茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・石垣りん「その夜」
(前回からつづく)
茨木のり子の「ですます調」の著作には
「うたの心に生きた人々」(1967年)のほかに
「詩のこころを読む」(1979年)があり
こちらは日本の戦後詩人を中心に
戦前の詩や外国の詩人も2、3取りあげ
茨木のり子の「好きな詩コレクション」の形の作品鑑賞となっています。
これから現代詩を読もうとする人々への
絶好の入門書になっていて
わかり易く深いという点で
類書の中でもひときわ高く聳え立っています。
詩史や詩論(史)や詩人論が
ひたすら難解な方向へ向かってとどまるところのない趨勢の外で
茨木のこの書は
詩と出会った感動をそのまま伝えようとする情熱を失わずに
それでも「むずかしさ」ということを恐れずに書かれました。
(「はじめに」より。)
◇
「もくじ」で数えると
ざっと30人近くの詩人を取り上げて
時には一人の詩人のほかの詩を異なる章で取り上げもして
茨木のり子の好きな詩の魅力が思う存分語られます。
たとえば目次は、
生まれて
恋唄
生きるじたばた
峠
別れ
――という内訳になっていますが
「峠」とは何だろうと
そのページをめくれば、
岸田衿子
安西均
吉野弘
石垣りん
永瀬清子
河上肇
――の順に
「峠」に差し掛かった詩人の作品が味わわれます。
「峠」については
汗をながしながらのぼってきて、うしろを振りかえると、過ぎこしかたが一望のもとにみえ、これから下ってゆく道もくっきり見える地点。荷物をおろし、つかのま、どんな人も帽子をぬぎ顔などふいて一息いれるところ。年でいうと、40代、50代にあたるでしょうか。峠といっても、たった一つというわけではなく、人によっては三つも四つも越えてゆきます。
――と書かれていて
円熟期を指すことがわかります。
石垣りんは
「その夜」が紹介されます。
◇
その夜
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく、
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていう
死んでもいいのよ
ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
シーツが
黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。
――詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
◇
さらっと読み流してしまいそうな詩ですが
茨木のり子がこの詩を読む読み方は
それ自体が茨木のり子にしかできない読み方であり
あっと思うような感激が
じわじわとこみ上げてくるような詩であることを気づかせてくれます。
そのような詩の読み方は
容易にはできないことを気づく経験となります。
◇
今回はここまで。
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