茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「かなしみ」その2
(前回からつづく)
かなしみ
あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
◇
少年が原っぱで遊び呆(ほお)けていて
ふとした瞬間、息をひそめて
草むらに仰向けに倒れ込んで見上げた青空――。
その青空が
青年の眼に今、あります。
◇
誰しもこんなふうにして青空を見た思い出を持つはずですし
誰しもこの詩に似た感傷を抱いたはずですが
この詩の言葉のようには結ばれなかっただけのことで
その感傷を詩人・谷川俊太郎が代わりに歌ってくれたような気持ちになって
親しく懐かしく感じられる詩といえるでしょう。
その感傷を
やや哲学的といいますか
カフカ的といいますか
存在論的といいますか
宇宙論的といいますか
……
物思う少年(青年)の
もやもやとした心のうちが
都会を感じさせる「僕」を通して呟(つぶや)かれます。
◇
もやもやとしているものの正体を
「僕」は今まさにつかまえたような所(時)にいますが
つかまえたものは悲しみなのでした。
それは、仰向けになって空を見上げた
その時以前から「僕」に巣食っているもので
だんだん形になってくるようなものでした。
「僕」のこの悲しみには
センチメンタルな響きもなく
どちらかといえば乾いた響きがあり
それが生存の悲しみであっても
思索的なトーンを帯びています。
◇
「あの青い空の波の音」は
確かに青い空を見ていると見えてくるような音ですし
音かと思えば空であって
ことさら都会の少年(青年)の眼差しに映る空(である音)で
この言葉自体が
繊細さ洗練さを表わしていてユニークです。
◇
茨木のり子の着眼するのは
遺失物係です。
遺失物とは落とし物のことですが
「遺失物」といっただけで
カフカやベケットや
何やら不条理な世界へ誘われるようですが
茨木のり子がそちらの方向へ向かうわけではありません。
◇
遺失物係のいる場所(時間)が
「透明な過去の駅」と設定されているからでしょうか。
この遺失物係は
無人であったような気がします
――と茨木のり子は読み取ります。
しかも、おとし物が何だったかも忘れてしまって、
忘れたという感覚だけが残っていて。
途方にくれて。
すべてが曖昧(あいまい)で、
それなのに、へんに澄んだ世界です。
――と読んでいきます。
◇
そして「ものごころがつく」という日本語を引き合いにして
この詩は
ものごころがついた少年(青年)が
自分を客観的にとらえようとして
さまざまな欠落感に悩まされ
その悩みの一つを歌ったものかもしれません
――と青春の歌であることを明らかにします。
◇
青春の歌
――というにはあまりにも洗練された詩行に満ちていますが
悲しみが歌われるにしても
「僕」が抱いた悲しみには
湿潤(しつじゅん)なものがありません。
デビューのころ、
谷川俊太郎はこんな詩を書いていたのです
◇
今回はここまで。
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