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« 寺田透の「氷島」支持論11/戦争詩「南京陥落の日に」へ一言 | トップページ | 三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」その2 »

2015年1月21日 (水)

三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」

(前回からつづく) 

 

寺田透が朔太郎の戦争詩に言及したのですから

ここで三好達治の戦争詩についても

触れておくのは義務のようなことでしょう。

 

寺田がそれをやってくれれば文句はなかったのですが

そこまでは「管見」で展開されるはずはありませんでした。

 

 

 ですからここで(このブログで)

少しだけそれに触れておきましょう。

 

 

 

「氷島」を読むきっかけは

 

そもそも三好の「氷島」否定の「解説」にありましたし

 

多量の戦争詩を書いた三好が

 

戦後も「朔太郎読み」では第一人者の位置にあり続け

 

一般読者向けの文庫本の解説者に起用され続けている(現在も!)ことに

 

異和感を覚えるからでもありましたし。

 

 

 

 

 

 

今年2015年は

 

三好達治没後50年ということで

 

(TPPの行方次第で危ういものがありますが)

 

三好の著作権の保護期間が終了する年ですし、

 

また戦後70年ということで

 

文学者の戦争責任への議論が活発になることも予想されますが

 

そういうこととは別にしても

 

三好達治の詩作品は

 

戦争と深く関っていますから

 

じっくりと読んでおきたいというのが

 

このブログのスタンスです。

 

 

 

 

 

 

といっても

 

文学とか評論とか批判とかをするつもりも余裕も力量もなく

 

あくまでも一読者の鑑賞メモほどのことであることに変わりありません。

 

 

 

 

 

 

岩波文庫の「三好達治詩集(桑原武夫・大槻鉄男選」」(1971年第1刷発行)は

 

解説を三好の三高時代の学友・桑原武夫が書いていますが

 

その末尾に、

 

 

 

戦争詩は収録しなかった。しかし「おんたまを故山に迎ふ」、「列外馬」、「ことのねたつな」などは

 

意味深い作品であるので、とくに採用した。

 

――とあるのは、

 

これらの詩が戦争詩であることをあきらかにした上で収録したという意味のはずです。

 

 

 

ここに挙げられている3作には

 

どうしてでも目を通しておかないわけにはいきません。

 

 

 

読むというより

 

まずは目を通しておくことからはじめてみます。

 

 

 

今回は「おんたまを故山に迎ふ」です。

 

 

 

 

 

 

おんたまを故山に迎ふ


 

ふたつなき祖国のためと

 

ふたつなき命のみかは

 

妻も子もうからもすてて

 

いでまししかの兵(つは)ものは つゆほども

 

かへる日をたのみたまはでありけらし

 

はるばると海山こえて

 

げに

 

還る日もなくいでましし

 

かのつはものは

 


この日あきのかぜ蕭々と黝(くろず)みふく

 

ふるさとの海べのまちに

 

おんたまのかへりたまふを

 

よるふけてむかへまつると

 

ともしびの黄なるたづさへ

 

まちびとら しぐれふる闇のさなかに

 

まつほどし 潮騒(しほさゐ)のこゑとほどほに

 

雲はやく

 

月もまたひとすぢにとびさるかたゆ 瑟々(しつしつ)と楽の音きこゆ

 


旅びとのたびのひと日を

 

ゆくりなく

 

われもまたひとにまじらひ

 

うばたまのいま夜のうち

 

楽の音はたえなんとして

 

しぬびかにうたひつぎつつ

 

すずろかにちかづくものの

 

荘厳のきはみのまへに

 

こころたへ

 

つつしみて

 

うなじうなだれ

 


国のしづめと今はなきひともうなゐの

 

遠き日はこの樹のかげに 閧(とき)つくり

 

讐(あだ)うつといさみたまひて

 

いくさあそびもしたまひけむ

 

おい松が根に

 

つらつらとものをこそおもへ

 


月また雲のたえまを駆け

 

さとおつる影のはだらに

 

ひるがへるしろきおん旌(はた)

 

われらがうたのほめうたのいざなくもがな

 

ひとひらのものいはぬぬの

 

いみじくも ふるさとの夜かぜにをどる

 

うへなきまひのてぶりかな

 


かへらじといでましし日の

 

ちかひもせめもはたされて

 

なにをかあます

 

のこりなく身はなげうちて

 

おん骨はかへりたまひぬ

 


ふたつなき祖国のためと

 

ふたつなき命のみかは

 

妻も子もうからもすてて

 

いでまししかのつはものの

 

しるしばかりの おん骨はかへりたまひぬ

 

 

 

(岩波文庫「三好達治詩集」より。) 

 

 

 

 

 

 

とりあえずは

 

こんな詩であるという案内です。

 

 

 

 

 

 

文語詩であり、歴史的かな遣いであるのを

 

ここで現代かな遣いへ直すことをためらうのは

 

古語表現を敢えて現代表記に直す意味はうすいものと考えるからです。

 

 

 

文語詩を選択した時点で

 

現代人への浸透を狭めているという認識は

 

このブログのものでありますが

 

だからといって現代表記への変更を強行するものではありません。

 

 

 

 

 

 

ついでにここで言っておきますが

 

中原中也の詩や散文を案内するときに

 

極力、現代表記に直しているのは

 

そうすることで中也の作品が現代(人)に何ら異和感なく通じるものだからです。

 

 

 

 

 

 

もう一つついでに言っておきますが

 

目下読み込んでいる茨木のり子の評論集「うたの心に生きた人々」(ちくま文庫)は

 

与謝野晶子、高村光太郎、山乃口貘、金子光晴の4人の詩人を紹介していますが

 

「はじめに」で茨木が、

 

 

 

うた・詩は、ほとんどが旧かなづかいでしたので、

 

新かなづかいに変えて引用させていただいたことを、おことわりしておきます。

 

 

 

――と書いているのに遭遇して

 

あらためて意を強くしました。

 

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

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