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2015年1月14日 (水)

寺田透の「氷島」支持論8/シェストフ的実存

(前回からつづく)

 

 

 

今日の思惟するものを断絶して

 

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

 

 

「新年」は

 

末行でこの2行を歌って閉じます。

 

 

 

 

 

 

何度でも何度でも同じ情念に苦しもうという心情の表白

 

――と、この詩行を読んで

 

寺田はここに歌われる思惟について考察し

 

またも「弁証法」を呼び出します。

 

 

 

ここで思惟とは

 

恒常不変の弁証法を軌道とし、方法とするもの、

 

つまり理性ということになる

 

 

 

合理、連続、明証、それらを手がかりとして

 

きのうによってきょうを、

 

きょうによってあすを予想し説明する、

 

持続的なもの体系的なもの、

 

それらを信奉することになるだろう

 

 

 

「大井町」に歌われた

 

貧しくうすよごれた日常的な姿をとるにせよ

 

持続し体系的なものは理性である

 

 

 

それを断絶して

 

百度もなお昨日の悔恨を新たにすると歌うのは

 

詩人がシェストフの徒になったからである

 

――と指摘するのです。

 

 

 

 

 

 

「新年」に現われる実存はシェストフに由来するということが

 

「氷島」評価が頂点に至ろうとするときに

 

寺田によって主張されたことは記憶されてよいことでしょう。

 

 

 

しかし、詩はそのように読まれたからといって

 

近くなるものではないことも銘記しておかねばなりません。

 

 

 

シェストフの名が挙がったからといって

 

詩が読めるものではないはずですから。

 

 

 

 

 

 

この決意。

 

 

 

何度でも何度でも

 

百度でも悔恨してみせるという決意。

 

 

 

それは涸渇ではなく、

 

自己への覚醒を語っている。

 

 

 

ここに寺田の鑑賞の到達点があります。

 

 

 

 

 

 

この覚醒は、

 

やわらかいもの変現(ママ)するもの、

 

甘美なものの断念が必要である

 

 

 

そのことが覚醒を涸渇と見誤られただけの話ではなかったか。

 

 

 

 

 

 

覚醒とは

 

宮沢賢治風に言えば

 

脂肪酸につつまれた詩人・朔太郎が

 

筋肉質の爽やかな人間になったということである。

 

 

 

 

 

 

シェストフが登場し

 

宮沢賢治が登場し。

 

そして、

 

「氷島」の「詩篇小解」と「序文」が

 

呼び出されます。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

「大井町」をあげておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

大井町

 

 

 

おれは泥靴を曳きずりながら

 

ネギや ハキダメのごたごたする

 

運命の露地(ろじ)をよろけあるいた。

 

ああ 奥さん! 長屋の上品な嬶(かかあ)ども

 

そこのきたない煉瓦の窓から

 

乞食のうす黒いしゃっぽの上に

 

鼠(ねずみ)の尻尾でも投げつけてやれ。

 

それから構内の石炭がらを運んできて

 

部屋中いっぱい やけに煤煙でくすぼらせろ。

 

そろそろ夕景が薄(せま)ってきて

 

あっちこっちの家根の上に

 

亭主の”しゃべる”が光り出した。

 

へんに紙屑(かみくづ)がべらべらして

 

かなしい日光のさしてるところへ

 

餓鬼共(がきども)のヒネびた声がするではないか。

 

おれは空腹になりきっちゃって

 

そいつがバカに悲しくきこえ

 

大井町織物工場の暗い軒から

 

わあっと言って飛び出しちゃった。

 

 

 

(「日本の詩歌 萩原朔太郎」より。現代表記に直してあります。編者。)

 

 

 

 

 

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