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2015年2月 7日 (土)

茨木のり子の「ですます調」その7・貘さんが乗り移る時!

(前回からつづく)

 

文章には流れというものがあって

たとえばそれは川の流れのようであって

時にゆっくりとゆったりと

滾々(こんこん)と滔々(とうとう)と

時に激しく波立ち

猛烈なスピードで

曲がったりまっすぐになったりひとつも休むことなく

時に清く

時に淀(よど)んで

時に気高く優しく

時に獰猛(どうもう)に怒り狂い

……。

 

長い文章の流れの

その一部が喚起(かんき)する

その時々の喜怒哀楽(感動)は

流れのはじまりからずっと辿(たど)ってきたからこそ得られるものですから

その一部を抜き出したところで

その感動を他人に伝えられるものではなく

同じような感動を伝えるというのは困難です。

 

 

茨木のり子の「ですます調」は

流れに乗って

やってきました。

 

さん一家は

空襲を避け

妻の故郷・茨城県のとある村に。

 

 

空襲もはげしくなってきて、あかんぼうを育てながらの東京生活は危険きわまりないものになってきたので、

昭和19年の暮れ、妻の実家のあった茨城県結城郡飯沼村の安田家へ疎開しました。

 

おばあさんは背中にくくりつけられたあかんぼうを見て、

「どれどれ、このやろ、きたのかこのやろ。」

といってよろこびました。

 

この地方ではなんでも「やろう」を下につけて呼び、ネズミもネコも、「ネズミやろう」「ネコやろう」となるのでした。

 

さん一家は、安田疎開と呼びすてにされましたが、そうしたなかでも泉はすくすくと大きくなり、

この地方のことばを習いおぼえて、さんに向かって、

「コノヤロ、バカヤロ。」

などという、はつらつとした女の子に育っていました。


(「うたの心に生きた人々」より。改行・行空きを加えてあります。)

 

 

ドレドレコノヤロキタノカコノヤロといって

あかんぼうは祝福されるのです。

 

コノヤロバカヤロといって

さんは

成長したあかんぼうから慕われるのです。

 

(笑)

 

 

茨木のり子の口ぶりは

さんの口ぶりになっています!

 

 

茨木のり子が「ですます調」で書いたのは

「うたの心に生きた人々」(1967年)や

「詩のこころを読む」(1979年)であり

比較的、初期の散文著作です。

 

ところが

後期の散文集である「一本の茎の上に」(1994年)の中にも

「山本安英の死」が1975年、

「おいてけぼり」が1976年、

「花一輪といえども」が1979年と、

70年代に書いたものがありますから

年代によって「ですます調」を使ったのではなく

内容によって使い分けたか

もしくは本にまとめる時点で

文体を整理し統一したということも考えられます。

 

初期散文を意識的に「ですます調」を使って書いたというより

結果的に初期散文に「ですます調」が多くなったということのようですが

後期の散文著作に「ですます調」があるのかないのか。

 

 

すこし調べてみましたら

やはり後期の散文に「ですます調」は見つけることはできませんでした。

 

 

「うたの心に生きた人々」と「詩のこころを読む」は

どちらも現代詩(人)への入門書という性格から

「ですます調」を使っているものと推察できますが

そうであっても(なくても)

茨木のり子の書くものが

わかりやすく、はきはきしていて

伝達することを第一にしていることは

「だ・である体」で書かれた「一本の茎の上で」を読んでいても

変わりがないようです。

 

 

そして――。

 

これらのことは

茨木のり子の詩についても

言えそうです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

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