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2015年3月14日 (土)

現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その10「自序」について

(前回からつづく)

 

数えてみれば「こがね虫」には

合計で24篇の詩が収録されています。

 

この内の3分の1ほどの詩編を読んできたところで

ようやくその詩世界の右左(みぎひだり)というようなことが分かってきて

地図でいえば土地勘が出て来たというところです。

 

 

初めて詩集を開いたときには

詩集冒頭にある「自序」に何が述べられているのか

ピンと来なかったものですが

今や理解できる範囲に入って来ました。

 

 

「時」の勝(たえ)難い離愁は、宝石函のサフィールや、アメジストの夢を多面にする。

 この心情(こころ)の繊弱さや、駘蕩さ、華美さ、驕慢さは、何処の王宮から流謫されて来

たものであろう。

また、この阿片喫煙者の持つ「美しい幻影(まぼろし)」と、覚醒時の遣方ない悲しさ、寂し

さは……。

 

 

「自序」がこのように書き出されるのを

少しは親しく読めるようになっているのです。

 

 

若し、「夢」の晴衣裳が無かったなら、若し、「涙」がいつも、涸濁して居たら、此髑髏は、

何たる惨めな地獄行であったろう。

 

 

このあたりは

詩集が生まれた動機について書かれているということでしょう。

 

1919年に25歳であった詩人・金子光晴の

胸のうちを支配していたのは

「離愁」でした。

 

「時の離愁」でした。

 

 

「自序」はしばらく

詩歌が詩人とともにあったことを述べた後、

「こがね虫」1巻こそが生命をかけた渾身の作品(贅沢な遊び)であることを宣言し

この詩集が生まれた直接的な経緯にふれます。

 

詩人・金子光晴を決定づけたと後に言われるようになる

二つの外遊の内の最初の経験の記述に入ります。

 

その記述のさわりの部分――。

 

 

西暦1919年2月、余の欧羅巴旅行は積歳の膿漿(アイテルング)を切解した。

それは、永年の「懈怠(おこたり)」を、いみじくも脱套した。

 

 余は「無目的」の爽快を呼吸した。

 

 生涯の楽しい蜜月、ブルッセル郊外、ショーセー、ダックトに沿える小村、デヒーガムに

居住せる6か月間、まことに、余は、一際の覊絆を忘れ、心ゆくばかり寛かな「煙草の時」

を享楽した。

 

静かな散策――心落着いた読書三昧。楽しい詩作、そうした毎日の、孤独な、然し、

真率な生活は、余が半生の静かな回顧への、貴い機縁を残してくれた。

 

 余は、再びあい難かった、幼時代の純真と、放胆と、虚栄(ヴァニティー)に依って、

此期間、専心自身の肖像(ポルトウレー)を画き続けた。

 

(以下略。)

 

 

金子光晴の数ある詩集の中でも

「こがね虫」の「自序」ほど

詩の背景についての力のこもった意志表明をしたものは他にないでしょう。

 

読む進めると、

 余が、余自身の詩作について解説することは、すべて控えねばなるまい。何故なら、

夫は、余の詩作が、直接に諸君に語るべきが順序である。

――とあり、

ここで「自序」は終わるのかと思いきや

言い足りなかったとばかり

詩への思いや詩人の来歴などについても

熱っぽく語り続けたのです。

 

「自序」は

以下のように結ばれます。

 

 

ただ、願わくば荒々しい「鞭」よ!

盲目の「鞭」よ!

此「夢」を苛酷く醒さざれ!

 




「自序」はまた一篇の詩のようであり

一つの詩で終わり

詩本文へと連なっていきます。



 

今回はここまで。

 

 

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