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« 三好達治の戦争詩について/「おんたまを故山に迎ふ」その3 | トップページ | 三好達治の戦争詩について/「列外馬」と阿蘇平原の馬 »

2015年1月26日 (月)

三好達治の戦争詩について/「列外馬」の背景

(前回からつづく)

 

 

 

「三好達治詩集」(岩波文庫、桑原武夫・大槻鉄男選、1971年第1刷発行)の解説で

 

「意味深い作品」として挙げられ

 

特別に収録された戦争詩は

 

「おんたまを故山に迎ふ」のほかに、

 

「列外馬」、「ことのねたつな」などがあります。

 

(※「など」とあるのは、戦争を歌った詩が明示されたこれら3作のほかにもあることを示しているようですが、それがどの詩であるのかは不明です。)

 

 

 

次に

 

「艸千里」にある散文詩「列外馬」を読んでみましょう。

 

 

 

 

 

 

列外馬

 

 

 

遠く砲声が轟(とどろ)いている。声もなく降りつづく雨の中に、遠く微かに、重砲の声が轟いている。1発また1発、間遠な間隔をおいて、漠然とした方角から、それは10里も向うから聞えてくる。灰一色(はいいっしょく)の空の下に、それは今朝から、いやそれは昨日からつづいている。雨は10日も降っている。広袤(こうぼう)無限の平野の上に、雨は蕭々と降りつづいている。

 

 

 

ここは泥濘(ぬかるみ)の路である。たわわに稔った水田の間を、路はまっ直ぐ走っている。黄熟した稲の穂は、空しく収穫の時期を逸して、風に打たれて既に向き向きに仆(たお)れている。見渡すかぎり路の左右にうちつづいた、その黄金色(こがねいろ)のほのかな反射の明るみは、密雲にとざされたこの日の太陽が、はや空の高みを渡り了って吊瓶(つるべ)落しに落ちてゆく。午後の時刻を示している。

 

 

 

今ここに一頭の馬――廃馬が佇んでいる。それは廃馬、すっかり馬具を取除かれて路の上に抛り出された列外馬である。それは蹄(ひづめ)を泥に没してきょとんとそこに立っている。それは今うな垂れた馬首を南の方へ向けている。恐らくそれは北の方から、今朝(それとも昨日……)この路の上を一群の仲間と共に南に向かって進軍を続けてきたものであろう。そうしてここで、その重い軛(くびき)から解き放たれて、

 

――とうとうこいつも駄目になった、いいから棄てて行け。

 

 

 

そんな言葉と一緒に、今彼の立っているその泥濘の上に、すっかり裸にされた上で抛り出されたものであろう。そうして間もなく、その時まで彼もまたその一員だったその一隊の軍隊は、再び南の方へと進軍を起して、やがて遠く彼の視界を越えて地平に没し去ったのであろう。

 

 

 

激しい掛け声も、容赦ない柏車(はくしゃ)も鞭打ちも、ついに彼を励まし促し立てることの出来なくなった時、彼はここに棄てられたのである。彼にも急速が与えられた。そうして最後に休息の与えられたその位置に、彼はいつまでも南を向いて立っている、立ちつくしている。尻尾一つ動かそうとするでもなく、ただぐったりと頭を垂れて。

 

 

 

見給え、その高く聳(そび)えた腰骨を、露わな助骨を、無慙な鞍傷を。膝のあたりを縛った繃帯にも既に黝ずんだ血糊がにじんでいるではないか。

 

 

 

たまたまそこへ1台の自動車が通りかかった。自動車はしきりに警笛の音をたてた。彼はそれにも無関心で、車の行手に立ち塞がったまま、ただその視線の落ちたところの路面をじっと見つめていた。車はしずかに彼をよけて通りすぎなければならなかった。

 

 

 

広漠とした平野の中の、彼はそうしていつまでも立ちつくしていた。勿論彼のためには飢えを満すべき一束の枯草も、風雨を避くべき厩舎もない。それらのものが今彼に与えられたところで、もはやそれが何にならう、彼には既に食慾もなく、いたわるべき感覚もなくなっていたに違いない。

 

 

 

それは既に馬ではなかった。ドラクロアの「病馬」よりも一層怪奇な姿をした、ぐっしょり雨に濡れたこの生き物は。この泥まみれの生き物は、生あるものの一切の意志を喪いつくして、そうしてそのことによって、影の影なるものの一種森厳な、神秘的な姿で、そこに淋しく佇んでいた。それは既に馬ではなかった、その覚束ない脚の上にわずかに自らを支えている、この憐れな、孤独な、平野の中の点景物は。

 

 

 

折からまた20人ばかりの小部隊が彼の傍らを過ぎていった。兵士達は彼の上に軍帽のかげから憐憫(れんびん)の一瞥(いちべつ)を投げ、何か短い言葉を口の中で呟いて、そうしてそのまま彼を見捨てて、もう一度彼の姿をふりかえろうともせず、蕭然と雨の中を進んでいた。

 

 

 

雨は声もなく降りつづいている、小止みもなく、雨は10日も降っている。

 

 

 

やがて時が来るだろう、その傷ついた膝を、その虔(つつ)ましい困憊(こんぱい)しきった両膝を泥の上に跪(ひざま)づいて、そうして彼がその労苦から彼自身をとり戻して、最後の憩いに就く時がやがて間もなく来るだろう。

 

 

 

遠く重砲の音、近く流弾の声。

 

 

 

(読みやすくするために、旧かなを新かなに変え、原詩の改行部に1行空きを加えました。適宜、漢数字を洋数字に改めました。編者。)

 

 

 

 

 

 

軍馬として用をなさなくなった廃馬が

 

軍列から離され

 

列の外に捨て去られるのを「列外馬」という。

 

 

 

聞きなれない言葉は

 

かつて陸軍士官学校を中退した詩人こそが知る専門語であったか。

 

 

 

一般人も普通に知っていたものか。

 

 

 

表意文字である漢字に親しい日本人なら

 

容易に意味を理解するところの言葉でしょうけれど

 

やはりこれは戦争の馬なのです。

 

 

 

 

 

 

比較的に長い詩ですが

 

きわめて分かりやすい内容なのは

 

1頭の馬が雨の降る平原に立っているという

 

それだけのことの描写とそのわずかな背景を歌っているからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

馬の立っているところに

 

 

 

 

 

自動車が通り

 

 

 

重砲、銃弾の音が聞えるというのですから

 

この戦地は大陸のどこかのものなのでしょうか。

 

 

 

それとも、

 

市街地をひかえた

 

どこかの軍事基地か練兵場近辺の平原なのでしょうか。

 

 

 

ドラクロアの絵の引例がありますから

 

西欧の小説などから詩想を得たということもあるかもしれません。

 

 

 

いずれであっても

 

この馬はまた

 

日華事変や満州事変に由来するものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

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