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2015年3月27日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「かなしみ」その2

(前回からつづく)

 

かなしみ

 

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

 

少年が原っぱで遊び呆(ほお)けていて

ふとした瞬間、息をひそめて

草むらに仰向けに倒れ込んで見上げた青空――。

 

その青空が

青年の眼に今、あります。

 

 

誰しもこんなふうにして青空を見た思い出を持つはずですし

誰しもこの詩に似た感傷を抱いたはずですが

この詩の言葉のようには結ばれなかっただけのことで

その感傷を詩人・谷川俊太郎が代わりに歌ってくれたような気持ちになって

親しく懐かしく感じられる詩といえるでしょう。

 

その感傷を

やや哲学的といいますか

カフカ的といいますか

存在論的といいますか

宇宙論的といいますか

……

 

物思う少年(青年)の

もやもやとした心のうちが

都会を感じさせる「僕」を通して呟(つぶや)かれます。

 

 

もやもやとしているものの正体を

「僕」は今まさにつかまえたような所(時)にいますが

つかまえたものは悲しみなのでした。

 

それは、仰向けになって空を見上げた

その時以前から「僕」に巣食っているもので

だんだん形になってくるようなものでした。

 

「僕」のこの悲しみには

センチメンタルな響きもなく

どちらかといえば乾いた響きがあり

それが生存の悲しみであっても

思索的なトーンを帯びています。

 

 

「あの青い空の波の音」は

確かに青い空を見ていると見えてくるような音ですし

音かと思えば空であって

ことさら都会の少年(青年)の眼差しに映る空(である音)で

この言葉自体が

繊細さ洗練さを表わしていてユニークです。

 

 

茨木のり子の着眼するのは

遺失物係です。

 

遺失物とは落とし物のことですが

「遺失物」といっただけで

カフカやベケットや

何やら不条理な世界へ誘われるようですが

茨木のり子がそちらの方向へ向かうわけではありません。

 

 

遺失物係のいる場所(時間)が

「透明な過去の駅」と設定されているからでしょうか。

 

この遺失物係は

無人であったような気がします

――と茨木のり子は読み取ります。

 

しかも、おとし物が何だったかも忘れてしまって、

忘れたという感覚だけが残っていて。

途方にくれて。

すべてが曖昧(あいまい)で、

それなのに、へんに澄んだ世界です。

――と読んでいきます。

 

 

そして「ものごころがつく」という日本語を引き合いにして

この詩は

ものごころがついた少年(青年)が

自分を客観的にとらえようとして

さまざまな欠落感に悩まされ

その悩みの一つを歌ったものかもしれません

――と青春の歌であることを明らかにします。

 

 

青春の歌

――というにはあまりにも洗練された詩行に満ちていますが

悲しみが歌われるにしても

「僕」が抱いた悲しみには

湿潤(しつじゅん)なものがありません。

 

デビューのころ、

谷川俊太郎はこんな詩を書いていたのです

 

 

今回はここまで。

 

 

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