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2015年3月 9日 (月)

現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その7「金亀子」

(前回からつづく)

 

「翡翠の家」の夢幻郷のような世界に分け入った後ですから

今度は詩集全体を俯瞰(ふかん)してみましょう。

 

少し頭を冷やすという意味もあり

ここで「こがね虫」の目次を眺めておきましょう。

 

 

「こがね虫」

 

自序

 

<燈火の邦>

三月

時は嘆く

翡翠の家

章句

 

<誘惑>

パラダイス

悪魔

誘惑

神話

幻術

陶酔

 

<金亀子>

二十五歳

金亀子

 

<風雅帖>

五月雨の巻

鴛鴦の巻

紅葉の巻

 

<拾遺二篇>

熊笹

鐘は鳴る

 

<散文詩>

羅紗売

窓飾の妖精

墳墓

浴場

 

二十五歳の懶惰は金色に眠っている(吉田一穂)

詩集「黄金虫」の跋にかえて(佐藤惣之助)

 

<作品年表>

 

 

「春」

「二十五歳」

「雲」

「三月」

「翡翠の家」

 

……という具合に

詩集の配列とは関係なく

気の赴くままに5篇を読んできました。

 

 

これを詩集の配列順にざっと読み返してみるだけで、

 

白金の嶺(雲)

金襴てらし眩うわれらが意想(雲)

金晴の曙の空は(三月)

金色の若草に降りそそぐ(三月)

金紗の陽炎を投げあげる(三月)

黄金より浪費する刻々(三月)

美しい金鋲(三月)

金のこのみを採る日(翡翠の家)

金花虫(たまむし)の脣(翡翠の家)

金のかるたを弄んだ(翡翠の家)

咲乱れた金糸梅(翡翠の家)

黄金の空間を疾走してゆく(春)

金色に眠っている(二十五歳)

……などと、

「金」が万遍(まんべん)なく現れるのを

たやすく見つけることができます。

 

「金」は金という文字だけで表わされるものでないのですから

他にも「金」を見つけ出すことができるに違いありません。

 

 

詩集「こがね虫」において

「金」の充満は偶然のものではないでしょう。

 

 

そして「金」の権化(ごんげ)みたいな生き物が金亀子(こがね虫)です。

 

この生き物は章題にも取られて2篇の詩が収められ

詩集タイトルにもなるのですから

注目しないわけにいきません。

 

それを読みましょう。

 

 

金亀子(こがねむし)

 

柳蔭暗く、煙咽鳴する頃、

黄丁字の花、幽かにこぼれ敷く頃、

 

新月(にいづき)、繊(ほそ)くのぼる頃、

 

常夜燈を廻る金亀子の如く

少年は、恋慕し、嘆く。

 

     二

 

 其夜、少年は秘符の如く、美しい巴旦杏(はたんきょう)の少女を胸にいだく。

少年の焔の頬は桜桃(ゆすらうめ)の如くうららかであった。

少年のはじらいの息は紅貝の如くかがようた。

 

おずおずと寄り添うおそれに慄えつつ

少年の悲しいまごころは、

花鰧(はなおこぜ)の如く危惧を夢みていた。

 

煩悩焦思の梢、梢を、

鶏冠菜(とさかのり)の如くかき乱れた。

 

少年は身も魂も破船の如くうちくだけた。

 

ああ、盲目の蘆薈(ろわい)や梵香にむせびつつ、

少年は嗤うべき見せ物であった。

          (恋の風流こそ優しけれ

          恋の堕獄こそ愛(めで)たけれ)

 

(昭森社「金子光晴全集1」より。新かなに変えたほか、適宜、ルビを削除し又は加えました。編者。)

 

 

柳蔭暗く、煙咽鳴する頃、 

――は、

リュウイン・クラク、エン・オエツスルコロでしょうか。

ヤナギカゲ・クラク、ケムリ・エンメイスルコロでしょうか。

 

意味は漢字によってなんとか理解できますが

発音がスムーズに出てきません。

 

 

黄色の丁字(クローブ)の花が散り初めて

わずかに地面に落ちている頃。

 

新月が、か細い線を描いてのぼる頃。

 

これらの「時」が

時候(自然の時間)を指示するだけのものでないことには注意しなくてはなりません。

 

 

金亀子が常夜燈をめぐる虫として現れるところに

メタファーの個性(ユニーク)があります。

 

ここでは太陽光を燦々と浴びる真昼の黄金虫なのではありません。

 

それは「恋」のメタファーです。

 

 

そして、その恋の主人公である少年は

身も魂も

破船のごとくうちくだけるのです――。

 

 

そして、少年のこの恋は

合唱隊(コーラス)に歌われて

幕が下りるのです。


風流風雅は恋の道

落ちた道こそ楽しけれ――。

 

 

今回はここまで。

 

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