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« 茨木のり子の「ですます調」その13・金子光晴の恋愛詩 | トップページ | 茨木のり子の「ですます調」その15・中也と山之口貘の交流 »

2015年2月25日 (水)

茨木のり子の「ですます調」その14・金子光晴&森三千代の旅のはじまり

(前回からつづく)

 

愛する女性(それも妻)が

自分以外のほかの男と恋愛関係(肉体関係)になったら

どうしたらよいのか――。

 

人の心も欲望も愛情の関係も

時と場合によっては

自然に生じて激しく強いものであり

反面、儚(はかな)く移ろいやすいものでもありますから

いつ誰にでも降ってかかり得る自由の中に

何気なく生きているもので

他人事なのではありません。

 

一夫一婦制という法律も

自由な恋愛を妨(さまた)げるものではないということで

世の中に婚姻外関係もありふれた風景になりましたが

この時には「姦通罪」などというおぞましい法律が残存していました。

 

女性だけが不倫の罪を負ったのです。


北原白秋のように

姦通罪の相手として

妻の夫から告訴され

拘置されるというケースもありましたが。



 


現在でも不倫といえば

女性の過ちを意味し

男には不倫と言わず女遊びくらいで済まされる傾向はなくなっていません。

 

 

茨木のり子は

こうした男女の不平等を不満気に述べたものでしたが

そのことを突っ込んで論じる場合ではなく

さて金子光晴はどうしたかどのような思いで行動したかに目を向けます。

 

が、そう簡単にその答えが出るものでもなく

こちらもさらりと「男の意地」とコメントしたのです。

 

本当の答えは

その後の二人の放浪に似た長い旅路の中にあったはずでした。

 

 

金子光晴にも森三千代にも

なぜこの事態(事件)が起こったのか

即座に答えられるものではなかったはずですし

その答えを探すという営為を旅の中に委(ゆだ)ねるという選択そのものが

当面の答えなのでした。

 

 

詩人二人(金子光晴と森三千代)の

放浪のような旅のこれがはじまりだったようです。

 

 

あっ、と、ここで中原中也と長谷川泰子の事件を思い出すことになります。

 

中原中也はどうしたか

――とその時、その後のリアクションの足跡を辿り返してみるとき

現象としてまったく異なった形を見せる二人の詩人(金子光晴と中也)の行動の

その真底にあったものは

意外に同じような心境であったかもしれないことが想像できるというものです。

 

 

金子光晴はそのことを多くは語らず

中也は多くを詩に歌った――。

 

そんなふうに言えるでしょうか?

 

言えるものではありません。

 

 

金子光晴が

後年、このことに触れることは少なくても

触れないということではなく

時折、触れざるを得ないときに見せる真剣な面持ちは

事件の深刻さを物語って余りあります。

 

 

たとえば、茨木のり子は「最晩年」(1975年)の中で

そのことに触れようとしたけれど

深く突っ込むのを抑えたと思われる記述を残しました。

 

確信できませんが

晩年の光晴との会話の中には

二人の詩人(金子と茨木)の間に電流のようなものが走ったことが感じられます。

 

その部分を紹介しておきましょう。

 

 

いつか金子さんが拙宅を訪れ、医師である夫に狭心症と心筋梗塞の違いなどについて質問されたことがあった。

 

金子さんは夫を「先生、先生」と呼び、夫は金子さんを「あなたの場合は……あなたはですね」などと医師口調で<あなた>を連発し、私は大層具合の悪い思いをしながら黙っていた。

 

後になってから「茨木さんとこの御夫婦は、他人のつけ入る隙はねえってもンだね」と言われた。

 

ごくふつうの夫婦のつもりだったが、いろんな組合せの離合集散を視てきた具眼の士の言とあれば、並以上の仲のいい夫婦と太鼓判を押されたようなものであり、よその御夫婦には、他人のつけ入る隙がそんなにすかすか空いているものなのかしら? と笑ったことがあった。

 

(ちくま文庫「茨木のり子集 言の葉2」所収「最晩年」より。改行を加えてあります。編者。)

 

 

男と女の間にある隙(すき)を

金子光晴は

遠い日に経験した三角関係を抜きに口にしたとは思えません。


茨木が

金子と森三千代の遠い日の経験を

思い出さなかったはずもありません。





「最晩年」は

「だ・である調」で書かれている

夫・三浦安信と金子光晴の死についてのエッセイですが

茨木自身も老いの晩熟の域に入ったようで

飄々(ひょうひょう)とした書きっぷりに

一種凄みのようなものが加わっているのは

金子光晴の影なのでしょうか。


 


今回はここまで。

 

「女たちのエレジー」から

 

詩を一つ読んでおきましょう。

 

 

 

 

 

 

洗面器

 

 

 

(僕は長年のあいだ、洗面器といううつわは、僕たちが顔や手を洗うのに湯、水を入れるものとばかり思っていた。ところが爪硅人たちはそれに羊(カンピン) や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたえて、花咲く合歓木の木蔭でお客を待っているし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ しゃぼりしゃぼりとさびしい音をたてて尿をする。)

 

 

 

洗面器のなかの

 

さびしい音よ。

 

 

 

くれてゆく岬(タンジョン)の

 

雨の碇泊(とまり)。

 

 

 

ゆれて、

 

傾いて、

 

疲れたこころに

 

いつまでもはなれぬひびきよ。

 

 

 

人の生のつづくかぎり

 

耳よ。おぬしは聴くべし。

 

 

 

洗面器のなかの

 

音のさびしさを。

 

 

 

(「女たちのエレジー」より。現代表記に変えてあります。編者。)

 

 

 

 

  

「しゃぼりしゃぼり」は

金子光晴、谷川俊太郎、茨木のり子の鼎談(1975年)の帰り

金子の自宅まで同道した茨木が聞いた

金子の「おしっこ」が

そのようではなかったことを記すために

茨木が引いた音(オノマトペ)です。

 

 

 

「最晩年」にその記述がありました!

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