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2015年1月 6日 (火)

茨木のり子の自由の時間/「倚りかからず」の骨組みについて

茨木のり子の漂泊や放浪は

自由に近く

その自由は晩年には寂寥を道づれにすることになりました。

 

 

晩年というほどの年輪にさしかかったころに

詩集「倚りかからず」は編まれたにもかかわらず

このころの自由には初々(ういうい)しさが滲んでいます。

 

冒頭詩「木は旅が好き」の次に配置された

「鶴」の旅もまた

自由の変奏曲として聴くことができるかもしれません。

 

 

 

鶴が

ヒマラヤを越える

たった数日間だけの上昇気流を捉えて

巻きあがり巻きあがりして

九千メートルに近い峨峨(がが)たるヒマラヤ山系を

越える

カウカウと鳴きかわしながら

どうやってリーダーを決めるのだろう

どうやって見事な隊列を組むのだろう

 

涼しい北で夏の繁殖を終え

育った雛もろとも

越冬地のインドへ命がけの旅

映像が捉えるまで

誰にも信じることができなかった

白皚皚(はくがいがい)のヒマラヤ山系

突き抜けるような蒼い空

遠目にもけんめいな羽ばたきが見える

 

なにかへの合図でもあるような

純白のハンカチ打ち振るような

清冽な羽ばたき

羽ばたいて

羽ばたいて

 

わたしのなかにわずかに残る

澄んだものが

はげしく反応して  さざなみ立つ

今も

目をつむれば

まなかいを飛ぶ

アネハヅルの無垢ないのちの

無数のきらめき

一九九三・一・四 NHK「世界の屋根・ネパール」

 (ちくま文庫「倚りかからず」より。)



詩集「倚りかからず」には

18篇の詩が収録されていますが(※「あとがき」にある15篇という計算は間違いでしょう)

冒頭に置かれた「木の旅」と「鶴の旅」は

やがて世界各地・日本各地の風俗へ、

ピカソやマザー・テレサといった歴史的人物を歌った

「想像の旅」に変わり

中には実際に出かけた場所の見聞を歌ったものもあり

ニュースを題材にしたものもあり

……

末尾に至って「行方不明の時間」で結ばれます。

 

 

木の旅や鶴の旅は

詩人自身の日常の断面へと舞い戻り

最後には「行方不明の時間」で終わるのです。

 

ポワンと一人

なにもかもから離れて

 

詩人は世界から断絶した

まったき自由の時間(これを旅と言わない理由がありません)にもぐりこもうとします。

 

その「行方不明の時間」も読んでみましょう。

 

 

行方不明の時間


人間には

行方不明の時間が必要です。

 

なぜかはわからないけれど

そんなふうに囁くものがあるのです

 

三十分であれ 一時間であれ

ポワンと一人

なにものからも離れて

うたたねにしろ

瞑想にしろ

不埒なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸の婆のような

ながい不明は困るけれど

ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

 

所在 所業 時間帯

日々アリバイを作るいわれもないのに

着信音が鳴れば

ただちに携帯を取る

道を歩いているときも

バスや電車の中でさえ

<すぐに戻れ>や<今 どこに?>に

答えるために

 

遭難のとき助かる率は高いだろうが

電池が切れていたり圏外であったりすれば

絶望はさらに深まるだろう

シャツ一枚 打ち振るよりも

私は家に居てさえ

ときどき行方不明になる

ベルが鳴っても出ない

電話が鳴っても出ない

今は居ないのです

 

目には見えないけれど

この世のいたる所に

透明な回転ドアが設置されている

不気味でもあり 素敵でもある 回転ドア

うっかり押したり

あるいは

不意に吸いこまれたり

一回転すれば あっという間に

あの世へとさまよい出る仕掛け

さすれば

もはや完全なる行方不明

残された一つの愉しみでもあって

その折は

あらゆる約束ごとも

すべては

チャラよ

 

(前同。)

 

 

詩集という「旅」の

建築物のような骨組み。

この絶妙な構成。

堅牢さ。

 

冒頭2篇と末尾の詩にはさまれている詩を

一つ一つもう一度味わってみようという気がそそられます。


詩集を編むという意志が見えるではありませんか。

 

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