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2015年1月 1日 (木)

萩原朔太郎の「新年」

 

 

AULD LANG SYNE!(蛍の光)」を歌って

 

「時」は確実に流れ(たように感じ)

 

そして「新年」が訪れました。

 




昭和7年(1932年)1月1日の萩原朔太郎を呼び出しましょう。

 

詩人47歳(数え年)の新年です。

 


 


新年

 


新年来り

 

門松は白く光れり。

 

道路みな霜に凍りて

 

冬の凜烈たる寒気の中

 

地球はその週暦を新たにするか。

 

われは尚悔いて恨みず

 

百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

 

いかなれば虚無の時空に

 

新しき弁証の非有を知らんや。

 

わが感情は飢えて叫び

 

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

 

いかんぞ暦数の回帰を知らむ

 

見よ! 人生は過失なり。

 

今日の思惟するものを断絶して

 

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 


(青空文庫「氷島」より。詩篇、小解ともに、歴史的かな遣いを新かな・新漢字に改めました。ブログ編者。)

 


 

 

 

悔いて恨みず

 

――は「忍びて終わり悔いなし」(高倉健)に通じるでしょうか。

 

 

 

 


百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

 

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

――の烈しさは

 

大きな飢渇(きかつ)の塊(かたまり)のようで

 

とらえどころがありません。

 


しかし、

 

歳を経るにしたがい

 

振れるものがあることを感じるのです。

 

 

 

 


以下は「詩篇小解」という

 

詩人の自註です。

 


 


 新年  新年来り、新年去り、地球は百度回転すれども、宇宙に新しきものあることなし。年年歳歳、我れは昨日の悔恨を繰返して、しかも自ら悔恨せず。よし人生は過失なるも、我が欲情するものは過失に非ず。いかんぞ一切を弾劾するも、昨日の悔恨を悔恨せん。新年来り、百度過失を新たにするも、我れは尚悲壯に耐え、決して、決して、悔いざるべし。昭和七年一月一日。これを新しき日記に書す。

 

 

 

 

 

 

 

 

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