茨木のり子の「漂泊・放浪」/「木は旅が好き」
新年だから特別ということではありませんし
浮かれているわけではありませんし
実情、むしろその反対の気分がいつもあるのですが
やはり新年は1年のうちで
「時」を感じる一番の節目(ふしめ)であるのは確かですから
こうして軌道を外れて
道草するのもまたよかろうということにしましょう。
◇
たまたま文庫本の「清冽」(後藤正治著)で茨木のり子に接し
詩集「倚りかからず」(ちくま文庫)
「茨木のり子 言の葉Ⅰ~Ⅲ」(同)
散文集「一本の茎の上に」(同)
評論「うたの心に生きた人々――与謝野晶子・高村光太郎・山之口貘・金子光晴」(同)
「茨木のり子詩集・谷川俊太郎選」(岩波文庫)
――とまずは入手しやすい文庫本を買い求め
中には書店で取り寄せ注文したり
第2詩集「見えない配達夫」(日本図書センター)は古書店で見つけたり
……と次々に手に入れ
短時間に多くの詩やエッセイなどを読みはじめることになりました。
まだその一部しか読んでいませんが。
◇
萩原朔太郎の詩集「氷島」への賛否両論をみていく順路を放棄したものではなく
「時」に感じての一休みみたいなものですが
もう少し茨木のり子の詩を読んでおきたくなったのは
「倚りかからず」をめくっていて
冒頭の詩「木は旅が好き」に現われる「放浪」「漂泊」が
朔太郎の「漂泊」へとかすかに反響している感じがしたからです。
◇
まったく関係ないと言えば
そうも言えるのですが
関係なかったとしても
「放浪」「漂泊」について歌った詩であることに違いはありませんから。
とにかく読んでみましょう。
◇
木は旅が好き
木は
いつも
憶っている
旅立つ日のことを
ひとつところに根をおろし
身動きならず立ちながら
花をひらかせ 虫を誘い 風を誘い
結実を急ぎながら
そよいでいる
どこか遠くへ
どこか遠くへ
ようやく鳥が実を啄(ついば)む
野の獣が実を嚙(かじ)る
リュックも旅行鞄もパスポートも要らないのだ
小鳥のお腹なんか借りて
木はある日 ふいに旅立つ――空へ
ちゃっかり船に乗ったのもいる
ポトンと落ちた種子が
<いいところだな 湖がみえる>
しばらくここに滞在しよう
小さな苗木となって根をおろす
元の木がそうであったように
分身の木もまた夢みはじめる
旅立つ日のことを
幹に手をあてれば
痛いほどにわかる
木がいかに旅好きか
放浪へのあこがれ
漂泊へのおもいに
いかに身を捩っているのかが
(ちくま文庫「倚りかからず」より。)
◇
「木」に仮託した放浪・漂泊への願望を
女だてらとみなす声もきこえそうですが
漂泊・放浪は男の特権であると決ったものでもないでしょう。
「あこがれ」「おもい」とあるところが
この詩のいのちなのでしょうし
その主語が「木」であるところに
茨木のり子がいます。
◇
朔太郎がこの詩を読んだら
どんな感想をもらすでしょうか?
中也はどう言うでしょうか。
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