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2015年2月12日 (木)

茨木のり子の「ですます調」その9・胸のすく山之口貘の絶品

(前回からつづく)

 

茨木のり子という詩人は

戦後に出発したのですから

戦前から活動してきた詩人とは異なり

「純然たる戦後詩人」(鮎川信夫)ということになるようです。

 

これは言い換えれば

茨木のり子の詩を読むことは

戦後詩を読む出発点にもなるということですし

戦後70年の足跡を辿るということでもあります。

 

いっぽう戦前から活動を継続している戦後詩人もあるわけですから

出発点を戦前に求めてもよいのですが

戦後詩を読む糸口として

茨木のり子はわかりやすい目印になるということです。

 

茨木のり子のわかりやすさは

こんなところにもあります。

 

 

ここで1963年に発行(初版)された

「現代詩人全集 第10巻 戦後Ⅱ」(角川文庫)に収録された詩人を列挙してみましょう。

 

秋谷豊

藤富保男

長谷川龍生

堀川正美

茨木のり子

石川逸子

城侑

金井直

川崎洋

木島始

清岡卓行

黒田喜夫

牟礼慶子

中江俊夫

中村稔

澤村光博

関根弘

嶋岡晨

新藤千恵

生野幸吉

菅原克己

鈴木喜緑

高野喜久雄

滝口雅子

谷川雁

谷川俊太郎

寺山修司

富岡多恵子

山本太郎

安水稔和

吉野弘

吉岡実

 

以上の32人です。

 

 

「うたの心に生きた人々」で茨木のり子はいま

山之口の活動を追う戦前にいます。

 

その第3章「さんの詩のつくりかた」では

一つの詩が生まれるまでにどれほどの時間が費やされるか

その鬼のような推敲ぶりを案内します。

 

山之口貘が

短い詩を一つ作り出すために

200枚、300枚の原稿用紙を使うことはしょっちゅうで

一番ぴったりしたことばを求めて

原稿用紙を引き破り引きちぎり

出来上がったときには書き損じの反古(ほご)の中に埋まっていたというエピソードは

誇張とはいえないものがあったようです。



茨木のり子はそこのところを、

さんの詩は頭でこしらえたものではなく、自分の血で書いたものでした。

思想でも論理でも、自分の血からでたものしか書こうとしなかった人です。

――と捉えます。

 

次の短い詩が

そのような苦闘の後に生まれたものでることを伝える「ですます調」は冴えざえとして

山之口の詩心に迫ります。

 

 

博学と無学

 

あれを読んだか

これを読んだかと

さんざん無学にされてしまった揚句

ぼくはその人にいった

しかしヴァレリーさんでも

ぼくのなんぞ

読んでない筈だ

 

 

詩の鑑賞が

その詩の背景をなす多量の知識の多寡(たか)で決まるような

よくありがちな風景への

山之口、渾身の一撃!

 

これに加えた茨木のり子のコメントは、

博学をもって鳴ったフランスの詩人、ポウル・ヴァレリイでも、山之口の詩は読んではいまい。

だったらかれも無学といえるんじゃないか。

まことにさっそうとした、胸のすくような、絶品の詩です

――とピタリと決めて胸を刺します。


珍しくここでは「ですます調」を逸脱します。

 


途中ですが

今回はここまで。

 

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