茨木のり子の「ですます調」その6・山之口貘のユーモア
(前回からつづく)
「うたの心に生きた人々」で高村光太郎の次には
ボヘミアン詩人・山之口貘が取り上げられます。
その章を読み進めていて
あるところに差し掛かって
ドーッと笑いが爆発してしまう記述がいくつもあり
これはもちろん素材である山之口獏という詩人のもつユーモア(人間味)のせいであるけれど
これを書いている茨木のり子という詩人のユーモアでもあるな、
と感心するところを紹介しましょう。
ここで「ですます調」であることが
この爆笑を誘い出すものとなんらかの関係がありそうでいて
そうと断言できるものでもなく
でも「だ・である体」では伝わらない秘密があるように思えてなりません。
◇
山之口貘は
どのような詩を書いたのでしょうか。
茨木が紹介するのは
「自己紹介」という詩です。
◇
自己紹介
ここに寄り集まった諸氏(しょし)よ
先ほどから諸氏の位置に就いて考えているうちに
考えている僕の姿に僕は気がついたのであります。
僕ですか?
これはまことに自惚(うぬぼ)れるようですが
びんぼうなのであります
◇
第1詩集「思弁の苑」は
1938年、貘さん34歳のときに出版され
その中にあるのがこの「自己紹介」です。
ついでに「処女詩集」という題の作品も読んでおきましょう。
◇
処女詩集
『思弁の苑』というのが
ぼくのはじめての詩集なのだ
その『思弁の苑』を出したとき
女房の前もかまわずに
こえはりあげて
ぼくは泣いたのだ
あれからすでに十五、六年も経っただろうか
このごろになってはまたそろそろ
詩集を出したくなったと
女房に話しかけてみたところ
あのときのことをおぼえていやがって
詩集を出したら
また泣きなと来たのだ
(「うたの心に生きた人々」より。)
◇
なんの説明もいらない詩は
ただ味わわれることを待っているだけです。
◇
山之口貘(1903~1963)は
沖縄出身の「貧乏詩人」として広く知られていますが
この詩は自らそれを宣言しアピールした詩ということになります。
貧乏であることを
人からあれやこれやと聞かれるまえに
どうせ聞かれることになるものなら
こちらから宣言しちゃったほうが後々スムーズにゆくだろう
――という幾分か諧謔(かいぎゃく)も混ざるような内容ですが。
◇
茨木が追うのは
貧乏であることからくる苦労とか惨状とかであるよりも
「貘さん」として親しまれた詩人の精神性であることに違いはなく
それはつまりは
詩人・山之口獏の詩そのものにほかなりません。
詩人の生涯を追いかけながら
詩人の作る詩の生まれる根源(源泉)を探って
詩とは何かみたいなことも考えていきます。
◇
1 ルンペン詩人
2 求婚の広告
3 貘さんの詩のつくりかた
4 ミミコの詩
5 沖縄へ帰る
6 精神の貴族
――という構成の内容を紹介できるものではありませんが
この詩「処女詩集」に登場する女房(貘さんの妻の静江さん)の実家に疎開したときのこと。
このときのことを記述する
茨木のり子の「ですます調」は
貘さんのユーモア(人間味)の呼吸が乗り移ったかのような口ぶりになり
貘さんの世界の中に没入したのか
貘さん自身が案内しているかのような面白みがあります。
◇
昭和19年、生まれたばかりの長女に「泉」と命名
いつしか「ミミコ」と呼ばれるようになる赤ん坊を
はじめて見る貘さんの妻の家族。
その歓迎ぶり。
それを記述する茨木のり子の筆致――。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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