現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その2「二十五歳」
(前回からつづく)
詩集というのは魔物が潜んでいる森とでもいうのでしょうか
宝が隠されているという島=宝島なのでしょうか
なんともなしに読みはじめたものが
2、3も読むとかすかな手ごたえを感じるようになり
やがて一つ二つと気に入る詩に出会うことになり
ついには身も心も奪われる共感を味わうようなことがしばしば起こります。
初期段階のほのかな共鳴は
皮膚感覚とか触覚とかへの刺激にすぎないものかもしれませんが
この刺激を感じられれば
次第に詩世界への没入の道筋に乗っているはずのものですから
この時にぼんやりしているものではいけません。
肌の感覚を
さやかに研ぎ澄ます時です。
◇
「春」は「こがね虫」の2番目の章「誘惑」にあり
「誘惑」の章の次には「金亀子」という章があり
これは「こがねむし」と読むのですから
どうやら詩集題はここらあたりから取られたものと想像できますが
この章の初めにあるのが「二十五歳」です。
「二十五歳」にも
こがね虫のイメージは現れるというわけです。
それを読んでみましょう。
◇
二十五歳
振子は二十五歳の時刻を刻む。
それは若さと熱祷(いのり)の狂乱(ものぐるひ)の時刻をきざむ。
それは碧天のエーテルの波動を乱打する。
それは池水や青葦の間を輝き移動してゆく。
虹彩や夢の甘い擾乱が渉り。
鐘楼や森が、時計台が、油画のごとく現れてくる。
それは二十五歳の万象風景の凱歌である。
二
私の鏡には二十五歳の顔容がおちこんでいる。
二十五歳の哄笑や、歓喜や、情熱が映っている。
二十五歳の双頬は朱粉に熾えている。
二十五歳の眸子は月石の如く潤み、
ああ、二十五歳の椚林(くぬぎばやし)や、荊棘墻(いばらがき)や、円屋根(ドーム)や、電柱がそのうしろに移ってゆく。
二十五歳の微風や十姉妹の管弦楽が私をめぐる。
空気も、薔薇色の雲も、
あの深邃(しんすい)なところにあるみえざる天界も二十五歳である。
山巓(さんてん)は二十五歳の影をそんなに希望多く囲み、
海は、私の前で新鮮な霧を引裂く。
二十五歳の糸雨はものうく匂やかである。
二十五歳の色色の小鳥は煙っている。
二十五歳の行楽はゆるやかな紫煙草の輪に環かれ
二十五歳の懶惰は金色に眠っている。
三
二十五歳の夢よ。二十五歳の夢よ。
どんなに高いだろう。
二十五歳の愛欲はどんなに求めるだろう。
二十五歳の皮膚はどんなに多く
罪の軟膏をぬるであろう。
二十五歳の綺羅はどんなにはでやかであろう。
二十五歳の好尚はどんなにみやびであろう。
(昭森社「金子光晴全集1」「こがね虫」より。新かなに変えました。編者。)
◇
「こがね虫」の「こがね」は
ここでは「金色」です。
「こがね虫」は青春のシンボルであり
詩集題もそのシンボルであることが
だんだんわかってきました。
◇
二十五歳の双頬は朱粉に熾えている。
二十五歳の眸子は月石の如く潤み、
――とは、
25歳の二つの頬は赤く燃え
25歳の眼(まなこ)は月の石のように潤(うるお)っている、ということで
なんと「硬い」言葉使いだろうなどと感じますが
そのように歌わなければならなかった理由そのものこそ
続いて歌われる内容なのでしょう。
◇
「頬ほお」は音読みで「キョウ」ですから「ソウキョウ」
朱紛は「シュフン」と音読みし「赤い粉」ですが
男子にも白粉(おしろい)のようなものがあったのでしょうか。
あったとすれば
それは中国での風習でしょうか。
日本にもあったのでしょうか。
そういう文化について
金子光晴は人並み以上の造詣(ぞうけい)がある詩人です。
そのことを
硬いといえば硬いといえるのはやむを得ないことですし
眼を眸子(ぼうし)としたなども
この時期の詩風の要請からきたものなのですから
硬くてもよかったのです。
◇
ああ、
二十五歳の椚林(くぬぎばやし)や、
荊棘墻(いばらがき)や、
円屋根(ドーム)や、
電柱がそのうしろに移ってゆく。
二十五歳の微風や
十姉妹の管弦楽が私をめぐる。
――というように25歳の「私」は歌われる理由があったということです。
◇
空気も
薔薇色の雲も
天界も
山巓(さんてん)も
海も
霧も
糸雨も
小鳥も
行楽も
……
二十五歳の懶惰は金色に眠っている。
――とこの詩の第2連は結ばれるのです。
◇
結ばれるのですが
そのことに絞り込んであたかも結論のように
金色の懶惰(きんいろのらんだ)を歌っているのではなく
それは宇宙の中にある現象の一つであるかのように歌われているのです。
◇
夢よ、(お前は)どんなに高いだろう。
愛欲は、どんなに求めるだろう。
皮膚は、どんなに多く罪の軟膏をぬるであろう。
綺羅は、どんなにはでやかであろう。
好尚は、どんなにみやびであろう。
――は、これから刻まれる25歳という時刻への
出発を告げるもののようです。
この詩は
すでに出発されたその25歳という時刻を
捕まえておくための歌であろうとして書かれたものでしょう。
◇
今回はここまで。
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