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2015年3月27日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「かなしみ」その2

(前回からつづく)

 

かなしみ

 

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

◇

 

少年が原っぱで遊び呆(ほお)けていて

ふとした瞬間、息をひそめて

草むらに仰向けに倒れ込んで見上げた青空――。

 

その青空が

青年の眼に今、あります。

 

◇

 

誰しもこんなふうにして青空を見た思い出を持つはずですし

誰しもこの詩に似た感傷を抱いたはずですが

この詩の言葉のようには結ばれなかっただけのことで

その感傷を詩人・谷川俊太郎が代わりに歌ってくれたような気持ちになって

親しく懐かしく感じられる詩といえるでしょう。

 

その感傷を

やや哲学的といいますか

カフカ的といいますか

存在論的といいますか

宇宙論的といいますか

……

 

物思う少年(青年)の

もやもやとした心のうちが

都会を感じさせる「僕」を通して呟(つぶや)かれます。

 

◇

 

もやもやとしているものの正体を

「僕」は今まさにつかまえたような所(時)にいますが

つかまえたものは悲しみなのでした。

 

それは、仰向けになって空を見上げた

その時以前から「僕」に巣食っているもので

だんだん形になってくるようなものでした。

 

「僕」のこの悲しみには

センチメンタルな響きもなく

どちらかといえば乾いた響きがあり

それが生存の悲しみであっても

思索的なトーンを帯びています。

 

◇

 

「あの青い空の波の音」は

確かに青い空を見ていると見えてくるような音ですし

音かと思えば空であって

ことさら都会の少年(青年)の眼差しに映る空(である音)で

この言葉自体が

繊細さ洗練さを表わしていてユニークです。

 

◇

 

茨木のり子の着眼するのは

遺失物係です。

 

遺失物とは落とし物のことですが

「遺失物」といっただけで

カフカやベケットや

何やら不条理な世界へ誘われるようですが

茨木のり子がそちらの方向へ向かうわけではありません。

 

◇

 

遺失物係のいる場所(時間)が

「透明な過去の駅」と設定されているからでしょうか。

 

この遺失物係は

無人であったような気がします

――と茨木のり子は読み取ります。

 

しかも、おとし物が何だったかも忘れてしまって、

忘れたという感覚だけが残っていて。

途方にくれて。

すべてが曖昧(あいまい)で、

それなのに、へんに澄んだ世界です。

――と読んでいきます。

 

◇

 

そして「ものごころがつく」という日本語を引き合いにして

この詩は

ものごころがついた少年(青年)が

自分を客観的にとらえようとして

さまざまな欠落感に悩まされ

その悩みの一つを歌ったものかもしれません

――と青春の歌であることを明らかにします。

 

◇

 

青春の歌

――というにはあまりにも洗練された詩行に満ちていますが

悲しみが歌われるにしても

「僕」が抱いた悲しみには

湿潤(しつじゅん)なものがありません。

 

デビューのころ、

谷川俊太郎はこんな詩を書いていたのです

 

◇

 

今回はここまで。

 

 

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