寺田透の「氷島」支持論3/弁証法のレトリック
(前回からつづく)
「いかんぞ」という起句は
通常なら「や」という結句と呼応して反語表現(否定)とするものですから
文法的には「立たずや」「立たざらんや」とするところですが
ここに否定句がないのはおかしいと
三好達治なら指摘するところです。
◇
ところが寺田は
ここには「いずこに家郷はあらざるべし!」と同様の
「ねじまげられた使いざま」があるのであって
反語的機能は成立しないと読み直します。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
――を「立つ」意志として取ることが可能とするのです。
起句「いかんぞ」は結句「や」とともに
肯定・強調の役をするだけである、と。
◇
「帰郷」の詩人は
にっちもさっちも行かない混迷の渦の中にありました。
昭和7年制作の「新年」がこうして
「帰郷」と同じように誤解され易い(または理解され難い)表現が現われる例として
呼び出されます。
◇
道路みな霜に凍りて
冬の凛烈たる寒気の中
地球はその週暦を新たにするか。
われは悔いて恨みず
百度もまた昨日の弾劾を新たにせむ。
◇
賛否の分かれるこの詩を読み解く寺田の論法は
熟慮に熟慮を重ねたことが想像される
核心を突いたものになります。
かつてこの詩をめぐって
帝大生である杉浦民平らと議論を重ねた時間が
現在(「朔太郎管見」発表の1981年当時)も尾を引いているとでもいうように
杉浦の最近(同)の発言を寺田は引きながら
誤解されやすく理解し難い詩行を解釈してみせます。
杉浦民平がかつて理解不能としたところです。
◇
寺田の読み解きを要約することは至難であるのは
詩行そのものが多様な解釈の可能な難解さをもつからですが
「『青猫』以後」の序文を読みながら
ディアレクティケー(弁証法)のレトリックに共感できるのは
杉浦よりも自分であると言って
果敢に「新年」を読み進みます。
◇
「青猫以後」の序文には
「進歩はどこにもない。実にあるのはただ変化のみ」とあり
「進歩史観」(という語を朔太郎は使っていません)へのアンチ・テーゼが宣言されているのですが
このことは利根川のほとりに帰ることも
あす東京に出て来ることも等価の
流転の一局面にすぎないものかもしれないとして
いかなれば虚無の時空に
新しき弁証の非有を知らんや
――という詩行をよみほぐします。
◇
途中ですが
今回はここまで。
◇
「新年」全行を
現代表記で掲出しておきます。
◇
新年
新年来り
門松は白く光れり。
道路みな霜に凍りて
冬の凜烈たる寒気の中
地球はその週暦を新たにするか。
われは尚悔いて恨みず
百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。
いかなれば虚無の時空に
新しき弁証の非有を知らんや。
わが感情は飢えて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり。
いかんぞ暦数の回帰を知らむ
見よ! 人生は過失なり。
今日の思惟するものを断絶して
百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。
(青空文庫「氷島」より。)
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