中原中也の新年(昭和10年)/「冷たい夜」
中原中也の正月は
どのような心模様であったでしょうか。
昭和11年(1936年)の日記に
正月の記載がありますから
それを開くとこんな具合です。
◇
1月6日
馬鹿者どもというものは、相手がしょんぼりしてると、張合がないようなことを云うけれど、それでて、
相手がしょんぼりしてれば自己満足しているものなんだ。フランス語。ルナールの日記。
◇
この冬に詩人は
山口の実家に帰省していません。
「馬鹿者ども」とは
文学関係のだれかであるか
付き合いのあっただれかのことか
だれかであることを特定できません。
正月早々、「人事」が詩人の心を占めていたことを物語りますが
「フランス語。ルナールの日記。」とあるところに注目しましょう。
詩人は正月早々であっても
あたかも現代の受験生のような猛烈な勉強中であったのです。
◇
「冷たい夜」は
この頃に制作されたもののようで
詩人が前年末に同人となることを承諾した
詩誌「四季」へ発表した初めての詩です。
「四季」初出の後
「在りし日の歌」に収録されました。
◇
冷たい夜
冬の夜に
私の心が悲しんでいる
悲しんでいる、わけもなく……
心は錆(さ)びて、紫色をしている。
丈夫な扉の向うに、
古い日は放心している。
丘の上では
棉(わた)の実が罅裂(はじ)ける。
此処(ここ)では薪(たきぎ)が燻(くすぶ)っている、
その煙は、自分自らを
知ってでもいるようにのぼる。
誘われるでもなく
覓(もと)めるでもなく、
私の心が燻る……
(日記、詩篇ともに「新編中原中也全集」より。新かな・新漢字に改めました。編者。)
◇
詩人の「時」は
俗事の中を流れてはいません。
ひとえに「心」に向かっています。
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