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« 茨木のり子の自由の時間/「倚りかからず」の骨組みについて | トップページ | 寺田透の「氷島」支持論2/思惟する詩のはじまり »

2015年1月 7日 (水)

寺田透の「氷島」支持論/立原道造、杉浦民平との親交の中で

 

 

僕は朔太郎が好きでなかった。好きになろうとは思っていたが、やはり好きでなかった。十代の末から二十代のはじめにかけてのことだ。

 

――と寺田透は「朔太郎管見」を書き出します。

 

 

 

しかしそのうち、まるで有刺鉄線をもって装幀したような、いらいらと乾燥し、硬い感じの、まるで遠い荒蕪地帯から送られて来た遺品ででもありそうな「氷島」が発刊された。この詩集は勢いはげしく僕を貫いた。

 

――と。

 

 

 

 

 

 

この書き出しがさらに

 

杉浦民平や立原道造のようなそれまでもよく萩原朔太郎に通じたものたちはここに涸渇(こかつ)と焦燥をみとめ、これを朔太郎の衰退(すいたい)の証拠としたと覚えているが、(かれらは山村暮鳥を愛していた)僕には、朔太郎は、この詩集においてもっとも僕の近くに迫ったように感じられたものである。

 

――と補強されるところが寺田の論考の個性というものです。

 

 

 

寺田透は東京帝大で

 

杉浦民平や立原道造と一つの同人雑誌の仲間でした。

 

 

 

 

 

 

寺田透(1915~1995年)。

 

杉浦民平(1913~2001年)。

 

立原道造(1914~1939年)。

 

――という3人の生存期間に

 

中原中也(1907~1937年)をかぶせてみれば

 

中也の5、6歳下の世代が大学生だった頃に

 

「氷島」が発行されたということが浮かびあがってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立原と中也は「四季」で肩を並べているのですから

 

この4人は中也の同時代人ということになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1934年(昭和9年)に「氷島」は発行され

 

 

 

 

 

同じ年に「山羊の歌」も発行され

 

 

 

 

 

立原道造の「萱草に寄す」は1937年(昭和12年)に発行されています。

 

 

 

 

 

 

中也は1937年(昭和12年)に

 

立原は1939年(昭和14年)に亡くなり

 

寺田、杉浦は15年戦争を生き抜きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

寺田透は

 

杉浦、立原との親交の様子を織りまぜて

 

「氷島」の衝撃を語り出しました。

 

 

 

表紙をめくって

 

目に飛び込んできたのは

 

冒頭詩「漂泊者の歌」でした。

 

 

 

 

 

 

漂泊者の歌

 

 

 

 

 

日は断崖の上に登り

 

憂いは陸橋の下を低く歩めり。

 

無限に遠き空の彼方

 

続ける鉄路の棚の背後(うしろ)に

 

一つの寂しき影は漂う。

 

 

 

ああ汝 漂泊者!

 

過去より来りて未来を過ぎ

 

久遠の郷愁を追い行くもの。

 

いかなれば蹌爾として

 

時計の如くに憂い歩むぞ。

 

石もて蛇を殺すごとく

 

一つの輪廻を断絶して

 

意志なき寂寥を踏み切れかし。

 

 

 

 

 

ああ 悪魔よりも孤独にして

 

汝は氷霜の冬に耐えたるかな!

 

かつて何物をも信ずることなく

 

汝の信ずるところに憤怒を知れり。

 

かつて欲情の否定を知らず

 

汝の欲情するものを弾劾せり。

 

いかなればまた愁い疲れて

 

やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰らん。

 

かつて何物をも汝は愛せず

 

何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

 

 

 

 

 

ああ汝 寂寥の人

 

悲しき落日の坂を登りて

 

意志なき断崖を漂泊(さまよ)い行けど

 

いずこに家郷はあらざるべし。

 

汝の家郷は有らざるべし!

 

 

 

(青空文庫「氷島」より。新かな・新漢字に改めました。編者。)

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

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