茨木のり子の「哀しみ」/「清冽」(後藤正治著)を読んで
遅ればせながら、
「清冽 詩人茨木のり子の肖像」(後藤正治著、中公文庫)を読みました。
文庫になったから読んだようなもので
何年か前に単行本が発行されたときには
気になりつつも
買わず読まずにいたものが
身近に感じられて読む気になったものでした。
文庫化されるというのは
その本の評価が安定を示しているという安心感もありますが
より多くの読者の目にさらされて
その本がさらに広く知られるということですから
内容が理解される深さを欠くというようなことが起こるのかも知れませんが
そのことによって鍛えられて「篩(ふるい)」にかけられるということでもあって
だからこそ読む意欲が湧いてくる
――というのがこの頃の読書の動機(モチベーション)になりました。
「文学」や「詩」の専門家じゃあるまいし
ただの読者の目で本は読まれてOKOK。
単刊発行本を買い求め
読み急ぐ読書好きでは
もはやなくなって久しいことに
いまさらながらに気づきます。
◇
「詩」はいつ読まれてもよいものですから
「遅ればせ」に読んでいっこうに変ではなく
2010年初版のこの「清冽」を
いま中公文庫で読めたことを
嬉しく感じているというわけです。
といってもこれは
「詩人の肖像」であって
詩そのものではありませんが。
2日間で
一気に読み終えてしまいました。
◇
初めて知った色々なことがありましたが
特に茨木のり子の晩年を追ったくだりが
心を撃ち
いまも響いているのは
自分が齢を重ねたことからくるものでありましょうが
茨木がまだ晩年とはいえない歳に
夫・三浦安信と詩人・金子光晴とが相次いで亡くなるといった悲しみがあり
このときのことを回想している茨木の文がありまして
それが「詩」からくることなのだと思い直して
ここにその「詩」を紹介してみたくなりました。
といっても
それは詩になったものではなく
散文で表わされたものです。
「清冽」に著者の後藤正治が引用している
エッセイのわずかな文です。
「最晩年」というその文は
「現代詩手帖」1977年9月号に掲載されたものですが
後藤がその結びの部分を引いていまして
「一億二心」という第9章を閉じる結びでもあります。
(※「最晩年」はちくま文庫「茨木のり子集 言の葉2」に収録されているようです。)
この章を初めから読んできて
この本を初めから読んできて
ここでも茨木のり子という詩人を初めて知る経験をするので
できれば初めからこの本「清冽」を読むのがベストですが
ここではその一部であることは致し方なく
紹介します。
◇
金子さんの笑顔を私は愛していた。性格には仙と俗とが入りまじり、その配分は絶妙だっ
たが、あの笑顔は仙そのものだった。沈思の表情を捉えた写真には傑作が幾つかあるが、
笑顔のあの一瞬の美しさを捉えきったものにはまだお目にかかっていない。レンズでは捉
えきれない何かがあったように思う。
夫の笑顔も私は好きだった。五月末と六月末とに、二つながらに消え失せてしまい、もう
二度と接することができないという思いは、足元のぐらつくほどの哀しみである。
◇
文庫本で6行余りの行数ですが
夫を失った哀しみが
詩人・金子光晴の死とともに
ここではさりげなく語られています。
◇
今回はここまで。
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