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2015年1月 3日 (土)

中原中也の新年(昭和10年)/「冷たい夜」

 

 

 

 

中原中也の正月は

 

どのような心模様であったでしょうか。

 

 

 

昭和11年(1936年)の日記に

 

正月の記載がありますから

 

それを開くとこんな具合です。

 

 

 

 

 

 

1月6日

 

馬鹿者どもというものは、相手がしょんぼりしてると、張合がないようなことを云うけれど、それでて、

 

相手がしょんぼりしてれば自己満足しているものなんだ。フランス語。ルナールの日記。

 

 

 

 

 

 

この冬に詩人は

 

山口の実家に帰省していません。

 

 

 

「馬鹿者ども」とは

 

文学関係のだれかであるか

 

付き合いのあっただれかのことか

 

だれかであることを特定できません。

 

 

 

 

 

正月早々、「人事」が詩人の心を占めていたことを物語りますが

 

「フランス語。ルナールの日記。」とあるところに注目しましょう。

 

 

 

詩人は正月早々であっても

 

あたかも現代の受験生のような猛烈な勉強中であったのです。

 

 

 

 

 

 

「冷たい夜」は

 

この頃に制作されたもののようで

 

詩人が前年末に同人となることを承諾した

 

詩誌「四季」へ発表した初めての詩です。

 

 

 

「四季」初出の後

 

「在りし日の歌」に収録されました。

 

 

 

 

 

 

冷たい夜

 

 

 

冬の夜に

 

私の心が悲しんでいる

 

悲しんでいる、わけもなく……

 

心は錆(さ)びて、紫色をしている。

 

 

 

丈夫な扉の向うに、

 

古い日は放心している。

 

丘の上では

 

棉(わた)の実が罅裂(はじ)ける。

 

 

 

此処(ここ)では薪(たきぎ)が燻(くすぶ)っている、

 

その煙は、自分自らを

 

知ってでもいるようにのぼる。

 

 

 

誘われるでもなく

 

覓(もと)めるでもなく、

 

私の心が燻る……

 

 

 

(日記、詩篇ともに「新編中原中也全集」より。新かな・新漢字に改めました。編者。)

 

 

 

 

 

 

詩人の「時」は

 

俗事の中を流れてはいません。

 

 

 

ひとえに「心」に向かっています。

 

 

 

 

 

 

 

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