだ。それ故にこそ、あの Auld

 

lang syne(蛍の光)の旋律が、古き事物や旧知に対する告別の悲しみを奏しないで、逆にその麗

 

らかな船出に於ける、忘却の悦びを奏するのである。

 

 

 

 

 

 

Auld Lang Syneは英語の「Old Long Since」を表わすスコットランド語。

 

日本では「オールド・ラング・ザイン」または「オールド・ラング・サイン」と発音され浸透しています。

 

 

 

 

 

 

Should auld acquaintance be forgot, and never
brought to mind

 

Should auld acquaintance be forgot, and days
of auld lang syne

 

――と朔太郎が引用したのは冒頭部。

 

 

 

Acquaintanceは、友人・知己のことですから

 

AuldOldがついて「古い友だち」「旧知」の意味になります。

 

 

 

be forgotは受身形で「忘れられる」。

 

 

 

 

 

 

小学校唱歌「蛍の光」を

 

朔太郎もよく聴いたり歌ったりもしたことがあるのでしょうが

 

軍歌調の「国」を歌った翻訳ではなく

 

あくまで原詩の「告別」に焦点を当てた散文詩に仕立てています。

 

 

 

 

 

 

「忘れないで!」「忘れるものか!」と

 

送る人も送られる人も口々に言う告別の風景の

 

「意識の潜在する心の影」(意識下)には

 

忘却の悦びが存在するのだ。

 

 

 

人は古い友人と別れることを通じて

 

新しい生活に踏み出す

 

 

 

何度も何度も

 

一生のうちで別れを繰り返す

 

 

 

別れ(告別)のない生は

 

古いままであり続ける

 

 

 

別れのない「時」などはなく

 

毎年毎年、大晦日はやってくるではないか。

 

 

 

告別は

 

過去を忘却する悦びをもたらすのである

 

――というようなことを

 

朔太郎は歌ったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

意図して人を励ますような詩ではないようです。

 

朔太郎自身が深い暗鬱の中にあった「時」に

 

この詩は作られたようです。

 

 

 

光明は

 

告別の向うにかすかに見えるかのようです。

 

 

 

 

 

 

中原中也の「除夜の鐘」も

 

似たような「時」を歌っているようです。

 

 

 

どこがどのように似ているのかという問いに

 

答えることはできませんが

 

できたとしてもしないほうがよいはずの

 

同じ「時」が歌われているようです。

 

 

 

 

 

 

除夜の鐘

 

 

 

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

 

千万年も、古びた夜の空気を顫(ふる)わし、

 

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

 

 

 

それは寺院の森の霧(きら)った空……

 

そのあたりで鳴って、そしてそこから響いて来る。

 

それは寺院の森の霧った空……

 

 

 

その時子供は父母の膝下(ひざもと)で蕎麦(そば)を食うべ、

 

その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出、

 

その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ。

 

 

 

その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出。

 

その時囚人は、どんな心持だろう、どんな心持だろう、

 

その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出。

 

 

 

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

 

千万年も、古びた夜の空気を顫わし、

 

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

 

 

 

(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。「新かな・新漢字」に変えてあります。編者。)

 

 

 

 

 

 

2014年12月26日 (金)

茨木のり子の「哀しみ」続/「清冽」(後藤正治著)を読んで

(前回からつづく)

 

茨木のり子自身の書いたものでは

「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)をよく開くくらいで

「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など幾つかの詩を知っているものの

詩集の一つも読んでいないでこれを書いていることをまずはお断りして

「清冽」(後藤正治著)の感想ということで

もう少し茨木のり子の晩年の哀しみを

同書とともに追体験してみます。

 

 

前回引いた「最晩年」のほかに

「はたちが敗戦」というタイトルのエッセイがあって

これはのり子52歳の時の著作です。

 

1975年5月に夫・三浦安信を亡くし

6月に金子光晴の死に遭い

東京・東伏見の居宅で一人暮らしするようになって

3年が経過していました。

 

 

後藤正治のノンフィクションは

第8章「六月」(1960年の安保の年、国会包囲デモで樺美智子が死んだ日を意味する)

第9章「一億二心」(金子光晴の詩のタイトル。戦時「一億一心」体制へのアンチテーゼ)

第10章「歳月」(生前発表しなかった夫・三浦安信への思いを歌った作品集のタイトル)

第11章「ハングルへの旅」(韓国語の学習の軌跡をたどった著作のタイトル)

第12章「品格」(「夕鶴」の作者・木下順二が書いたエッセイのタイトルにちなむ)

――という章題で続く構成の中で

茨木のり子の晩年に照明をあてていきます。

 

骨格が時系列に沿いながらも

詩人が親しく交友した人々への取材を

著作や発言とともに組み立て

のり子という詩人の全体像を浮き彫りにします。

 

ノンフィクションという手法の

事実という断片を紡(つむ)いで

「物語」を抽出するその手さばきは立体的であり巧みであり

茨木のり子という詩人の呼吸する世界に

グイグイと読者を引きずりこんでいきます。

 

 

第12章「品格」の結び近くに

「はたちが敗戦」からは

次のように引用されます。

 

 

今まであまりにすんなりと来てしまった人生の罰か、現在たった一人になってしまって、「知命」と言われる年になって経済的にも心情的にも「女の自立」を試される羽目に立ち至っているのは、なんともいろいろと「おくて」なことなのであった。


そして皮肉にも、戦後あれほど論議されながら一向に腑に落ちなかった<自由>の意味が、やっと今、からだで解るようになった。なんということはない「寂寥だけが道づれ」の日々が自由ということだった。


この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている


 

後藤の引用は途中なのか

末尾に句点がない文になっていますが

のり子の52歳の抱負を記し

 

こう記してから二十数年、茨木は「寂寥」を道づれにしつつ、決して崩れることなく生き抜いた。

――というコメントが加えられています。

 

 

「女の自立」と自由と寂寥と――。

 

戦後の焼け野原(に立ったに違いない)で

20歳になろうとしていた一人の軍国少女が

思い描いていた自由そして自立のイメージは

夫の死後の30数年間に微動しなかったはずがなかったことが偲ばれます。

 

詩人に思いがけなくも「寂寥」が忍び込んできたのは

25年間ともに暮らしてきた夫の死がきっかけでした。

その1か月後の尊敬する先輩詩人の死でした。


寂寥が自立そして自由についてくるものであるとは

「はたち」には見えなかったものだったに違いありませんが

のり子はここでも健気(けなげ)であり

負けん気であり

足元から這いあがってくるようなその「寂寥」を受け止めようとしています。


寂寥といったところでそれは弱気の表れでありそうですが

まっすぐに受け止めようとしているところに

茨木のり子がいます。



「寂寥」を自由の道づれにしようと歌った女性の詩人は

これまでどれほど存在したでしょうか。

 

 

茨木のり子は2006年2月17日に亡くなりました。


この間ずっと、この寂寥とともにある自由を生きたことを思うとき

詩人の哀しみに少しだけ触れたような心持ちがします。

 

 

今回はこれまで。

 

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2014年12月23日 (火)

茨木のり子の「哀しみ」/「清冽」(後藤正治著)を読んで

遅ればせながら、

「清冽 詩人茨木のり子の肖像」(後藤正治著、中公文庫)を読みました。

 

文庫になったから読んだようなもので

何年か前に単行本が発行されたときには

気になりつつも

買わず読まずにいたものが

身近に感じられて読む気になったものでした。

 

文庫化されるというのは

その本の評価が安定を示しているという安心感もありますが

より多くの読者の目にさらされて

その本がさらに広く知られるということですから

内容が理解される深さを欠くというようなことが起こるのかも知れませんが

そのことによって鍛えられて「篩(ふるい)」にかけられるということでもあって

だからこそ読む意欲が湧いてくる

――というのがこの頃の読書の動機(モチベーション)になりました。

 

「文学」や「詩」の専門家じゃあるまいし

ただの読者の目で本は読まれてOKOK。

 

単刊発行本を買い求め

読み急ぐ読書好きでは

もはやなくなって久しいことに

いまさらながらに気づきます。

 

 

「詩」はいつ読まれてもよいものですから

「遅ればせ」に読んでいっこうに変ではなく

2010年初版のこの「清冽」を

いま中公文庫で読めたことを

嬉しく感じているというわけです。

 

といってもこれは

「詩人の肖像」であって

詩そのものではありませんが。

 

2日間で

一気に読み終えてしまいました。

 

 

初めて知った色々なことがありましたが

特に茨木のり子の晩年を追ったくだりが

心を撃ち

いまも響いているのは

自分が齢を重ねたことからくるものでありましょうが

茨木がまだ晩年とはいえない歳に

夫・三浦安信と詩人・金子光晴とが相次いで亡くなるといった悲しみがあり

このときのことを回想している茨木の文がありまして

それが「詩」からくることなのだと思い直して

ここにその「詩」を紹介してみたくなりました。

 

といっても

それは詩になったものではなく

散文で表わされたものです。

 

「清冽」に著者の後藤正治が引用している

エッセイのわずかな文です。

 

「最晩年」というその文は

「現代詩手帖」1977年9月号に掲載されたものですが

後藤がその結びの部分を引いていまして

「一億二心」という第9章を閉じる結びでもあります。

(※「最晩年」はちくま文庫「茨木のり子集 言の葉2」に収録されているようです。)

 

この章を初めから読んできて

この本を初めから読んできて

ここでも茨木のり子という詩人を初めて知る経験をするので

できれば初めからこの本「清冽」を読むのがベストですが

ここではその一部であることは致し方なく

紹介します。

 

 

金子さんの笑顔を私は愛していた。性格には仙と俗とが入りまじり、その配分は絶妙だっ

たが、あの笑顔は仙そのものだった。沈思の表情を捉えた写真には傑作が幾つかあるが、

笑顔のあの一瞬の美しさを捉えきったものにはまだお目にかかっていない。レンズでは捉

えきれない何かがあったように思う。


夫の笑顔も私は好きだった。五月末と六月末とに、二つながらに消え失せてしまい、もう

二度と接することができないという思いは、足元のぐらつくほどの哀しみである。


 

文庫本で6行余りの行数ですが

夫を失った哀しみが

詩人・金子光晴の死とともに

ここではさりげなく語られています。

 

 

今回はここまで。



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2014年12月19日 (金)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺8/「青猫以後」の詩「猫の死骸」

(前回からつづく)

 

 

 

「青猫・以後」の最後に

 

那珂太郎が読むのは「猫の死骸」です。

 

 

 

 

 

 

猫の死骸

 

 

 

海綿のような景色のなかで

 

しっとりと水気をふくんでいる。

 

どこにも人畜のすがたは見えず

 

へんにかなしげなる水車が泣いているようす。

 

そうして朦朧とした柳のかげから

 

やさしい待びとのすがたが見えるよ。

 

うすい肩かけにからだをつつみ

 

びれいな瓦斯体の衣裳をひきずり

 

しずかに心霊のようにさまよっている。

 

ああ浦 さびしい女!

 

「あなた いつも遅いのね」

 

ぼくらは過去もない未来もない

 

そうして“現実のもの”から消えてしまった。……

 

浦!

 

このへんてこに見える景色のなかへ

 

泥猫の死骸を埋めておやりよ。

 

 

 

(新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変え、適宜、洋数字に変えました。傍点は“ ”で示し

 

ました。編者。)

 

 

 

 

 

 

この恋人は

 

あらゆる即物的な官能性を剥落し

 

ほとんど肉体をなくしてしまった

 

「びれいな瓦斯体の衣裳をひきずり

 

しずかに心霊のようにさまよ」う――。

 

 

 

那珂太郎はこのように記して

 

「猫の死骸」を案内しはじめますが

 

それは詩人・金子光晴がこの詩を

 

「発想から表現すべてがもうマンネリズムの兆候だ」と評したことへの

 

反論の意図も込められています。

 

 

 

 

 

 

那珂は

 

この詩「猫の死骸」が

 

朔太郎が作った恋愛詩の究極点を示すものと絶賛するのです。

 

 

 

どのように?――。

 

 

 

 

 

 

「猫の死骸」が歌っているのは

 

生から超絶しようとする詩人の意識に

 

なおも残っている「不思議な情欲のビジョン」なのである。

 

 

 

「どこにも人畜のすがたは見え」ない虚無的な空間に

 

なおも否定しきれないで存在する「水車」が

 

「へんにかなしげ」に「泣いている」

 

 

 

「しっとりと水気にふくらんでいる」

 

「海綿のような景色」というような表現が

 

金子光晴の言うような「マンネリズム」であるわけがなく

 

これ以上戦慄的な、虚無化した世界の形象化(造形)は不可能で

 

その中を

 

虚無そのものであるような恋人のビジョンがさまようのである

 

 

 

ここには時間すらもない。

 

 

 

ぼくらは過去もない未来もない

 

そうして現実のものから消えてしまった――。

 

 

 

 

 

 

これらの詩行は

 

完全であればあるほど

 

パラフレーズ(言い換え)することはできない

 

究極の詩語であることを伝えようとします。

 

 

 

 

 

 

そうしてこの詩の末尾2行、

 

このへんてこに見える景色のなかへ

 

泥猫の死骸を埋めておやりよ。

 

――にいたり、

 

作者は、ここでおのれの過去の生のいっさい

 

それはこれまで構築してきた「青猫」の世界すべてを

 

「泥猫の死骸」のイメージにして

 

葬りさろうとする

 

 

 

これは「青猫」の世界への別離宣言なのである

 

――と読むのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

青猫から泥猫へ。

 

 

 

こうして結論にいたります。

 

 

 

 

 

 

「猫の死骸」は

 

先に読んだ「仏陀」とともに

 

「青猫」の完結を示すもの。

 

 

 

完結とはいえ哲学は終わっても

 

生は終わるわけにはいかないから

 

詩人はこれからも詩を書かざるを得ない。

 

 

 

その後も詩人は詩を書いたのだが

 

その詩は真のビジョンの創造力を失う

 

 

 

やむを得ぬ必然によって

 

発想上、現実世界へのなんらかの復帰を余儀なくされ

 

己の宿命を繰り返し反芻するほかになかった

 

 

 

――と結びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詩が究極点に達したのですから

 

次に来るものは下降(のイメージ)でしかないことを

 

那珂の読みは予感させることになります。

 

 

 

 

 

 

こうして「郷土望景詩」の世界が目前にあります。

 

「氷島」の世界も見えてきます。

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

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2014年12月18日 (木)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺7/「青猫以後」の詩「大砲を撃つ」

(前回からつづく)

 

 

 

「青猫・以後」がどんな詩群であるか

 

那珂太郎の鑑賞は

 

大詰めにさしかかりました。

 

 

 

次には

 

「大砲を撃つ」が読まれます。

 

 

 

 

 

 

大砲を撃つ

 

 

 

わたしはびらびらした外套をきて

 

草むらの中から大砲を曳きだしている。

 

なにを撃とうというでもない

 

わたしのはらわたのなかに火薬をつめ

 

ひきがえるのようにむっくりとふくれていよう。

 

そうしてほら貝みたいな瞳(め)だまをひらき

 

まっ青な顔をして

 

こうばうたる海や陸地をながめているのさ。

 

この辺の奴らにつきあいもなく

 

どうせろくでもない 貝肉の化物ぐらいに見えるだろうよ。

 

のらくら息子のわたしの部屋には

 

春さきののどかな光もささず

 

陰鬱な寝床のなかにごろごろとねころんでいる。

 

わたしを罵りわらう世間のこえこえ

 

だれひとりきて慰さめてくれるものもなく

 

やさしい婦人(おんな)のうたごえもきこえはしない。

 

それゆえわたしの瞳(め)玉はますますひらいて

 

へんにとうめいなる硝子玉になってしまった。

 

なにを食べようというでもない

 

妄想のはらわたに火薬をつめこみ

 

さびしい野原に古ぼけた大砲を曳きずりだして

 

どおぼん! どおぼん! とうっていようよ。

 

 

 

(新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

 

 

 

 

なにを撃とうというでもない

 

なにを食べようというでもない

 

 

 

詩のはじまりとおしまいの方にある

 

目的も手段もないこの状態。

 

 

 

この世になすべき事を一切なくしてしまった

 

虚無と倦怠の情。

 

 

 

それがユーモラスなまでの幻想にデフォルメされている

 

――と那珂は読みます。

 

 

 

 

 

 

「倦怠」とは――。

 

 

 

倦怠とは、生そのものの無動機性、無目的性からくるところの、解放不可能の情緒である。

 

 

 

なすべき事がないために

 

解放することもできない情緒は

 

「はらわたのなかに火薬をつめ

 

ひきがえるのようにむっくりとふくれて」いるだけである、と那珂は解説します。

 

 

 

 

 

 

中也の「倦怠(けだい)」と

 

まるで異なる「倦怠(アンニュイ)」のようでいて

 

考えてみれば

 

「憔悴」に現われる「青空を喫う蛙」も

 

「ひきがえる」の仲間ではあります。

 

 

 

 

 

 

「ひきがえる」という喩(ゆ)が

 

直喩以上、暗喩以上を語る(意味する)ような

 

卓抜な言語感覚がもたらすものであるのは

 

さすがに「月に吠える」の詩人ですね。

 

 

 

那珂はこのあたりを

 

読み取ります。

 

 

 

 

 

 

「ひきがえる」は

 

外部世界と係わり合う契機を持たない心のことであり

 

外部は一切の意味を喪って

 

ものの個別性が消えてしまう

 

「こうぼうたる海や陸地」としか見えない。

 

 

 

内部と外部のこの乖離(かいり)は

 

「月に吠える」に現われる

 

「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」と

 

同じものだというのです。

 

 

 

内部外部の乖離――。

 

 

 

 

 

 

この詩ではそれが、

 

ひきがえるのようにむっくりとふくれていよう。

 

こうばうたる海や陸地をながめているのさ。

 

どうせろくでもない 貝肉の化物ぐらいに見えるだろうよ。

 

――の「いよう」「のさ」「だろうよ」というなげやりな口つきにはじまり、

 

 

 

第11行から16行までの

 

凡庸な詩行を経て、

 

 

 

それゆえわたしの瞳(め)玉はますますひらいて

 

へんにとうめいなる硝子玉になってしまった。

 

――という2行の絶妙なつくりを絶賛します。

 

 

 

 

 

 

このような外部への無関心、無感動の表出は

 

当時、朔太郎以外のだれもが生み出せなかったものであろう。

 

 

 

とどめを刺すように

 

どおぼん どおぼん

 

――という世にも不思議な悲しげともわびしげともいえる愚かな大砲のひびきは

 

読者の胸にいつまでも鳴りつづける。

 

 

 

 

 

 

「青猫・以後」のここに至っても

 

「月に吠える」との連続と断絶とが読み取られました。

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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2014年12月17日 (水)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺6/「青猫以後」の詩「ある風景の内殻から」

 

 

(前回からつづく)

 

 

 

「仏陀」と同時に発表された詩に

 

「ある風景の内殼から」があるという那珂の案内にしたがって

 

この詩も読んでおきましょう。

 

 

 

「仏陀」に描かれているのは

 

詩人の「極限的自画像」であり

 

「生認識の論理的終局点」のビジョン化であるという読みが

 

この詩によって補強されます。

 

 

 

 

 

 

ある風景の内殼から

 

 

 

 

 

どこにこの情欲は口を開いたら好いだろう

 

大海亀(うみがめ)は山のように眠っているし

 

古生代の海に近く

 

厚さ千貫目ほどもある鷓鴣(しゃこ)の貝殼が眺望している。

 

なんという鈍暗な日ざしだろう

 

しぶきにけむれる岬々の島かげから

 

ふしぎな病院船のかたちが現われ

 

それが沈没した錨の纜(ともづな)をずるずると曳いているではないか。

 

ねえ! お嬢さん

 

いつまで僕等は此処に坐り 此処の悲しい岩に並んでいるのでしょう

 

太陽は無限に遠く

 

光線のさしてくるところに ぼうぼうというほら貝が鳴る。

 

お嬢さん!

 

こうして寂しくぺんぎん鳥のようにならんでいると

 

愛も 肝臓も つらら”になってしまうようだ。

 

やさしいお嬢さん!

 

もう僕には希望(のぞみ)もなく 平和な生活(らいふ)の慰めもないのだよ

 

あらゆることが僕を気ちがいじみた憂鬱にかりたてる

 

へんに季節は転々して

 

もう春も李(すもも)もめちゃくちゃな妄想の網にこんがらかった。

 

どうすれば好いのだろう お嬢さん!

 

ぼくらはおそろしい孤独の海辺で 大きな貝肉のようにふるえている。

 

そのうえ情欲の言いようもありはしないし

 

こんなにもせつない心がわからないの? お孃さん!

 

 

 

(新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変えました。傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

 

 

 

 

この詩の

 

どうすれば好いのだろう お嬢さん!

 

――という詩行が先に参照されました。

 

 

 

 

 

 

お嬢さん! という呼びかけが印象に残る詩が

 

朔太郎作品に幾つかありますが

 

この詩では5度も現われ特別に印象的です。

 

 

 

この「お嬢さん」が「失われた恋人」であることは確実ですが

 

女性が詩の中に登場するだけでも

 

まだ幻想が歌われていたことを示したものかもしれません。

 

 

 

 

 

 

那珂が案内するのは

 

しかし、再び呼び出した詩の、

 

こうして寂しくぺんぎん鳥のようにならんでいると

 

愛も 肝臓も つららになってしまうようだ。

 

やさしいお嬢さん!

 

――という詩行が

 

情欲がそのまま凍結するような状況が示されているもので

 

 

 

大海亀(うみがめ)は山のように眠っているし 

 

古生代の海に近く

 

厚さ千貫目ほどもある鷓鴣(しゃこ)の貝殼が眺望している。

 

――という詩行は

 

生命否定的な、奇怪なビジョンがえがかれているものという読みです。

 

 

 

 

 

 

これらの詩には

 

いまだその言語そのものに艶(つや)があるにもかかわらず

 

那珂はこのあたりに「極限」を読み取ろうとするのです。

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

   

 

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2014年12月16日 (火)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺5/「青猫以後」の詩「仏陀」

 

 

(前回からつづく)

 

 

 

「青猫・以後」が「青猫」と異なる詩境(詩風)にあることを

 

象徴的に示すのが

 

仏陀(ぶっだ)が登場する二つの詩

 

――として那珂太郎が読むのは

 

「仏陀 或は『世界の謎』」です。

 

 

 

もう一つの詩は

 

「仏の見たる幻想の世界」です。

 

 

 

どちらも読んでみましょう。

 

 

 

 

  

 

仏陀

 

  或は「世界の謎」

 

 

 

赭土(あかつち)の多い丘陵地方の

 

さびしい洞窟の中に眠っているひとよ

 

君は貝でもない 骨でもない 物でもない。

 

そうして磯草の枯れた砂地に

 

ふるく錆びついた時計のようでもないではないか。

 

ああ 君は「真理」の影か 幽霊か

 

いくとせもいくとせもそこに坐っている

 

ふしぎの魚のように生きている木乃伊(みいら)よ。

 

このたえがたくさびしい荒野の涯で

 

海はこうこうと空に鳴り

 

大海嘯(おおつなみ)の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。

 

君の耳はそれを聴くか?

 

久遠(くおん)のひと 仏陀よ!

 

 

 

 

 

 

仏の見たる幻想の世界

 

 

 

花やかな月夜である

 

しんめんたる常盤木の重なりあうところで

 

ひきさりまたよせかえす美しい浪をみるところで

 

かのなつかしい宗教の道はひらかれ

 

かのあやしげなる聖者の夢はむすばれる

 

げにそのひと”の心をながれるひとつの愛憐

 

そのひと”の瞳孔にうつる不死の幻想

 

あかるくてらされ

 

またさびしく消えさりゆく夢想の幸福とその怪しげなるかげかたち

 

ああ そのひとについて思うことは

 

そのひとの見たる幻想の国をかんずることは

 

どんなにさびしい生活の日暮れを色づくことぞ

 

いま疲れてながく孤独の椅子に眠るとき

 

わたしの家の窓にも月かげさし

 

月は花やかに空にのぼっている。

 

 

 

仏よ

 

私は愛する おんみの見たる幻想の蓮の花弁を

 

青ざめたるいのちに咲ける病熱の花の香気を

 

仏よ

 

あまりに花やかにして孤独なる。

 

 

 

新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変えました。傍点は“ ”で示しました。編者。

 

 

 

 

 

 

「仏の見たる幻想の世界」から

 

「仏陀 或は『世界のなぞ』」への変化は

 

「青猫」から「青猫・以後」への変化を象徴的に示していることは明らかです。

 

 

 

仏陀は

 

朔太郎の極限的自画像であり

 

「青猫」では

 

「いのちに咲ける病熱の花の香気」をもつ人であったが

 

「青猫・以後」では

 

「いくとせもいくとせも」坐ったままの「生きている木乃伊」にすぎない。

 

 

 

那珂がこのように読むように

 

だれしもこのように読める詩です。

 

 

 

 

 

 

仏陀」の「木乃伊」が向かっているのは

 

たえがたくさびしい荒野の涯。

 

 

 

そこは海に面している。

 

 

 

海には虚無だけが広がっている。

 

 

 

そこに石ころがころがるように「木乃伊」は在りつづける。

 

 

 

 

 

 

那珂は

 

ここにいたって急テンポで

 

結論を述べようとします。

 

 

 

 

 

 

このような「仏陀」は

 

「荒寥地方」でたどりついた

 

「生認識の論理的終局点」のビジョン化されたものである。

 

それと同じものである。

 

 

 

ここで、

 

朔太郎の哲学は

 

終らなければならない。

 

詩を書くことを終わりにしなければならない。

 

 

 

それでも朔太郎が詩を書くのであれば

 

それは現実との妥協なしにはあり得なかった。

 

 

 

その後の作品が

 

しだいに後退的に日常的現実感をまし

 

特に大正14年以降の「郷土望景詩」で

 

現実的世界へ回帰していくのは必然のなりゆきだった

 

 

 

――と急展開するのです。

 

 

 

 

 

 

「氷島」の否定的評価の方向へ

 

舵が切られた瞬間であるかのようなくだりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

   

 

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2014年12月15日 (月)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺4/「青猫以後」の詩「荒寥地方」

(前回からつづく)

 

 

 

「青猫・以後」で

 

「風船乗りの夢」の次に那珂が読むのは

 

「荒寥地方」。

 

 

 

この「荒寥地方」に類似する詩として

 

「まどろすの歌」

 

「暦の亡塊」

 

「沿海地方」

 

――を挙げますが

 

これらはすべてが「風船乗りの夢」の連なりで読んだ詩でした。

 

 

 

 

 

 

「荒寥地方」を

 

掘り下げて読むわけがきっとあります。

 

 

 

 

 

 

「風船乗りの夢」は

 

ボードレールの「地球の外へなら、どこへでも! Anywhere out of the world. 」を下敷きにしたものか

 

(那珂はそれを断言しませんが)

 

ぼうぼうとした虚無の中を(風船にのって)

 

知覚もおよばぬ真空圏内へ

 

――と歌っているのは

 

無限なるものや永遠なるものへの憧れ(ロマン)ではなく

 

この地上からただ遊離することばかりを求める虚無感であった。

 

 

 

 

 

 

「地球の外ならどこでもよい」というボードレールに通じるかのように

 

「荒寥地方」が歌うのは

 

わが国のどこかの地方の風景ではなく

 

18世紀のヨーロッパのどこの国の風景でもなく

 

詩人の幻想の中の風景。

 

 

 

この風景は現実にはない。

 

 

 

日常的な次元の外部世界には存在しない。

 

 

 

完全に空無化された世界である。

 

 

 

 

 

 

「外部世界」とか

 

「日常的次元」とか

 

「空無化」とか

 

やや観念的な言葉使いですが

 

この「荒寥」とした地方では

 

日時計の時刻は止まり

 

買い物をする店や市場もない

 

虚無の街だったのです。

 

 

 

 

 

 

私はいつも都会をもとめる

 

都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる

 

――と「群集の中を求めて歩く」で歌った詩人は

 

いったいどこへ行ってしまったのか。

 

 

 

詩人に「変化」が起こっていることが明らかです。

 

 

 

 

 

 

記憶の時計もぜんまいがとまってしまった

 

(風船乗りの夢)

 

 

 

宇宙はくるくるとまわっていて

 

永世輪廻のわびしい時刻がうかんでいる

 

(輪廻と樹木)

 

 

 

わたしのおうむ時計はこわれてしまった

 

(暦の亡塊)

 

 

 

これらの詩行に表わされたのは

 

意志の否定、生の停止(断念)

 

進歩「観念」の否定。

 

 

 

 

 

 

詩人は

 

「青猫・以後」ずっと押し進めてきた「生認識」の

 

論理的終局点に至ったのだ。

 

 

 

「生の論理」を

 

詩人はこれ以上発展させるすべがないところに至ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「時」が止まった世界は

 

しかし「死」の街のイメージとも異なる世界のようです。

 

 

 

 

 

 

こうしてやがては

 

「郷土望景詩」が歌われ

 

「氷島」の詩篇が歌われることが準備されていくというのが

 

那珂太郎の追跡です。

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

  

 

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2014年12月14日 (日)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺3/「青猫以後」の詩「まどろすの歌」ほか

(前回からつづく)

 

 

 

詩人の歩みのアウトラインがつかめたなら

 

詩人の骨格が見えたようなものですから

 

次には血脈に触れて

 

詩そのものを味わうというのは順序というものでしょう。

 

 

 

その順序通りにならなくても

 

人それぞれの順序はあろうというものです。

 

 

 

アウトラインとかエピソードとか

 

伝記とか詩論とか

 

「詩以外」「詩の外部」とかを読むだけで詩がわかったような気になっても

 

しかしそれは詩を読んだことにはなりません。

 

 

 

あせるような気持で

 

だから詩をたくさん読もう、

 

詩篇により多くふれようなどと迫られるのもよくあることです。

 

 

 

詩を読みましょう。

 

 

 

 

 

 

「青猫・以後」で

 

那珂太郎が「風船乗りの夢」を読みつつ

 

それが歌う「生の無目的感、無方向感」は

 

ほかの詩の数々にも歌われていることを例示しています。

 

 

 

例示された詩を

 

一挙に読んでおきましょう。

 

 

 

 

 

 

まどろすの歌

 

 

 

愚かな海鳥のような姿(すがた)をして

 

瓦や敷石のごろごろとする港の市街区を通って行こう。

 

こわれた幌馬車が列をつくって

 

むやみやたらに円錐形の混雑がやってくるではないか

 

家台は家台の上に積み重なって

 

なんという人畜のきたなく混雑する往来だろう。

 

見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで

 

冬のさびしい海景が泣いて居るではないか。

 

涙を路ばたの石にながしながら

 

私の弁髪を背中にたれて 支那人みたように歩いていよう。

 

こうした暗い光線はどこからくるのか

 

あるいは理髮師(とこや)や裁縫師(したてや)の軒(のき)に artist の招牌(かんばん)をかけ

 

野菜料理や木造旅館の貧しい出窓が傾いて居る。

 

 

 

どうしてこんな貧しい「時」の写真を映すのだろう

 

どこへもう 外の行くところさえありはしない

 

はやく石垣のある波止場を曲り

 

遠く沖にある帆船へかえって行こう

 

そうして忘却の錨を解き記録のだんだんと消えさる港を訪ねて行こう。

 

 

 

 

 

 

この詩の

 

どこへもう 外の行くところさえありはしない

 

――という行。

 

 

 

 

 

 

荒寥地方

 

 

 

散歩者のうろうろと歩いている

 

18世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか

 

青や赤や黄色の旗がびらびらして

 

むかしの出窓に鉄葉(ぶりき)の帽子が飾ってある。

 

どうしてこんな情感のふかい市街があるのだろう

 

日時計の時刻はとまり

 

どこに買物をする店や市場もありはしない。

 

古い砲彈の砕片(かけ)などが掘り出されて

 

それが要塞区域の砂の中でまっくろに錆びついていたではないか。

 

どうすれば好いのか知らない

 

こうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを歩いていよう。

 

年をとった婦人のすがたは

 

家鴨(あひる)や鶏(にわとり)によく似ていて

 

網膜の映るところに真紅(しんく)の布(きれ)がひらひらする。

 

なんたるかなしげな黄昏だろう

 

象のようなものが群がっていて

 

郵便局の前をあちこちと彷徨している。

 

「ああどこに 私の音づれの手紙を書こう!」

 

 

 

 

 

 

この詩の

 

どうすれば好いのか知らない

 

――という行。

 

 

 

 

 

 

ある風景の内殼から

 

 

 

どこにこの情欲は口を開いたら好いだろう

 

大海亀(うみがめ)は山のように眠っているし

 

古生代の海に近く

 

厚さ千貫目ほどもある鷓鴣(しゃこ)の貝殼が眺望している。

 

なんという鈍暗な日ざしだろう!

 

しぶきにけむれる岬々の島かげから

 

ふしぎな病院船のかたちが現われ

 

それが沈沒した錨の纜(ともづな)をずるずると曳いているではないか。

 

ねえ! お嬢さん

 

いつまで僕等は此処に坐り 此処の悲しい岩に並んでいるのでしょう

 

太陽は無限に遠く

 

光線のさしてくるところに ぼうぼうというほら貝が鳴る。

 

お嬢さん!

 

こうして寂しくぺんぎん鳥のようにならんでいると

 

愛も 肝臓も つららになってしまうようだ。

 

やさしいお嬢さん!

 

もう僕には希望(のぞみ)もなく 平和な生活(らいふ)の慰めもないのだよ

 

あらゆることが僕を気ちがいじみた憂鬱にかりたてる

 

へんに季節は転々して

 

もう春も李(すもも)もめちゃくちゃな妄想の網にこんがらかった。

 

どうすれば好いのだろう お嬢さん!

 

ぼくらはおそろしい孤独の海辺で 大きな貝肉のようにふるえている。

 

そのうえ情欲の言いようもありはしないし

 

こんなにも切ない心がわからないの? お孃さん!

 

 

 

この詩の

 

どうすれば好いのだろう (お嬢さん!)

 

――という行。

 

 

 

「シャモ」は「蝦蛄」が一般的ですが

 

三好達治の学識でこのように「校訂」されたものでしょうか?

 

 

 

 

 

 

輪廻と樹木

 

 

 

輪廻の暦をかぞえてみれば

 

わたしの過去は魚でもない 猫でもない 花でもない

 

そうして草木(そうもく)の祭祀に捧げる器物(うつわ)や瓦の類でもない。

 

金(かね)でもなく 虫でもなく 隕石でもなく 鹿でもない

 

ああ ただひろびろとしている無限の「時」の哀傷よ。

 

わたしのはてない生涯(らいふ)を追うて

 

どこにこの因果の車を廻して行こう

 

とりとめもない意志の悩みが あとからあとからとやってくるではないか。

 

なんたるあいせつの笛の音(ね)だろう

 

鬼のようなものがいて木の間で吹いてる。

 

まるでしかたのない夕暮れになってしまった

 

燈火(ともしび)をともして窓からみれば

 

青草むらの中にべらべらと燃える提灯がある

 

風もなく

 

星宿のめぐりもしずかに美しい夜(よる)ではないか。

 

ひっそりと魂の秘密をみれば

 

わたしの転生はみじめな乞食で

 

星でもなく 犀でもなく 毛衣(けごろも)をきた聖人の類でもありはしない。

 

宇宙はくるくるとまわっていて

 

永世輪廻のわびしい時刻がうかんでいる。

 

そうして“べにがら”いろにぬられた恐怖の谷では

 

獣(けもの)のような榛(はん)の木が腕を突き出し

 

あるいはその根にいろいろな祭壇が乾(ひ)からびてる。

 

どういう人間どもの妄想だろう。

 

 

 

この詩の

 

まるでしかたのない夕暮れになってしまった

 

――という行。

 

 

 

 

 

 

暦の亡魂

 

 

 

薄暮のさびしい部屋の中で

 

わたしの“おうむ”時計はこわれてしまった

 

感情のねじは錆びて “ぜんまい”もぐだらくに解けてしまった

 

こんな古ぼけた暦をみて

 

どうして宿命のめぐりあう暦数をかぞえよう

 

いつということもない

 

ぼろぼろになった憂鬱の鞄をさげて

 

明朝(あした)は港の方へでも出かけて行こう。

 

そうして海岸のけむった柳のかげで

 

首(くび)無し船のちらほらと往き通(か)う帆でもながめていよう

 

どこへ行こうという国の船もなく

 

これという仕事や職業もありはしない。

 

まずしい黒毛の猫のように

 

よぼよぼとしてよろめきながら歩いている。

 

そうして芥焼場(ごみやきば)の泥土(でいど)にぬりこめられた

 

このひとのようなものは

 

忘れた暦の亡魂だろうよ。

 

 

 

 

 

 

この詩の

 

どこへ行こうという国の船もなく

 

これという仕事や職業もありはしない。

 

――という行。

 

 

 

「亡魂」は「なきがら」でしょうか?

 

 

 

 

 

 

沿海地方

 

 

 

馬や駱駝のあちこちする

 

光線のわびしい沿海地方にまぎれてきた。

 

交易をする市場はないし

 

どこで毛布(けっと)を売りつけることもできはしない。

 

店鋪もなく

 

さびしい天幕(てんまく)が砂地の上にならんでいる。

 

どうしてこんな時刻を通行しよう

 

土人のおそろしい兇器のように

 

いろいろな呪文がそこらいっぱいにかかってしまった。

 

景色はもうろうとして暗くなるし

 

へんてこなる砂風(すなかぜ)がぐるぐるとうずをまいてる。

 

どこにぶらさげた招牌(かんばん)があるではなし

 

交易をしてどうなるというあてもありはしない。

 

いっそぐだらくにつかれきって

 

白砂の上にながながとあおむきに倒れていよう。

 

そうして色の黒い娘たちと

 

あてもない情熱の恋でもさがしに行こう。

 

 

 

この詩の

 

どうなるというあてもありはしない。

 

――という行。

 

 

 

いったいここは地球儀のどあたりにある場所なのか

 

そんなふうに考えるのは無駄です。

 

無理です。

 

 

 

 

 

 

海豹

 

 

 

わたしは遠い田舍の方から

 

海豹(あざらし)のように来たものです。

 

わたしの国では麦が実り

 

田畑(たはた)がいちめんにつながっている。

 

どこをほっつき歩いたところで

 

猫の子いっぴき居るのでない。

 

ひょうひょうという風にふかれて

 

野山で口笛を吹いてる私だ

 

なんたる哀せつの生活だろう。

 

橅(ぶな)や楡(にれ)の木にも別れをつげ

 

それから毛布に荷物をくるんで

 

わたしはぼんやりと出かけてきた。

 

うすく桜の花の咲くころ

 

都会の白っぽい街路の上を

 

わたしの人力車が走って行く。

 

そうしてパノラマ館の塔の上には

 

ぺんぺんとする小旗を掲げ

 

円頂塔(どうむ)や煙突の屋根をこえて

 

そうめいに晴れた青空をみた。

 

 

 

ああ 人生はどこを向いても

 

いちめんに麦のながれるようで

 

遠く田舍のさびしさがつづいている。

 

どこにもこれという仕事がなく

 

つかれた無職者(むしょくもの)のひもじさから

 

きたない公園のベンチに坐って

 

わたしは海豹(あざらし)のように嘆息した。

 

 

 

 

 

 

この詩の

 

どこにもこれという仕事がなく

 

――という行。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青や黄色のペンキに塗られて

 

まずしい出窓がならんでいる。

 

むやみにごてごてと屋根を張り出し

 

道路いちめん 積み重なったガタ馬車なり。

 

どこにも人間の屑がむらがり

 

そいつが空腹の草履(ぞうり)をひきずりあるいて

 

やたらにゴミダメの葱(ねぎ)を喰うではないか。

 

なんたる絶望の光景だろう

 

わたしは魚のようにつめたくなって

 

目からそうめんの涙をたらし

 

情欲のみたされない いつでも陰気な悶えをかんずる。

 

ああ この噛みついてくる蠍(さそり)のように

 

どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。

 

みれば両替店の赤い窓から

 

病気のふくれあがった顏がのぞいて

 

大きなパイプのように叫んでいた。

 

「きたない鴉め! あっちへ行け!」

 

 

 

 

 

 

この詩の

 

どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。

 

――という行。

 

 

 

これら一つ一つの詩行をトリガー(糸口)にして

 

個別の詩一つ一つを味わうための入り口とすることができるでしょう。

 

 

 

 

 

 

これらが「風船乗りの夢」との繋がりを示していると

 

那珂太郎は指摘しています。

 

 

 

 

 

 

以上、新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変えました。傍点は“ ”で示しました。以下同。編者。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

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2014年12月13日 (土)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺2/「青猫以後」の詩「風船乗りの夢」

(前回からつづく)

 

 

 

「青猫・以後」ってどんな詩なのだろう。

 

 

 

那珂太郎は「青猫・以後」から5篇の詩を挙げて

 

一つ一つを鑑賞していきます。

 

 

 

「氷島」と離れるようで離れませんから

 

もう少し那珂の鑑賞記をひもときながら

 

できるだけ多くの詩にふれてみましょう。

 

 

 

 

 

 

できるだけ多くの詩にふれるという目的で

 

「風船乗りの夢」を読んでみると

 

この詩が呼び出す幾つかの詩があります。

 

 

 

「風船乗りの夢」を

 

もう1度ここで読んでみましょう。

 

 

 

 

 

 

風船乗りの夢

 

 

 

夏草のしげる叢(くさむら)から

 

ふわりふわりと天上さして昇りゆく風船よ

 

籠には旧暦の暦をのせ

 

はるか地球の子午線を越えて吹かれ行こうよ。

 

ぼうぼうとした虚無の中を

 

雲はさびしげにながれて行き

 

草地も見えず 記憶の時計も“ぜんまい”がとまってしまった。

 

どこをめあてに翔けるのだろう!

 

そうして酒瓶の底は空しくなり

 

酔いどれの見る美麗な幻覚(まぼろし)は消えてしまった。

 

しだいに下界の陸地をはなれ

 

愁いや雲やに吹きながされて

 

知覚もおよばぬ真空圈内へまぎれ行こうよ。

 

この瓦斯体もてふくらんだ気球のように

 

ふしぎにさびしい宇宙のはてを

 

友だちもなく ふわりふわりと昇って行こうよ。

 

 

 

(新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変えました。傍点は“ ”で示しました。以下同。編者。)

 

 

 

 

 

 

 

 

風船の行く宇宙の果て。

 

 

 

不思議にさびしく

 

友だちもいないそこを

 

ふわりふわり昇っていく。

 

 

 

 

 

 

この詩から容易に連想される詩行として

 

那珂があげるのは

 

「青猫」にある「憂鬱な風景」の中の

 

さびしい風船はまっすぐに昇ってゆき

 

――という1行です。

 

 

 

 

 

 

憂鬱な風景

 

 

 

猫のように憂鬱な景色である

 

さびしい風船はまっすぐに昇ってゆき

 

りんねる”を着た人物がちらちらと居るではないか。

 

もうとっくにながい間(あいだ)

 

だれもこんな波止場を思ってみやしない。

 

そうして荷揚機械のぼうぜんとしている海角から

 

いろいろさまざまな生物意識が消えて行った。

 

そのうえ帆船には綿が積まれて

 

それが沖の方でむくむくと考えこんでいるではないか。

 

なんと言いようもない

 

身の毛もよだち ぞっとするような思い出ばかりだ。

 

ああ神よ もうとりかえすすべもない。

 

そうしてこんなむしばんだ回想から いつも幼な児のように泣いて居よう。

 

  

 

 

 

 

このさびしい風船から見る眺めは

 

身の毛のよだつ

 

ぞっとする思い出ばかりです。

 

 

 

さすらい(漂泊、彷徨、流離)の

 

飄々(ひょうひょう)とした景色ではありません。

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

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2014年12月12日 (金)

「定本青猫」の挿絵についての「自序」

「定本青猫」には
巻頭に
宇宙は意志の現れであり、意志の本質は悩みである
              ショーペンハウエル
――というエピローグがあり
つづいて「自序」があります。

 

「自序」の終わりに
挿絵についての朔太郎の案内がありますから
それを全文読んでおきましょう。

 

 

絵について

 

 本書の絵は、すべて明治17年に出版した世界名所図絵から採録した。画家が芸術意識で描いたものではなく、無知の職工が写真を見て、機械的に木口木版(西洋木版)に刻ったものだが、不思議に一種の新鮮な詩的情趣が縹渺している。つまり当時の人々の、西洋文明に対する驚き――汽車や、ホテルや、蒸汽船や街路樹のある文明市街やに対する、子供のような悦びと不思議の驚き――が、エキゾチックな詩情を刺激したことから、無意識で描いた職工版画の中にさえも、その時代精神の浪漫感が表象されたものであろう。

 

その点に於て此等の版画は、あの子供の驚きと遠い背景とをもったキリコの絵と、偶然にも精神を共通している。しかしながらずっと古風で、色の褪せたロマンチックの風景である。

 

 見給え。すべての版画を通じて、空は青く透明に晴れわたり、閑雅な白い雲が浮んでいる。それはパノラマ館の屋根に見る青空であり、オルゴールの音色のように、静かに寂しく、無限の郷愁を誘っている。そうして鋪道のある街々には、静かに音もなく、夢のような建物が眠っていて、秋の巷の落葉のように、閑雅な雜集が徘徊している。人も、馬車も、旗も、汽船も、すべてこの風景の中では「時」を持たない。

 

それは指針の止った大時計のように、無限に悠々と静止している。そしてすべての風景は、カメラの磨硝子に写った景色のように、時空の第4次元で幻燈しながら、自奏機(おるごおる)の鳴らす侘しい歌を唄っている。その侘しい歌こそは、すべての風景が情操している一つの郷愁、即ちあの「都会の空に漂う郷愁」なのである。

 

  西暦1934年秋
  著者

 

青空文庫より。読みやすくするために、新かな・新漢字に改め、改行・行空きを加えました。編者。)

 

 

空は青く透明に晴れわたり、

 

閑雅な白い雲が浮んでいる。

 

それはパノラマ館の屋根に見る青空

 

――というところがポイントでしょうか。

 

 

 

オルゴールの音色が聴こえてきます。

 

 

 

 

 

 

無限の郷愁――ノスタルジア。

 

 

 

 

今回はこれまで。

「定本青猫」の挿絵・その5

その5は「時計台之図」。

 

Aoneko5

 

 

 

 永遠の孤独の中に悲しみながら、冬の日の長い時をうってる時計台―。避雷針は空に向って泣いて居るし、街路樹は針のように霜枯れて寂しがってる。見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで、冬のさびしい海景が泣きわびて居るではないか。

 

 

 

(中公文庫「日本の詩歌14・萩原朔太郎」より。「新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

 

 

挿絵はおしまい。

 

 

今回はここまで。

「定本青猫」の挿絵・その4

その4は「市街之図」。

 

Aoneko4

 

 

 

散歩者のうろうろと歩いている

 

18世紀頃の物わびしい裏町の通があるではないか
青や 赤や 黄色の旗がびらびらして
むかしの出窓にブリキの帽子が並んでいる。
どうしてこんな 情感の深い市街があるのだらう。
                    ――荒寥地方――

 

 

 

(中公文庫「日本の詩歌14・萩原朔太郎」より。「新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

「定本青猫」の挿絵・その3

その3は「海港之図」。

 

 

 

Aoneko3_2

 

 

 

 

 

港へ来た。マストのある風景と、浪を蹴って走る蒸汽船と。

 

どこへもう! 外の行くところもありはしない。
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へ帰って行こう。
そうして忘却の錨をとき、記憶のだんだんと消えさる港を訪ねて行こう。
                            ――まどろすの歌――

 

 

 

(中公文庫「日本の詩歌14・萩原朔太郎」より。「新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

 

 

今回はここまで。

「定本青猫」の挿絵・その2

その2は「ホテル之図」です。

 

Aoneko2_2

 

 ホテルの屋根の上に旗が立ってる。何という寂しげな、物思いに沈んだ旗だろう。鋪道に歩いてる人も馬車も、静かな郷愁に耽りながら、無限の「時」の中を徘徊している。そして家々の窓からは、閑雅なオルゴールの音が聞えてくる。この街の道の尽きるところに、港の海岸通があるのだろう。すべての出発した詩人たちは、重たい旅行鞄を手にさげながら、今も尚このホテルの5階に旅泊して居る。

 

(中公文庫「日本の詩歌14・萩原朔太郎」より。「新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

「定本青猫」の挿絵・その1

 

 

(前回からつづく)

 

 

 

今回はちょっとだけ一休み。

 

 

 

趣向を変えるというか

 

コーヒーブレイクというか

 

回り道というか。

 

 

 

 

 

詩ではなく 「絵」を見ましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

朔太郎が「定本青猫」に 挿入した「絵」が5枚あります。

 

その5枚の「絵」と

 

朔太郎による「絵解き(ネーム)」を見ましょう。

 

 

 

 

 

このネームは 「青猫」の詩から引いたものは「――  ――」で示し

 

そのほかのネームは朔太郎が新しく書いたもののようです。

 

 

1枚目は「停車場之図」のタイトルです。

 

 

 

Aoneko1_8

 

 

 

無限に遠くまで続いている、この長い長い柵の寂しさ。人気のない構内では、貨車が静かに眠 って居るし、屋根を越えて空の向うに、遠いパノラマの郷愁がひろがって居る。これこそ詩人の出発する、最初の悲しい停車場である。

 

(中公文庫「日本の詩歌14・萩原朔太郎」より。「新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

2014年12月11日 (木)

那珂太郎の「氷島」否定論補遺1/「青猫以後」の詩群について

(前回からつづく)

 

那珂太郎が言及する「『青猫』以後」とはどのような詩群なのか
ここで読んでおきましょう。

 

 

「『青猫』以後」は
昭和3年(1928年)に発行の「萩原朔太郎詩集」(第一書房)に収められた詩群のことで
「青猫」の出版後に制作した20篇の詩を指します。

 

詩集ではありませんが
同詩集中に朔太郎が「青猫(以後)」と一括したものを
人によって「『青猫』以後」と書いたり
「青猫以後」や「青猫・以後」と書いたり
三好達治のように「桃李の道」と称してみたり
さまざまな呼び方・記し方が出回っています。

 

 

「萩原朔太郎詩集」は
第1詩集「月に吠える」
第2詩集「青猫」
第3詩集「蝶を夢む」
第4詩集「純情小曲集」
――を総合した詩集でしたが
これら既刊詩集に収められなかったが
第2詩集の「青猫」より後に制作した詩が20篇が
ここに初出作品として収録されたのです。
(後に「氷島」に「郷土望景詩」として収められる「監獄裏の林」を合わせると
初出は合計21篇となります。)

 

 

この「『青猫』以後」に2、3篇を加えたものが
「定本青猫」にも収録されています。

 

 

「『青猫』以後」は
昭和3年発行の「萩原朔太郎詩集」を読むことはかなり困難ですが
「三好達治選・萩原朔太郎詩集」(岩波文庫、1952年初版)
「青猫他」(新潮文庫、1955年初版)
「日本の詩歌14 萩原朔太郎」(中公文庫、1975年初版)
――などの文庫本で読むことができます。

 

また青空文庫には
「定本青猫」が公開されていますから
「青猫・以後」を読むことができることになっています。

 

真ん中くらいにある「桃李の道」以降が「青猫・以後」ですが
「定本青猫」には挿絵が配置されてあるなど
「萩原朔太郎詩集」と全く同一のものではありません。

 

 

「近代文学鑑賞講座」で
那珂太郎が「『青猫』以後」の章を立てて鑑賞している詩篇を
まずここで読んでおきましょう。

 

那珂が選んだのは、
風船乗りの夢
荒寥地方
仏陀 或は「世界の謎」
大砲を撃つ
猫の死骸
――の5篇です。

 

 

風船乗りの夢

 

夏草のしげる叢(くさむら)から
ふわりふわりと天上さして昇りゆく風船よ
籠には旧暦の暦をのせ
はるか地球の子午線を越えて吹かれ行こうよ。
ぼうぼうとした虚無の中を
雲はさびしげにながれて行き
草地も見えず 記憶の時計も“ぜんまい”がとまってしまった。
どこをめあてに翔けるのだろう!
そうして酒瓶の底は空しくなり
酔いどれの見る美麗な幻覚(まぼろし)は消えてしまった。
しだいに下界の陸地をはなれ
愁いや雲やに吹きながされて
知覚もおよばぬ真空圈内へまぎれ行こうよ。
この瓦斯体もてふくらんだ気球のように
ふしぎにさびしい宇宙のはてを
友だちもなく ふわりふわりと昇って行こうよ。

 

 

荒寥地方

 

散歩者のうろうろと歩いている
18世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
青や赤や黄色の旗がびらびらして
むかしの出窓に鉄葉(ぶりき)の帽子が飾ってある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだろう
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲彈の砕片(かけ)などが掘り出されて
それが要塞区域の砂の中でまっくろに錆びついていたではないか。
どうすれば好いのか知らない
こうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを歩いていよう。
年をとった婦人のすがたは
家鴨(あひる)や鶏(にわとり)によく似ていて
網膜の映るところに真紅(しんく)の布(きれ)がひらひらする。
なんたるかなしげな黄昏だろう
象のようなものが群がっていて
郵便局の前をあちこちと彷徨している。
「ああどこに 私の音づれの手紙を書こう!」

 

 

仏陀
  或は「世界の謎」

 

赭土(あかつち)の多い丘陵地方の
さびしい洞窟の中に眠っているひとよ
君は貝でもない 骨でもない 物でもない。
そうして磯草の枯れた砂地に
ふるく錆びついた時計のようでもないではないか。
ああ 君は「真理」の影か 幽霊か
いくとせもいくとせもそこに坐っている
ふしぎの魚のように生きている木乃伊(みいら)よ。
このたえがたくさびしい荒野の涯で
海はこうこうと空に鳴り
大海嘯(おおつなみ)の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。
君の耳はそれを聴くか?
久遠(くおん)のひと 仏陀よ!

 

 

大砲を撃つ

 

わたしはびらびらした外套をきて
草むらの中から大砲をひきだしている。
なにを撃とうというでもない
わたしのはらわたのなかに火薬をつめ
ひきがえるのようにむっくりとふくれていよう。
そうしてほら貝みたいな瞳(め)だまをひらき
まっ青な顔をして
こうぼうたる海や陸地をながめているのさ。
この辺のやつらにつきあいもなく
どうせろくでもない貝肉のばけものぐらいに見えるだろうよ。
のらくら息子のわたしの部屋には
春さきののどかな光もささず
陰鬱な寝床のなかにごろごろとねころんでいる。
わたしをののしりわらう世間のこえごえ
だれひとりきてなぐさめてくれるものもなく
やさしい婦人のうたごえもきこえはしない。
それゆえわたしの瞳(め)だまはますますひらいて
へんにとうめいなる硝子玉になってしまった。
なにを喰べようというでもない
妄想のはらわたに火薬をつめこみ
さびしい野原に古ぼけた大砲をひきずりだして
どおぼん どおぼん とうっていようよ。

 

 

猫の死骸

 

海綿のような景色のなかで
しっとりと水気をふくんでいる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いているようす。
そうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯体の衣裳をひきずり
しずかに心霊のようにさまよっている。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遅いのね」
ぼくらは過去もない未来もない
そうして“現実のもの”から消えてしまった。……
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。

 

(新潮文庫「青猫他」より。新かな・新漢字に変え、適宜、洋数字に変えました。傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

「定本青猫」の「巻尾に」で
朔太郎自ら「定本青猫」を「定本」としてほしいとわざわざ述べているのは
「青猫」や「萩原朔太郎詩集」や「蝶を夢む」などに重複して収録された詩篇が
「詩句や組方を異にしている」のを統一しようとしたものですが
その意図は必ずしも実現されていないようです。

 

新潮文庫の「青猫他」(三好達治編)の「桃李の道」と
筑摩書房版「萩原朔太郎全集」の「青猫・以後」などとは
「てにをは」をはじめ句読、感嘆符などの違いや有無や
漢字の使用・不使用など語句・詩行に及ぶ異なりがあります。

 

その異なり具合をも
味わえればよしということなのでしょう。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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2014年12月10日 (水)

那珂太郎の「氷島」否定論10/「国定忠治の墓」の劇的感動

(前回からつづく)

 

「氷島」から那珂太郎が最後に選んだのは
「国定忠治の墓」です。

 

 

国定忠治の墓

 

わがこの村に来りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。
太陽は埃に暗く
悽而(せいじ)たる竹薮の影
人生の貧しき惨苦を感ずるなり。
見よ 此処に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。

 

ああ我れ故郷に低徊して
此所に思えることは寂しきかな。
久遠に輪を断絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうって去り
意志するものを亡び尽せり。
いかんぞ残生を新たにするも
冬の蕭条たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。
       ――上州国定村にて――

 

青空文庫「氷島 萩原朔太郎」より。新かな・新漢字に改めました。ブログ編者。)

 

 

初出では「1933年(昭和8年)1月」作としていたものを
「詩篇小解」で「昭和5年(1930年)」制作とした詩人の意図がどこにあったか。

 

もはやそれを詮索する必要はない。
詩人の精神は
すでに久しく日付のない時間の中にあったのであるから
「氷島」の詩を実証的に制作順序を確認して読む必要はない
――として那珂はこの詩をまずは位置づけします。

 

「小解」には
国定忠治の墓  昭和5年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐えず。ひそかに家を脱して自転車に乗り、烈風の砂礫を突いて国定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるえて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐えたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の粛殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。
――とありますが
このような詩境で作られた詩を
青年期の作品のように
微妙な精神的・詩法的展開を丹念に跡づけて読む必要はないというのです。

 

 

こう位置づけながら
やはりこの詩は1933年制作と考えるべきである、と那珂は展開します。

 

 

「帰郷」
「乃木坂倶楽部」
「品川沖観艦式」などの
昭和6年(1931年)3月発表の詩との間に時間の経過を見たい

 

「国定忠治の墓」には
これらの詩に類似したスタイルを用いながら
これらの詩よりも
ずっと沈鬱に深く静まったものがあるし
措辞や語法が
昭和5年発表の「遊園地にて」とともに
安定と円熟を示していて
「氷島」の中では最後を飾る秀作と読み
さらに詳しくその秀作である理由を述べていきます。

 

 

「国定忠治の墓」には
「品川沖観艦式」にあるような
外的客体物への主観の投入はない。
融合(融一化)はない。

 

2連がはっきり分離し
第1連で忠治の墓の描写
第2連で自らが墓石と化す日を思い、感懐を述べる

 

 

忠治の墓は眼前にある。

 

それは現実の、歴史的時間の中に
非情にも亡びていく実存の姿である

 

ここで詩人は
巨大な外部現実に置かれた実存の
逃れ得ない絶対的条件に直面し
自らの宿命を見定める。

 

 

そうしたところをこの詩は

 

いかんぞ残生を新たにするも
冬の蕭条たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

 

――と歌って閉じるのだ。

 

 

那珂は続けます。

 

「『青猫』以後」の詩で成就した自らの宿命を
「氷島」で現実的次元に据え反芻したとき
詩人が最後に捉えたイメージは
冬枯れの中の己の墓石だった。

 

 

さらに続けます。

 

人生の貧しき惨苦を感ずるなり。
――という感情表白と対比して置かれた
冬の粛条たる墓石の下に
――というイメージの効果的であるのは
かの荒寥たる平野の中
――という詩行とともに
感覚的でも多彩でも細やかでもないが
その大づかみな捉え方が
前後の重い観念的な詩句と均衡している

 

ここに「氷島」詩法の真骨頂がある。
そして、

 

日月我れを投げうって去り
意志するものを亡び尽くせり
――とあるのを読むとき
詩句としての異常な緊張力が
僕らを感動させる

 

萩原朔太郎という詩人の長年の詩業と精神の歴史がよみがえり
劇的な感動を生む

 

この感動こそ「氷島」が僕らにもたらす
「真の意味」である。

 

 

詩行の一つひとつと
その配置の完璧さとが
朔太郎の「歴史」のすべてを思い起こさせ
劇的な感動の中に立たされるという絶賛で
那珂太郎の「氷島」否定論は終わるのです。

 

このようなまでに評価しながら
那珂が朔太郎の「涸渇」を撤回しようとしていないことを
もはやだれも論じることはないであろう否定論となりました。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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2014年12月 9日 (火)

那珂太郎の「氷島」否定論9/「品川沖観艦式」の飢渇感

(前回からつづく)

 

作意ではなく「作為」とし
「模倣」であり「瑕瑾 (かきん)」とまで記す那珂太郎の鑑賞は
辛辣(しんらつ)ではありながら
次第に高評価へ傾きはじめる気配ですが。

 

 

次に読むのは
「品川沖観艦式」です。

 

 

品川沖観艦式

 

低き灰色の空の下に
軍艦の列は横われり。
暗憺として錨をおろし
みな重砲の城の如く
無言に沈欝して見ゆるかな。

 

曇天暗く
埠頭に観衆の群も散りたり。
しだいに暮れゆく海波の上
既に分列の任務を終えて
艦(ふね)等みな帰港の情に渇けるなり。

 

冬の日沖に荒れむとして
浪は舷側に凍り泣き
錆は鉄板に食いつけども
軍艦の列は動かんとせず
蒼茫たる海洋の上
彼等の叫び、渇き、熱意するものを強く持せり。

 

青空文庫「氷島 萩原朔太郎」より。「新かな・新漢字」に変えました。以下同。編者。)

 

 

「品川沖観艦式」は
「乃木坂倶楽部」
「家庭」
「珈琲店 酔月」
「新年」
「晩秋」
――とともに雑誌「詩・現実」に発表されたもの。

 

昭和4年(1929年)1月に品川沖で朔太郎が実際に見たという
観艦式が終了した後の風景ですが
ここにいたっては
風景は単なる風景にとどまらず
作者内部の全きビジョンに昇華され
作品としての自立性を持ちえている
――と那珂にしては高い評価を与えています。

 

 

「帰郷」や「乃木坂倶楽部」と詩境は似ていて
歌われた素材から見ても
背後にある実生活へと関心を誘われがちである意味で
「不純な」要素をもつが
この詩は背後(実生活)へ目を向ける必要はなく
詩的純度をもっている

 

 

那珂は「氷島」の詩の幾つか――
「告別」
「動物園にて」
「国定忠治の墓」
「虎」
――を例示して
これらの詩が外見上ほどには
自然主義的ではないことに気づいたかのように
(自他に向け)注意を促します。

 

「品川沖観艦式」は
これら例示した詩群の中にあっても
外部事情と内部観念とが渾然と融合している点で
際立った秀作であると賞賛するのです。

 

 

詩行を引いて
そこのところを
もう少し具体的に那珂は分析します。

 

 

しだいに暮れゆく海波の上
既に分列の任務を終えて
艦(ふね)等みな帰港の情に渇けるなり。

 

このように軍艦のイメージが歌われるとき
必然的に、二重写しに、
作者朔太郎のなだめがたい飢渇感が迫ってくるのを知る。

 

その飢渇感とは、
かつて「愛」の現実的対象への飢渇であり、
漠然たる人生のイデアへの飢渇であり、
「信じられないものを信じようとする」(草稿詩篇)信仰への飢渇であり、

 

「遠い遠い実在への涙ぐましいあこがれ」「霊魂の“のすたるじや”」であったところのもので
いまは飢渇すべき対象でさえさだかでないままに飢え渇く魂が
ただ「帰港」すべきところを求めようとする飢渇である

 

 

詩人が苦しんできた飢渇の歴史を振り返り
現在のそれにたどり着きます。

 

 

この飢渇感は
詩集「氷島」巻頭の
冬日暮れぬ思い起せや岩に牡蠣
――の無目的感、虚無感として表白されたもの。

 

長い間、牡蠣のように朔太郎の内部に食いついた宿痾となったのにかかわらず
なおあり続けるもの、なのだが……。

 

 

この詩では
「氷島」の「退却」という方法である
客観的事物への感情移入という古風な形をとるのだ。

 

そうであっても
「蒼茫たる海洋の上」に
「叫び、渇き、熱意」し続ける軍艦の列が
この飢渇感を見事に表現している。

 

 

秀句としながら
「退却」であることに変わりがないことを指摘した評価となります。

 

 

那珂は
この鑑賞記を「詩篇小解」を掲示して結びます。

 

 

昭和4年1月、品川沖に観艦式を見る。時薄暮に迫り、分列の式既に終りて、観衆は皆散りたれども、灰色の悲しき軍艦等、尚錨をおろして海上にあり。彼等みな軍務を終りて、帰港の情に渇ける如し。我れ既に生活して、長く既に疲れたれども、軍務の帰すべき港を知らず。暗澹として碇泊し、心みな錆びて牡蠣に食われたり。いかんぞ風景を見て傷心せざらん。鬱然として怒に耐えず、遠く沖に向て叫び、我が意志の烈しき渇きに苦しめり。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年12月 8日 (月)

那珂太郎の「氷島」否定論8/「乃木坂倶楽部」という余生

(前回からつづく)

 

昭和4年(1929年)7月、2児を連れて帰郷した朔太郎は、
同年末に単身で上京、
麻布の乃木坂倶楽部というアパートに住みはじめます。

 

短期間でしたが
ここでの暮らしを歌ったのが
「乃木坂倶楽部」でした。

 

 

乃木坂倶楽部は麻布1連隊の付近、坂を登る崖上にあり。我れ非情の妻と別れてより2児を家卿の母に託し、暫くこのアパートメントに寓す。

 

連日荒妄し、懶惰最も極めたり。昼はベッドに寝ねて寒さに悲しみ、夜は遅く起きて徘徊す。

 

稀れに訪う人あれども応えず、扉(どあ)に固く鍵を閉せり。我が知れる悲しき職業の女等、ひそかに我が孤寠を憫む如く、時に来りて部屋を掃除し、漸く衣類を整頓せり。

 

1日辻潤来り、わが生活の荒蕪を見て唖然とせしが、忽ち顧みて大に笑い、共に酒を汲んで長嘆す。

 

青空文庫「氷島 萩原朔太郎」より。新かな・新漢字・洋数字に改め、改・行空きを加えました。編者。以下同。)

 

 

朔太郎の自註「詩篇小解」を那珂は引いて
この詩の成立の背景をまず読み
この自註自体を「凄然(せいぜん)たる名文」と激賞します。

 

 

この名文が
どれほど「事実」に即していたか
または離れていたか。
もはや問われることはありません。

 

詩篇に劣らない「詩」が
ここに存在することを
だれも否定することはない名文であり
那珂もそれを賛嘆します。

 

 

このように巻末自註を読んで
次に「乃木坂倶楽部」が読まれます。

 

 

乃木坂倶楽部

12月また来れり。
なんぞこの冬の寒きや。
去年はアパートの五階に住み
荒漠たる洋室の中
壁に寝台(べっと)を寄せてさびしく眠れり。
わが思惟するものは何ぞや
すでに人生の虚妄に疲れて
今も尚家畜の如くに飢えたるかな。
我れは何物をも喪失せず
また一切を失い尽せり。
いかなれば追わるる如く
歳暮の忙がしき街を憂い迷いて
昼もなお酒場の椅子に酔わむとするぞ。
虚空を翔け行く鳥の如く
情緒もまた久しき過去に消え去るべし。

12月また来れり
なんぞこの冬の寒きや。
訪うものは扉(どあ)を叩(の)っくし
われの懶惰を見て憐れみ去れども
石炭もなく暖炉もなく
白亜の荒漠たる洋室の中
我れひとり寝台(べっと)に醒めて
白昼(ひる)もなお熊の如くに眠れるなり。

 

(この詩は朔太郎晩年に朔太郎自身が朗読した肉声が保存されています。それが国立国会図書館のサービス「近代デジタルライブラリー」で聞けます。)

 

 

那珂は第7行、
すでに人生の虚妄に疲れて
――や
第9、10行、
我れは何物をも喪失せず
また一切を失い尽せり。
――が、すでに「青猫」後期以来の朔太郎詩のライト・モチーフであり
とくに後者(第9、10行)が
「虚無の鴉」や「我れの持たざるものは一切なり」(どちらも昭和2年発表)の
バリエーションに過ぎないことをまた指摘します。

 

この繰り返しを
朔太郎はいま、実生活上の経験から迫られたのであり
実生活が朔太郎の思想を模倣したのだと読み直すところに
那珂の読みの独創があります。

 

ここは那珂自身の言葉を
正確に写しておきましょう。

 

 

ほとんど、実生活が彼の思想を模倣し、注解したのであり、
そうすることによってここに人生は、彼の観念に復讐したのだといっていい。

 

 

実生活と思想との逆転。
人生と観念との逆転。
――と那珂がいうところは
私生活と詩の逆転と言い換えることができます。

 

そして……。

 

 

余生とは? 自分の過去の仕事に関して、注釈を書くための生涯を言う。
――という朔太郎のアフォリズム(絶望の逃走)そのままに
「余生」(宿命)に「注釈」するために生きることがこの詩で歌われたと読むのです。

 

白亜の荒漠たる洋室の中
――は、そのような「余生」だった!

 

 

ここまでの鑑賞のユニークさは
今でも効力を失っていないといえそうですが
最後に蛇足を加えるのを
どう読んだらよいでしょうか。

 

 

今も尚”家畜の如くに”飢えたるかな。
――と
白昼(ひる)もなお”熊の如くに”眠れるなり。
――とが
ともに動物の比喩である点で共通するが
家畜と猛獣という異質なものを登場させたのは
読者に心理的抵抗感を与えると述べて
この種の「瑕瑾(かきん)」は「氷島」のあちこちにあると難じるのです。

 

こういうところを些事(さじ)としない眼差しは
三好達治と似ている点でしょうか。

 

詩作の技術(論)に陥りがちな
実作者の傾向でしょうか。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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2014年12月 7日 (日)

那珂太郎の「氷島」否定論7/揺らぐ「帰郷」批評

(前回からつづく)

 

「近代文学鑑賞講座 第15巻・萩原朔太郎」の「氷島」の項で
「漂泊者の歌」の次に那珂太郎が鑑賞するのは「帰郷」です。

 

 

帰郷
    昭和4年の冬、妻と離別し2児を抱えて故郷に帰る

 

わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのお)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。
鳴呼また都を逃れ来て
何所(いずこ)の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未来は絶望の岸に向えり。
砂礫(されき)のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろえ
暗憺として長(とこし)なえに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒(いきどおり)を烈しくせり。

 

青空文庫「氷島 萩原朔太郎」より。歴史的かな遣いを新かな・新漢字に、漢数字は洋数字に改めました。編者。)

 

 

「帰郷」は
詩集「氷島」の配置では第5番の詩ですが
第3番の「乃木坂倶楽部」よりも先に那珂が鑑賞するのには
意味があることでしょう。

 

「帰郷」の成立事情を知ることが
那珂にとっては
詩を読むために重要なポイントなのでした。

 

 

那珂はこの詩の序詞に
昭和4年の冬、妻と離別し2児を抱えて故郷に帰る
――とあるこの「冬」が
作られたもの(フィクション)であることに注目します。

 

朔太郎の長女・葉子は
姉妹であるこの「2児」の姉であり
やがて「父・萩原朔太郎」(昭和34年発行)などの伝記を書きますが
この伝記の中で
実際に帰郷したのは(この「冬」の前の)夏であったことが書かれてあり
「帰郷」に朔太郎の作為(詩的設定)を読み取るのです。

 

詩(の序詞)ばかりではなく
「詩篇小解」にもこのフィクションがあることを
那珂は読み取り
「妻との離別という実生活上の経験に基づいて作られたもの」と記された「実生活」ではあるけれど
この程度の作為ははたらかせたのである、とコメントします。

 

さらに……。

 

 

この詩「帰郷」が
冒頭6行を前橋の敷島公園に建立された詩碑に刻まれた名高いものであり
また、詩中には
過去は“寂寥の谷”に連なり
未来は“絶望の岸”に向えり。
――とあり
これらが「事実的背景のもとに」歌われたものであるだけに
「実景との不釣合い」を指摘しないわけにはいかない、とまで述べるのです。
(※“ ”は那珂が付けたものです。原作では傍点です。)

 

 

詩が暗喩であっても
実景とそぐわないと言っているものと読めますが
ここのところは
那珂がこの詩を鑑賞するために述べておかなければならない最低限度だったのでしょう。

 

詩にフィクションがタブーであるとする考えは
オーソドックスな詩人たちの
現在でも不変の鉄則のはずのものですから。

 

 

ところが!
那珂は揺らぎはじめるのです。

 

 

実景との不釣合いを指摘したその直後、

 

砂礫(されき)のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろえ
暗憺として長(とこし)なえに生きるに倦みたり。
――と続く詩行を読んで
さすがに、この正述心緒の詩の力を、僕もまた否みえないのである
――という感想を洩らすのです。

 

そして続けます。
ここは全文を引きます。

 

 

この作は、それ自体決して「氷島」の中でも上出来のものとは、思わない。

 

それにもかかわらず、僕のように少年の頃からこの詩人を愛読してきたものにとっては、ここに至って、詩句そのものの力からくるのか、その背後の作者の幻影からくるのか、さだかには分ちがたい、みずからの異様な感動に、批評的戸惑いをおぼえずにはおれないのだ。

 

 

感動が批評を上回ると
批評を放棄するのです。

 

批評に超えるものがあると主張したかったのかもしれません。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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2014年12月 6日 (土)

那珂太郎の「氷島」否定論6/「漂泊者」の萌芽

(前回からつづく)

 

ここで「月に吠える」中の「見知らぬ犬」に
目を通しておきましょう。

 

朔太郎は「漂泊者の歌」を自解して
「巻頭に掲げて序詩となす」と述べていますが
「氷島」冒頭詩の歌うこの「漂泊者」は
那珂太郎によれば
すでに「月に吠える」に現われるというのですから。

 

 

見しらぬ犬

 

この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびっこをひいている不具(かたわ)の犬のかげだ。

 

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれている、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉っぱがしなしなとほそくうごいて居る。

 

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おおきな、いきもののような月が、ぼんやりと行手に浮んでいる、
さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずって居る。

 

ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはって、
わたしの背後(うしろ)で後足をひきずっている病気の犬だ、
とおく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向って遠白く吠えるふしあわせの犬のかげだ。

 

(青空文庫より。「新かな・新漢字」に変えました。以下同。編者。)

 

 

「見知らぬ犬」は「章題」でもあり
幾つかの詩篇のグループ中の一つで
「月に吠える」後期の作品です。

 

 

那珂太郎によればこの詩で
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない
――と歌われて以来
「青猫」末期から「『青猫』以後」にかけて歌われた「彷徨詩篇」に
「漂泊者」が繰り返し現われるとされています。

 

 

いま「彷徨詩篇」をたどりませんが
「見知らぬ犬」に続いて置かれた「青樹の梢をあおぎて」の乞食や
(那珂は触れていませんが)
ずっと前の方に置かれた「かなしい遠景」の労働者を眺める眼差しや
「悲しい月夜」に出て来る犬などにも
「漂泊者」は胚胎(はいたい)しているようでもあります。

 

ついでに読んでおきましょう。

 

 

青樹の梢をあおぎて

 

まずしい、さみしい町の裏通りで、
青樹がほそほそと生えていた。

 

わたしは愛をもとめている、
わたしを愛する心のまずしい乙女を求めている、
そのひとの手は青い梢の上でふるえている、
わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるえている。

 

わたしは遠い遠い街道で乞食をした、
みじめにも飢えた心が腐った葱や肉のにおいを嗅いで涙をながした、
うらぶれはてた乞食の心でいつも町の裏通りを歩きまわった。

 

愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい、おおきな海のような感情である。

 

道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、
ちっぽけな葉っぱがひらひらと風にひるがえっていた。

 

 

かなしい遠景

 

かなしい薄暮になれば、
労働者にて東京市中が満員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街(まち)中いちめんにひろがり、
あっちの市区でも、こっちの市区でも、
堅い地面を掘っくりかえす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
におい菫のひからびきった根っ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おいおい市中いったいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきった心臓がしゃべるを光らしている。

 

 

悲しい月夜

 

ぬすっと犬めが、
くさった波止場の月に吠えている。
たましいが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱している、
合唱している。
波止場のくらい石垣で。

 

いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあわせの犬よ。

 

 

「見知らぬ犬」は大正6年
「青樹の梢をあおぎて」も同じ大正6年の発表です。

 

まったく異なる世界のように思い過ごしがちな
「氷島」と「月に吠える」の世界とが
それほど隔絶した詩心によるものでないことを知り
少し驚きませんか?

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年12月 5日 (金)

那珂太郎の「氷島」否定論5/陳腐な「新年」

(前回からつづく)

 

「漂泊者の歌」を読む那珂太郎の方法は
オーソドックスな分析的手法といってよいのかもしれません。

 

篠田一士のとはまるで違います。

 

 

那珂が
「漂泊者の歌」を単語にまで分解し
「断崖」
「陸橋」
「鉄路」
「蹌爾」
「断絶」
「寂寥」
「氷霜」
――などの漢語や
とりわけ
「無限」
「久遠」
「輪廻」
「欲情」
「否定」
――などの観念語の多用について
「氷島」全般にみられる傾向と理解したうえで
朔太郎の「氷島の詩語に就いて」を引くのは
三好達治や寺田透の考えと異なる感想を述べようとするからのようです。

 

 

朔太郎はこれら漢語の使用について
意味の上よりも言葉の音韻の上で
壮烈なる意志の決断や
鬱屈した感情の憂悶を
感覚的に表現しようとした
――と説明しているのですが
これに対し那珂は
「漂泊者の歌」のような思想表白の詩である場合に
「言葉の効果」として危険な方法と批判します。

 

ここのところは
実作者でもある詩人の言語意識によっているものなのでしょうが
三好達治が「氷島」の表現について
「何かしら辻褄のあいかねるある無理矢理なつきつめ」「自壊作用」と読み
その「晦渋さ」を非難した点と
微妙な距離を表明したことになります。

 

ここは晦渋ではなく
飛躍した語法であると同時に緊張した詩的魅力をもたらすものであり
読者を撃つ(感動させる)ものであると那珂は説くのです。

 

 

読者を撃つものであるが
そこに大げさなポーズと重々しい漢語の乱用があるばかりに
思想詩としては空疎に感じられてしまうと主張して
寺田透の「氷島」肯定論(「朔太郎管見」)にも注文をつけます。

 

 

那珂はここで
朔太郎の「新年」の
いかなれば虚無の時空に
新しき弁証の非有を知らんや。
――を寺田が読むような「美しくも可能的解釈」とは正反対の読みを披瀝(ひれき)するのです。

 

この詩句は
「この虚無の世界に、どうしても新しい救いのてだてなどあろうか」というほどに
くだいて読み替えることができるのであり
そこには「『青猫』以後」以降の進展はない

 

ここでもまた繰り返しがあるだけで
続いて歌われる
わが感情は飢えて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり
――も陳腐で誇張だけがどぎつく目に付く比喩にすぎず
思想の停止と詩的想像力の欠乏があるだけではないかと断じるのです。

 

 

「新年」には
「詩」がどこにも存在しないというかのような断言といってよいでしょう。

 

このあたりは
三好の読みに近似しているところです。

 

どちらも言葉遣いの技術(論)の域を出ようとするものではありません。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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2014年12月 4日 (木)

那珂太郎の「氷島」否定論4/「漂泊者」はニーチェ模倣

(前回からつづく)

 

詩集「氷島」を
以上のように総括してのちに鑑賞記ははじめられ
「漂泊者の歌」
「帰郷」
「乃木坂倶楽部」
「品川沖観艦式」
「国定忠治の墓」
――の5篇が俎上(そじょう)に上ります。

 

「漂泊者の歌」は
篠田一士が絶賛したのをすでに読みましたから
那珂太郎の読みとの違いがはっきりします。

 

 

漂泊者の歌

日は断崖の上に登り
憂いは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の棚の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂う。

ああ汝 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追い行くもの。
いかなれば蹌爾として
時計の如くに憂い歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁い疲れて
やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)い行けど
いずこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

 

青空文庫「氷島 萩原朔太郎」より。新かな・新漢字に改めました。ブログ編者。)

 

 

那珂は朔太郎が付けた「詩篇小解」をまず読みます。

 

文庫本の小説を巻末の解説から読むような方法ですが
篠田が否定するこの方法で読みます。

 

 

断崖に沿うて、陸橋の下を歩み行く人。そは我が永遠の姿。寂しき漂泊者の影なり。巻頭に掲げて序詩となす。
――という「小解」の「漂泊者」は、
はやくも「月に吠える」の「見知らぬ犬」の中で
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない
――と歌われて以来、
「青猫」末期から「『青猫』以後にかけての「彷徨詩篇」で何度も繰り返された朔太郎の常套手法であった

 

 

「彷徨詩篇」というのは
三好達治がそう呼んだ一群の詩篇のことですが
ここで那珂が指摘するのは
「漂泊者の歌」には
ビジョンの衰退とイメージの枯痩(こそう)が目立つというものです。

 

 

この詩が喚起する視覚的映像は
わずかに陸橋の下、鉄路の柵の背後に漂う一つの影ばかり。

 

フィクショナルというには
あまりに日常的なイメージに過ぎず
最終連の
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さすら)い行けど
――にいたっては
あまりに辻褄を合わせた
平板なすすみ具合であるために
むざんさを増すのだ

 

詩人の想像力は
日常現実の次元につながれたままの
肩をいからせた悲愴調で
思索をそのまま表白しようとする(が空転している)。

 

 

人によっては
一つの詩がこうも異なって読まれるということの見本のようですが
那珂の読みは
詩があつかう内容が何度も繰り返されてきたために
新鮮味がないというものです。

 

 

さらに那珂は付け加えて指摘します。

 

「漂泊者」はニーチェの転用であり
そのニーチェも生田長江訳「ツアラトゥストラ」の影響であり
模倣とも剽窃(ひょうせつ)とも転用とも那珂はいわないけれど
あきらかにストレートな影響を受けていることを
具体例をあげて分析します。

 

その第一は
「漂泊者の歌」中の「かつて何物をも汝は愛せず……」は
「ツアラトゥストラ」第3部冒頭「漂泊者」の章の
「愛は、総てのものへの愛は、総てのものがただ生くるのみなる時、いと寂寥なる者の危険なり。
まことや、愛に於ける我が痴愚と、また我が諧謔とは笑ふべきかな。」と無関係ではない

 

第二は、
「石もて蛇を殺すごとく」の比喩は
次章「幻影と謎」の牧人と蛇の寓意を連想させるものである

 

第三には
「汝の家郷は有らざるべし!」は
ニーチェの詩「寂寥」の「今なほ、家郷あるものは幸ひなるかな!」と結びつく

 

 

このように
ニーチェの引用が
ニーチェの「鵜呑み」であるかのように読まれています。

 

先行する作品に影響を受けること自体は
非難されるべきことではないけれど
これはやはり朔太郎の詩的想像力の涸渇であろう、と記されはしていますが。

 

 

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
――は特に、
比喩の生彩を欠いた誇張であり
模倣である

 

ニーチェの影響を指摘しながら
ついにここで那珂は
「模倣」という語を使います。

 

 

一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。
――も
「『青猫』以後」の行き止まりの果ての
意志を喪失した自己に対する
真摯な自己指弾であり
詩的表現としては一応成功しているものの
これもやはり生田長江訳ニーチェの口ぶりがうつっていて
借り物めいていてあきたりない。

 

 

最終連の
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
――も思索の論理の上で前進がなく
「久遠の郷愁を追い行く」ことと「意志なき」との次元関係が明確にされていない

 

 

このように
詩行をひろいあげて
何一つ肯定するところもない詩と読んできた自分の読みに
ふとためらいを示した那珂は
「否定面を強調しすぎたかもしれない」と気づき

 

第3連
かつて何物をも信ずることなく
――には詩的緊張感があり
第2連
いかなれば蹌爾として
時計の如くに憂い歩むぞ。
――の比喩は
朔太郎ならではの新味があると賛意を示しますが
すぐさまそれも「『青猫』以後」に繰り返されたものと否定します。

 

 

いかなれば蹌爾として
――の「蹌爾(そうじ)として」という措辞(そじ)は
三好達治が難じたところですが
那珂は朔太郎の造語と理解を示していることも付け加えておきましょう。

 

 

しかし、
秀句ではないというのが
那珂の「漂泊者の歌」への評価でした。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年12月 3日 (水)

那珂太郎の「氷島」否定論3/「涸渇」である「退却」

(前回からつづく)

 

「氷島」が「心の日記」であると那珂太郎がいうのは
朔太郎が「自序」でそのように記しているのを受けたもので、

 

この詩集に納めた少数の詩は、すくなくとも著者にとっては、純粋にパッショネートな詠嘆詩であり、
詩的情熱の最も純一の興奮だけを素朴直截に表出した。

 

換言すれば著者は、すべての芸術的意図と芸術的野心を廃棄し、
単に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。

 

したがって著者は、決して自ら、この詩集の価値を世に問おうとは思っていない。

 

――と書かれているところを捉えたものでした。

 

詩的情熱の最も純一の興奮だけで詩が書けるものでなく
それを素朴直截に表出するというのも
そこには詩人の言語技術(とは書かれていませんが)が必要であるから
ここは単純に受け取ってはならない

 

三好達治の批判への反論として書かれた「『氷島』の詩語について」でも
文語使用の必然性や
語法上、韻律上の「心用い」のほどを縷々(るる)述べている

 

にもかかわらず
すべての芸術的意図と芸術的野心を廃棄したと朔太郎がいわねばならなかったのは
大きな理由があってのことだ

 

その理由こそ
朔太郎が認めざるを得なかった「退却(レトリート)」にあると
分析を加えていきます。

 

 

朔太郎はここに至って、内溢的ヴィジョン創造力の涸渇を自覚したのだ

 

発想もイメージの構成も
日常的現実世界にたよらざるをえなくなったことに
自ら後ろめたさをおぼえたのではなかったか

 

――と「涸渇」を指摘して、
「氷島の詩語に就いて」で朔太郎がいう「退却(レトリート)」に言及します。

 

その「退却」は
文語を用いたという単なる用語の問題なのではない
もっと根本的なものだった

 

かつて朔太郎が全体重をかけて排撃した自然主義。
その発想への退却であり
詩の方法論そのものの退却だった

 

「この詩集の正しい批判は、おそらく芸術品であるよりも、著者の“実生活の記録”であり」と
「自序」に書かざるをえなかったところに退却はあった

 

それこそは
詩人としての真の退却だった
――と「退却」はあるまじき「敗退」ででもあるかのように述べる口調は
「弾劾」の響きさえ帯びたものでした。

 

 

無論、弾劾の意図はあったはずがありません。

 

詩集が実生活の記録にまで後退したものであるのなら
自然主義への「退却(レトリート)」であり
朔太郎がそのことへの自覚にうすいことへの
痛烈な批判を述べたものでした。

 

永く朔太郎に私淑してきた詩人の
幻滅が自然に表明されたものと見ることができるでしょう。

 

 

「氷島」総論は
このような全否定に近い内容でしたが
各論である詩篇の鑑賞記には
一部否定ばかりではない深い読みが展開されます。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年12月 2日 (火)

那珂太郎の「氷島」否定論2/「郷土望景詩」の延長

(前回からつづく)

 

詩集「氷島」の那珂太郎の位置づけは
最後の詩集「宿命」への低い評価と相関して
「否定」に近いものといってよいでしょう。

 

「近代文学鑑賞講座 15巻・萩原朔太郎」(角川書店、1960年)で
「氷島」の項を那珂は次のように書き出します。

 

 

「郷土望景詩」が書かれたあと約10年を経て、昭和9年6月に刊行された詩集「氷島」は、萩原朔太郎のほとんど最後の詩集といっていい。

 

そのあと昭和14年9月に詩集「宿命」が出されはしたが、これは、中に幾篇かの散文詩の新作を含むとはいえ、その大部分は旧作の再録であり、おおむね編著というべきものでしかないからである。

 

 

「宿命」は詩集とはいえないものだから
「氷島」が朔太郎最後の詩集であると那珂太郎は言い切っているのです。

 

なぜ詩集といえないか。
その内容が再録作品であり、編著(編集著作)であるからだというのです。

 

詩人が出版した詩集を
詩集とは言えないと否定したのは
三好達治の考えに近いものです。

 

 

その上で、詩篇の構成と制作年から
「氷島」は前作「郷土望景詩」の延長線上にあるものとまずは
基本的認識を示し、

 

その「郷土望景詩」の文語慷慨(こうがい)調が
「氷島」でいっそう強まり
よりあらわに、より直截に
思索表白的傾向を強化していると述べますが……。

 

 

思索表白的傾向とはまだるっこしい言い方ですが
「思索的な詩」になっているということでしょう。

 

 

朔太郎の詩が「思索的傾向」を強めたのだとしても
そのことが寺田透の指摘するような
「朔太郎が詩人として思惟するひとで真にありえたのはこの詩集において」であるということにはならない
――とここで「氷島」支持論者である寺田透の発言(「朔太郎管見」)を引き出し
それをきっぱりと否定しにかかります。

 

 

その理由について那珂は
朔太郎の「思惟」は
すでに「『青猫』以後」までの詩業で行われてきたものであり
「氷島」では、
その語調を変え形を変えた反芻(はんすう)でしかない。

 

朔太郎は「『青猫』以後」で
すでに到達すべき地点に到達していたのであり
(那珂はそのことを繰り返し述べてきたところだそうですが)
その到達点(=行きどまり)では
もはやビジョンの多彩さを産み出す力を失い
従来のスタイルで詩を展開することが出来なくなり
やむを得ず、または窮余の一策として
日常現実的次元での自己劇化をはかり
反語的ポーズで「宿命」への自己反噬(はんぜい)を演技しなければならなかった

 

 

反語的ポーズで「宿命」への自己反噬を演技しなければならなかった
――とはまた難解な言葉使いになりましたが
詩人は「自分に背(そむ)く」演技をしないではいられないピンチに立ったのであり
それは詩人の負った「宿命」への反語のつもりのポーズ(見せかけ)でしかなかった、というような意味。

 

 

倦怠と停滞から逃れるために
「悔恨」し「憤怒」し自己「弾劾」するのは人間の常であるし
朔太郎もそうであったのだ

 

「氷島」制作当時の実生活上の荒廃、
妻稲子との離別、
乃木坂倶楽部での独居生活なども
朔太郎の「宿命」の自己模倣だったのである

 

だからあらたな詩作の素材と動機を得て
「自序」に記されたように「心の日記」としての「氷島」を書くことができた

 

――と展開するのです。

 

 

「氷島」は
「私生活」が書かせた「心の日記」。
朔太郎という詩人の「宿命」の演出であった――。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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