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2015年1月28日 (水)

三好達治の戦争詩について/「艸千里浜」の思われ人

(前回からつづく)

 

 

 

「艸千里浜」に

 

「二十年(はたとせ)の月日と」とあるのは

 

この詩が作られたのが1939年であるとして

 

1920年(大正9年)以降の年月ということになります。

 

 

 

 

 

 

岩波文庫「三好達治詩集」巻末の年譜を見ると

 

大正9年の項には

 

陸軍士官学校に入学とあり

 

大正11年には中退とあるのですが

 

大正4年には大阪陸軍地方幼年学校に入学(15歳)

 

大正7年に同校を卒業と同時に

 

東京陸軍中央幼年学校本科に進学

 

大正8年には同幼年学校本科の課程を修了し

 

北朝鮮会寧の工兵第19大隊に赴任

 

――といった軍人への経歴を積んでいることがわかります。

 

 

 

 

 

 

駒あそぶ高原(たかはら)の牧(まき)

 

 

 

「大阿蘇」の馬と違って

 

「艸干里浜」に現われる「駒」が遠景に退いたのは

 

20年前の友や思われ人が今やこの世に存在しないことの悲しみを意味するでしょう。

 

 

 

われをおきていずちゆきけむ

 

――は、わたくしを置いてどこへいってしまったのか

 

 

 

名もかなし

 

――には、愛(かな)しいのニュアンスがあります。

 

 

 

 

 

 

「大阿蘇」の馬は

 

雨の中に馬がたっている

 

馬は草をたべている

 

彼らは草をたべている

 

草をたべている

 

あるものはまた草もたべずに きょとんとしてうなじを垂れてたっている

 

馬は草をたべている

 

雨に洗われた青草を 彼らはいっしんにたべている

 

たべている

 

彼らはそこにみんな静かにたっている

 

ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集っている

 

――と、ひたすら立ち、食べ、集まっていることが描写されるだけで

 

そのことによって

 

「永遠の一瞬」という時間が捉えられました。

 

 

 

もしも百年が この一瞬の間にたったとしても 何の不思議もないだろう、と。

 

 

 

 

 

 

ただそれだけを歌うために現われた馬であることによって

 

その背後にある阿蘇山を大写しにした叙景詩でしたが

 

「艸千里浜」では人事が前面に歌われることになります。

 

 

 

 

 

 

「艸千里浜」の友や思われ人が

 

どのような人物を指しているのかを知れば

 

この詩はさらに近づいてくることでしょう。

 

 

 

そのことについて少しだけ触れておきます。

 

 

 

 

 

 

「艸千里」は

 

三好40歳の昭和14年(1939年)に刊行されました。

 

 

 

親友であった小説家、梶井基次郎が死んだのは

 

昭和7年(1932年)。

 

 

 

昭和11年(1936年)には「2.26事件」があり

 

陸軍幼年学校、陸軍士官学校で同志的存在だった西田税(みつぎ)が刑死しています。

 

 

 

「艸千里」の友や思われ人に

 

梶井基次郎や西田税らの面影があることは

 

間違いありません。

 

 

 

もちろんこのほかにも

 

三好の胸に去来した友や思われ人はあったかもしれませんが。

 

 

 

 

 

 

「大阿蘇」から「艸千里浜」へ

 

「艸千里浜」から「列外馬」へ。

 

 

 

「馬」というモチーフが接続してゆく流れは

 

この後どのようなうねりを見せるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

大阿蘇

 

 

 

雨の中に馬がたっている

 

一頭二頭仔馬をまじえた馬の群れが 雨の中にたっている

 

雨は蕭々(しょうしょう)と降っている

 

馬は草をたべている

 

尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐっしょりと濡れそぼって

 

彼らは草をたべている

 

草をたべている

 

あるものはまた草もたべずに きょとんとしてうなじを垂れてたっている

 

雨は降っている 蕭々と降っている 

 

山は煙をあげている

 

中嶽(なかだけ)の頂きから うすら黄ろい 重っ苦しい噴煙が濛々(もうもう)とあがっている

 

空いちめんの雨雲と

 

やがてそれはけじめもなしにつづいている

 

馬は草をたべている

 

艸千里浜のとある丘の

 

雨に洗われた青草を 彼らはいっしんにたべている

 

たべている

 

彼らはそこにみんな静かにたっている

 

ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集っている

 

もしも百年が この一瞬の間にたったとしても 何の不思議もないだろう

 

雨が降っている 雨が降っている

 

雨は蕭々と降っている

 

 

 

 

 

 

艸干里浜

 

 

 

われ嘗てこの国を旅せしことあり

 

昧爽(あけがた)のこの山上に われ嘗て立ちしことあり

 

肥(ひ)の国の大阿蘇(おおあそ)の山

 

裾野には青艸しげり

 

尾上には煙なびかう 山の姿は

 

そのかみの日にもかわらず

 

環(たまき)なす外輪山(そとがきやま)は

 

今日もかも

 

思出の藍にかげろう

 

うつつなき眺めなるかな

 

しかはあれ

 

若き日のわれの希望(のぞみ)と

 

二十年(はたとせ)の月日と 友と

 

われをおきていずちゆきけむ

 

そのかみの思われ人と

 

ゆく春のこの曇り日や

 

われひとり齢(よわい)かたむき

 

はるばると旅をまた来つ

 

杖により四方(よも)をし眺む

 

肥の国の大阿蘇の山

 

駒あそぶ高原(たかはら)の牧(まき)

 

名もかなし艸千里浜(くさせんりはま)

 

 

 

(岩波文庫「三好達治詩集」より。現代表記に直しました。編者。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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