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2015年2月24日 (火)

茨木のり子の「ですます調」その13・金子光晴の恋愛詩

(前回からつづく)

 

そして君の手を把ってあるときだけ

……神さま他はみなうそでもかまいません

ああこの漏刻(ろうこく)だけを信じさせて下さい

 

 

金子光晴のこの「小曲B」というタイトルの詩の一部を

茨木のり子は紹介して

森三千代への恋歌を紹介します。

 

この時ばかりは天下の無頼詩人も

「神さま」にすがるほかなかったのです!

 

こうして次々に

恋歌が生まれていったことは

それほど知られていません。

 

茨木の記述を続けて読みましょう。

 

 

こういう、ういういしい恋愛詩がたくさん書かれています。ふたりはいっしょに東北旅行にでかけました。

 

塩釜(しおがま)、松島、平泉(ひらいずみ)浅虫(あさむし)、碇ヶ関温泉(いかりがせきおんせん)、十和田湖(とわだこ)を一か月以上もかけてまわりました。

 

「日記一束(いっそく)」という文章のなかに、このときのことが、くわしく書かれています。

散文と詩でつづられた「日記一束」は、ふたりが愛をたしかめあった記録としていま読んでも、あふれるような情感をたたえています。

 

 

1923年(12年)7月に詩集「こがね虫」を刊行、

その2か月後にに関東大震災がありました。

 

森三千代と会ったのは1924年初めで

7月には三千代は懐胎(かいたい)します。

 

東北旅行はこの間に行われたらしく

長男・乾(けん、後に早稲田大学教授となる)はこの時にできたのでしょう。

 

茨木の記述はつづきます。

 

 

大正14年春、一子、乾(けん)が生まれました。森三千代は、東京女高師を卒業する寸前だったのですが、このことが原因で退学させられています。

 

貧乏もどん底で、家賃がはらえず、転々と夜逃げをしたり、親戚と一けん一けん、絶交したりしました。

 

ふつう一般の人から見たら、なんとも理解のしようのない詩人と、長い寮生活を送って、家事などいっさい知らず、知識欲だけではちきれそうな妻――、このふたりがいとなむ家庭は、まったく奇異なものとして、うつったことでしょう。

 

 

茨木のり子の記述は

森三千代からいったん離れますが

ふたたび現れるのは事件があったからです。

 

当初から波乱含みの結婚でしたが

やがて二人に事件がふりかかったのは

あたかも試練のようなことでした。

 

 

光晴の詩人としての状況を

茨木はまず記述します。

 

昭和初期のプロレタリア運動は「かれ草についた火のように燃えさかり」、

光晴もその火の粉を浴びて

詩作の方向を模索する日々の中にありました。

 

昭和2年の芥川龍之介の自殺は

プロレタリア運動隆盛の流れについていけなかったことが原因という説を紹介し

金子光晴も同じようにプロレタリア詩の方向へ一歩を踏み出すかどうか

迷いの中にあったのでした。

 

居場所のない、苦しい日々を送っていたところへ

事件は起きたのでした。

 

そのあたりを茨木は

 

そのうえ、もう一つ、不幸な事件がもちあがりました。夫人、森三千代と、東大の美学科に席を置いていたある美青年との恋愛でした。

 

――と書き起こしますが

これに続けるコメントこそに

茨木固有の女性の眼差しはあります。

 

さらりと要を得たコメントは

あっけないほど俗ですが

ここにも独特のわかりやすさが意図されていますから

じっくり味わいましょう。

 

 

そのころは、妻が恋愛をすると、罪に問われる法律がありました。夫のばあいはどうということもないのですから、まったく理くつに合わない法律です。

 

金子光晴には、たとえ別れるとしても、うばわれた妻を一度は取りもどしてからにしたいという、男の意地がありました。

 

 

金子光晴は真実のところ

どういうことを考えたのでしょう。

 

自由奔放に生きてきたからこその出会いであったはずの自由が

あろうことか妻によって行使され

自分はコキュの身に立たされたのでした。

 

 

今回はここまで。

 

金子光晴の詩集「水の流浪」から

一つを読んでおきましょう。

 

「水の流浪」は

森三千代と会う前に関西方面へ旅した中で作られました。

 

 

雷、女、くだもの

 


遠雷がひびいてくる。海洲のしびにくっつ

 いた牡蠣は雷をきくと、じぶんからピン

 ピン壊れて死ぬそうだ。

 


八つ手の葉が仄かな緑を透かせている部屋

 の磨硝子――その桟に、早蠅が一匹もが

 いている――が、ピ、ピ、ピ、ピと震う。


女は、まじり気ない金無垢だ。その梨地の

 まるい肩を撫でながら私は、荒く編んだ

 籐椅子といっしょにゆすぶっていた。


大きな雷が、いきなり、ふたりの頭を噛じ

 りにやってきた。


あっといって女は、私のふところに顔をつ

 っこんで、せまいところへからだごと入

 ってしまおうとあせる。その顔をのぞき

 こもうとすると、必死にくっついてはな

 れない。力争。くつくつと女は笑ってい

 る。


女のからだをふりまわすと、腕のもげた人

 形のようにぶらぶらになる。


瞬間! その肉を食いたいという熾烈な、

 野獣にかよう欲望がめざめた。


鬱屈した感情が一時に爆発すると、私はと

 め途もしらずわらいだした。


笑い、笑い、笑い!


きちがいのような大笑いと、雷が部屋のな

 かをころげまわった。

 


笑いと雷とは、おなじ軌道を走り回る。

           (大正十五年十二月)

 


(講談社「日本現代文学全集77」より。現代かなに改め、改行を加えました。編者。)

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