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2015年1月12日 (月)

寺田透の「氷島」支持論6/「虚無の時空」の奇蹟

(前回からつづく)

 

 

 

詩の鑑賞を記すのは散文ですから

 

散文に目を奪われてしまって

 

肝心の詩をそっちのけにする危険な傾向があります。

 

 

 

あくまで詩を読もうとして

 

他者の鑑賞記録を読むのですから

 

詩から離れないようにすることが大切です。

 

 

 

 

 

 

新年

 

 

 

 

 

新年来り

 

門松は白く光れり。

 

道路みな霜に凍りて

 

冬の凜烈たる寒気の中

 

地球はその週暦を新たにするか。

 

われは尚悔いて恨みず

 

百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

 

いかなれば虚無の時空に

 

新しき弁証の非有を知らんや。

 

わが感情は飢えて叫び

 

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

 

いかんぞ暦数の回帰を知らむ

 

見よ! 人生は過失なり。

 

今日の思惟するものを断絶して

 

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

 

 

 

 

(青空文庫「氷島」より。現代表記に直してあります。編者。)

 

 

 

 

 

 

 

 

思想者・寺田透の「新年」読解は

 

まだまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

朔太郎にとって現世は

 

自然界も人間界も

 

かれを救い慰め明日への活力を与えてくれるものではなく、

 

 

 

我れ既に生活して、長く疲れたれども、帰すべき港を知らず。

 

暗澹として碇泊し、心みな錆びて牡蠣に食われたり。

 

――と「品川沖観艦式」に自註(詩篇小解)しているような境地にあり、

 

虚無以外ではなかった。

 

 

 

虚無は与えず励まさぬものであった。

 

 

 

 

 

 

であるから

 

「新しき弁証の有」(「新しき弁証の非有」にではなく!)

 

――それは進歩や成長の安泰を打ち砕くもの!――に

 

はかなくも熱烈な望みをかけることしかなくなっている。

 

 

 

生き延びる可能性はそこにしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「弁証の有」は変化(進歩)、

 

 

 

 

 

「弁証の非有」は非・変化(進歩)

 

 

 

 

 

――ということでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の悔恨、昨日の弾劾を新たにする間に

 

「新しき弁証」の発生を期待できるのではなかろうか。

 

 

 

悔恨、弾劾を繰り返すことに

 

懲りることはない。

 

なんら苦にならない。

 

 

 

むしろその中から

 

光は見えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「新しき弁証の有」と「新しき弁証の非有」と。

 

 

 

 

 

 

朔太郎の存在を否定しにかかる外部存在、

 

すなわち変化をとどめるもの。

 

 

 

それに対峙する「止揚形態以外の変化の発生」を

 

奇蹟を待つように期待する

 

 

 

止揚形態以外の変化とは

 

弁証法以外の運動法則ということですから

 

とても稀な変化ということになります。

 

 

 

ディアレクティケー(弁証法)の一般法則を超える奇蹟

 

――を朔太郎は望んでいたのであり

 

その望みを「新年」の(あの)2行

 

いかなれば虚無の時空に

 

新しき弁証の非有を知らんや。

 

――で歌ったのである。

 

 

 

 

 

 

「新しき弁証の非有」を

 

ようやく読み解いてなお

 

「新年」は読み終えられていません。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

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