三好達治の戦争詩について/「列外馬」と阿蘇平原の馬
(前回からつづく)
「列外馬」は口語散文詩ですから
新かな表記に直したほうが読みやすく
現代感がよみがえります。
旧かなでは
現代に通じるパワーが小さいのです。
◇
この詩は
どこかで目にした記憶があり
「三好達治詩集」(岩波文庫)をめくってみると
「霾(ばい)」の項があり
中に「大阿蘇」があり
もう少しめくっていると
「艸千里」の中の「艸千里浜」も阿蘇平原の馬をモチーフに現われ
制作年次が異なる「阿蘇の馬」を歌った作品であることがわかります。
大阿蘇のカルデラ平原に降る雨の下に群なす馬は
徴用され戦場に駆り出されて
病を得て廃馬とされ
いまや阿蘇ならぬどこかの草地に捨てられています。
ここに連続を見られるかどうか
実証できるものではありませんが
無関係であると言い切れないことは確かです。
◇
三好は昭和14年(1939年)に、
合本詩集「春の岬」と第6詩集「艸千里」の2冊の詩集を刊行します。
「春の岬」は
「測量船」「霾」「南窗集」「閒花集」「山果集」の単行詩集を合本にしたもの。
1930年から1939年までの三好達治の初期作品が集められました。
◇
「霾」は音読みで「ばい」、訓読みで「つちけむり」。
中国大陸北部の黄土が吹き上げられ
季節風にのって空を黄褐色に染める。
日本にも飛来し「黄砂」となることはよく知られていますが
「霾」は俳句で春を示す季語であり
俳句に通じる詩人の自然志向を示すものでしょう。
◇
「霾」に収められた「大阿蘇」と
「艸千里」に収められた「艸千里浜」を読んでみましょう。
◇
大阿蘇
雨の中に馬がたっている
一頭二頭仔馬をまじえた馬の群れが 雨の中にたっている
雨は蕭々(しょうしょう)と降っている
馬は草をたべている
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐっしょりと濡れそぼって
彼らは草をたべている
草をたべている
あるものはまた草もたべずに きょとんとしてうなじを垂れてたっている
雨は降っている 蕭々と降っている
山は煙をあげている
中嶽(なかだけ)の頂きから うすら黄ろい 重っ苦しい噴煙が濛々(もうもう)とあがっている
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけじめもなしにつづいている
馬は草をたべている
艸千里浜のとある丘の
雨に洗われた青草を 彼らはいっしんにたべている
たべている
彼らはそこにみんな静かにたっている
ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集っている
もしも百年が この一瞬の間にたったとしても 何の不思議もないだろう
雨が降っている 雨が降っている
雨は蕭々と降っている
◇
艸干里浜
われ嘗てこの国を旅せしことあり
昧爽(あけがた)のこの山上に われ嘗て立ちしことあり
肥(ひ)の国の大阿蘇(おおあそ)の山
裾野には青艸しげり
尾上には煙なびかう 山の姿は
そのかみの日にもかわらず
環(たまき)なす外輪山(そとがきやま)は
今日もかも
思出の藍にかげろう
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望(のぞみ)と
二十年(はたとせ)の月日と 友と
われをおきていずちゆきけむ
そのかみの思われ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齢(よわい)かたむき
はるばると旅をまた来つ
杖により四方(よも)をし眺む
肥の国の大阿蘇の山
駒あそぶ高原(たかはら)の牧(まき)
名もかなし艸千里浜(くさせんりはま)
(岩波文庫「三好達治詩集」より。現代表記に直しました。編者。)
◇
「大阿蘇」は馬に焦点はあり
「艸千里浜」は今は亡き友を偲ぶ歌のようですから
この二つの詩の馬には
主役(近景)と脇役(遠景)ほどの違いがあります。
この違いは
どこから来るものでしょうか?
◇
途中ですが
今回はここまで。
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