寺田透の「氷島」支持論10/「蝶を夢む」にはじまる
(前回からつづく)
「愛憐詩篇」の序文には、
やさしい純情にみちた過去の日を記念するために、このうすい葉っぱのような詩集を出すことにした。(略) この詩集を世に出すのは、改めてその鑑賞的評価を問うためではなく、まったく私自身への過去を追憶したいためである。あるひとの来歴に対するのすたるじやとも言えるだろう
――とあり、
「氷島」には、
……著者は、すべての芸術的野心を廃棄し、単に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがって著者は、決して自ら、その詩集の価値を世に問おうと思って居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく芸術品であるよりも、著者の実生活の記録であり、切実に書かれた心の日記であるのだろう
――とあります。
(現代表記に直してあります。編者。)
◇
ここに見られるように
「来歴」と「心の日記」は
老若の差、
乾湿の差、
甘美辛苦の差はあっても
骨組みは符号している
――と読めるでしょう。
◇
「氷島」への寺田の読み解きは
このあたりでほぼ終えられるのですが
結びに「氷島」の詩風は朔太郎の作品歴のいつごろ芽生えたのだろうか
――という問いを加えます。
「氷島」と「愛憐詩篇」の序文に述べられている内容が相似していても
「氷島」の詩篇を作らせた詩風や詩法が
なお具体的に実作としてはじめられたのはいつのどの詩(集)なのか
その見当をつけようとします。
◇
「郷土望景詩」には
パテティックで慷慨調である点で
「氷島」を予感させるものがあるけれど
もう少し遡(さかのぼ)って
「蝶を夢む」にはじまりがある
――というのが寺田の主張です。
◇
それを例証するために取り出されるのが
「蝶を夢む」中の「まずしき展望」です。
げにきょうの思いは悩みに暗く
そはおもたく沼地に渇きて苦痛なり
いずこに空虚のみつべきありや
風なき野道に遊戯をすてよ
われらの生活は失踪せり。
――という「まずしき展望」の後半部ですが
この詩にめぐり逢った思索者・寺田透が抱いたのは
解放感でした。
◇
花のすえる匂い
なまあたたかい夜
軟体動物という言葉の呼びさます感覚
閉された庭
羊歯類
ほのじろい、うつけたような桜
透けて見える草の根
流れすぎる春の潮の肌ざわり。
そういう幻想が醸成する
さびしいという言葉さえエロティックな
明暗を定めがたい
けだるげな無限旋律による輪舞のような
「青猫」の詩境を僕とて感じられないわけではない
その架空の詩世界を作り出した詩人の技術が
そのからだの内部から分泌された
有機的な、体液のような技法であることを
わからないものではない
しかしまだそこには
辿りついていない、もどかしさを感じさせる何か
借り物めいた
決定的でない何かがある
◇
「青猫」というご馳走(という言葉を寺田は使っていませんが)をしたたかに振舞われた後に
「まずしき展望」を読んだからという理由だけでないことは
すでに延々と述べてきたとおり。
より明確にいえば
「『青猫』以後」こそが芸術的かつ現代的である
――という結論に至るのです。
「まずしき展望」の全行を上げておきましょう。
◇
まずしき展望
まずしき田舍に行きしが
かわける馬秣(まぐさ)を積みたり
雑草の道に生えて
道に蝿のむらがり
くるしき埃のにおいを感ず。
ひねもす疲れて畔(あぜ)に居しに
君はきゃしゃなる洋傘(かさ)の先もて
死にたる蛙を畔に指せり。
げにきょうの思いは悩みに暗く
そはおもたく沼地に渇きて苦痛なり
いずこに空虚のみつべきありや
風なき野道に遊戯をすてよ
われらの生活は失踪せり。
(青空文庫より。現代表記に直しました。編者。)
◇
今回はここまで。
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