カテゴリー

2022年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」その2 | トップページ | 三好達治の戦争詩について/「列外馬」の背景 »

2015年1月24日 (土)

三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」その3

 

 

 

 

 

 

(前回からつづく)

 

 

 

 

 

月また雲のたえまを駆け(=月が雲間に走るように見え隠れし)

 

さとおつる影のはだらに(=さっと落ちて影がまだら状になっている地上に)

 

ひるがへるしろきおん旌(はた)(=翻っている白い御旗)

 

われらがうたのほめうたのいざなくもがな(=われらが歌う褒め歌などないほうがよいがなあ)

 

ひとひらのものいはぬぬの(=一枚の物言わぬ布切れが)

 

いみじくも ふるさとの夜かぜにをどる(=なんと心に迫るものか、ふるさとの夜風に踊る)

 

うへなきまひのてぶりかな(=極上の舞の手振りであることよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5連に現われる「白い旗」は

 

われらがうたのほめうたのいざなくもがな

 

――と歌われるくだりが晦渋で

 

読み過ごせない重要なところですが

 

「いざなくもがな」に立ち止まざるを得ません。

 

 

 

 

 

「もがな」は願望を表わす終助詞で「……であってほしい」の意味であるなら

 

「なくもがな」は「……でなくありたい」になりますから

 

そこに「いざ」という感動詞が加えられても強調するくらいのことで

 

「さて、ないほうがよろしかろう」の意味になり、

 

「われらが歌う褒め歌などないほうがよい」と読めます。

 

 

 

 

 

こう読んでいいものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全7連構成のうちのこの連(第5連)のこの行は

 

さりげなく目立ちませんが

 

ひねり出したような言葉使いを感じさせ

 

この詩への詩人のたくらみ(技)があるところ(のよう)です。

 

 

 

 

 

死んだ兵士をいくら褒めたところで

 

それは空しい

 

――という詩人の心の声がひょっこり現われたところ(のよう)です。

 

 

 

 

 

月が雲の陰になり

 

また現われては地上にまだらの影を作る

 

そこに白い旗が風に靡(なび)くのは

 

あれはまるで

 

そこに死者が息づいているのを見ているようだ。

 

 

 

 

 

そのひと時に浸(ひた)っているだけで十分である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「白い旗(旌)」は

 

棒切れに白い布をくくりつけたような粗末なものであったか

 

弔いのために村で用意してあるしっかりしたものであったか

 

どちらであっても

 

その旗は

 

物言わずに

 

折から吹き渡る夜風に揺れている様(さま)が

 

この上もなく(心のこもった)手振りの舞であると歌われるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6連そして最終連は、

 

 

 

かへる日をたのみたまはでありけらし(帰る日を願うこともないようでした)

 

――と出征していった兵士(第1連)が

 

思いのすべてを果たして

 

何物を余すというのか(何も余さず)

 

残すところもなく肉体を投げうって

 

遺骨ばかりがお帰りになった

 

 

 

 

 

二つとない祖国、二つとない命どころか

 

妻も子も親族までも捨てて

 

出征したあの兵士であることの

 

わずかな印だけである御骨(おほね)がお帰りになった

 

――と歌われるのですが

 

ここは詩のはじまりを繰り返すようでありながら

 

単なる繰り返し(ルフラン)を歌っているのではありません。

 

 

 

 

 

帰らないと誓った兵士は

 

骨になって無言で帰還したのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この詩は

 

その悲しみに寄り添いその悲しみを歌い

 

村人たちのその悲しみを慰める歌であり

 

兵士の御霊(おんたま)を鎮(しず)める歌です。

 

 

 

 

 

その点に絞って(他意はないように)読むことができますが

 

それではこの詩は

 

この詩が書かれた時代や時局と無縁に成立したのでしょうか。

 

 

 

 

 

そんなはずはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おんたまを故山に迎ふ」は

 

昭和14年(1939年)に刊行された第6詩集「艸千里」に収められています。

 

 

 

 

 

ということは

 

この詩の戦争は

 

太平洋戦争や第2次世界大戦のことではありません。

 

 

 

 

 

それらへと続く時代のはじまりを告げた

 

満州事変とか日華事変とかの戦争のことです。

 

 

 

 

 

いずれにしても

 

抽象的、観念的な戦争なのではなく

 

実際にあったリアルな戦争の1局面(銃後などという言葉があります)を歌ったもので

 

そのことを離れて読んでは詩を遠ざけることになるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「艸千里」を三好が刊行した昭和14年に

 

三好は40歳。

 

 

 

 

 

日華事変は2年前の昭和12年、

 

満州事変は昭和6年でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おんたまを故山に迎ふ



 

ふたつなき祖国のためと

 

ふたつなき命のみかは

 

妻も子もうからもすてて

 

いでまししかの兵(つは)ものは つゆほども

 

かへる日をたのみたまはでありけらし

 

はるばると海山こえて

 

げに

 

還る日もなくいでましし

 

かのつはものは

 


この日あきのかぜ蕭々と黝(くろず)みふく

 

ふるさとの海べのまちに

 

おんたまのかへりたまふを

 

よるふけてむかへまつると

 

ともしびの黄なるたづさへ

 

まちびとら しぐれふる闇のさなかに

 

まつほどし 潮騒(しほさゐ)のこゑとほどほに

 

雲はやく

 

月もまたひとすぢにとびさるかたゆ 瑟々(しつしつ)と楽の音きこゆ

 


旅びとのたびのひと日を

 

ゆくりなく

 

われもまたひとにまじらひ

 

うばたまのいま夜のうち

 

楽の音はたえなんとして

 

しぬびかにうたひつぎつつ

 

すずろかにちかづくものの

 

荘厳のきはみのまへに

 

こころたへ

 

つつしみて

 

うなじうなだれ

 


国のしづめと今はなきひともうなゐの

 

遠き日はこの樹のかげに 閧(とき)つくり

 

讐(あだ)うつといさみたまひて

 

いくさあそびもしたまひけむ

 

おい松が根に

 

つらつらとものをこそおもへ

 


月また雲のたえまを駆け

 

さとおつる影のはだらに

 

ひるがへるしろきおん旌(はた)

 

われらがうたのほめうたのいざなくもがな

 

ひとひらのものいはぬぬの

 

いみじくも ふるさとの夜かぜにをどる

 

うへなきまひのてぶりかな

 


かへらじといでましし日の

 

ちかひもせめもはたされて

 

なにをかあます

 

のこりなく身はなげうちて

 

おん骨はかへりたまひぬ

 


ふたつなき祖国のためと

 

ふたつなき命のみかは

 

妻も子もうからもすてて

 

いでまししかのつはものの

 

しるしばかりの おん骨はかへりたまひぬ

 

 

 

 

 

(岩波文庫「三好達治詩集」より。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

« 三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」その2 | トップページ | 三好達治の戦争詩について/「列外馬」の背景 »

058中原中也の同時代/三好達治の戦争詩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」その2 | トップページ | 三好達治の戦争詩について/「列外馬」の背景 »