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2015年3月 8日 (日)

現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その6「翡翠の家」続

お(前回からつづく)

 

「こがね虫」の巻末に金子光晴自身が記した「作品年表」というものがあり

その中に、

「翡翠の家」は東方趣味で、

後に「金亀子」の諸作へ発展した抒情詩の最初の試作

――とあるのに惹かれて「金亀子」の章を追うと

そこには「二十五歳」「金亀子」の2作があるだけであり

肩すかしを食らった気分になります。

 

「金亀子」の諸作とは

この2作品のことだったのか

これでは発展といえないではないかと早合点しそうでしたが

じっくりと考え直せば

ここは「金亀子」以降の諸作と読むべきところで

「風雅帖」や「散文詩」などを含めているという推定にいたります。

 

「作品年表」をそのように読まないと

行き詰まってしまいます。

 

 

金子光晴は「こがね虫」の「作品年表」で

1919年(の制作)を振り返ったのです。

 

「翡翠の家」は

一に、東方趣味であり

二に、抒情詩の最初の試作である

三に、それが7月下旬に完成した

――ということを記録しておきたかったには

特別の思い入れがあったことがここに示されているのでしょう。

 

 

詩集「こがね虫」は

「翡翠の家」で頂点の輝きに達します。

 

そう断定できるのは

この詩の、特に第2節、第3節の「抒情」が

ひときわ絢爛華麗にして幻想的

ひときわ直情的で物語的でもあるからです。

 

象徴表現の極みにありながら「私」の感受性が吐露(とろ)され

二つの要素が渾然一体になっています。

 

 

詩人は詩集巻末の「作品年表」で

その達成の制作日を記録しておく必要(衝動)に駆られたともいえますが

そういえば「こがね虫」への自己評価は

すでに「自序」に縷々(るる)として宣言されていました。

 

曰く、

余の秘愛「こがね虫」一巻こそは、余が生命を賭(と)した贅沢な遊戯(あそび)である。

倡優の如く余は、「都雅(みやび)」を精神(こころ)とし、願わくば、艶(つや)白粉、臙脂の屍臘となろうものを……。

「こがね虫」は其綺羅な願である。

 

 

「倡優」は俳優のことですが、「詩経」「楚辞」に現れる原初の「道化」のイメージが込められているか。

「屍臘(しろう)」はミイラのこと。

 

「臙脂(えんじ)の屍臘(しろう)」を渇望するまでに

「みやび」を追求した詩群を

詩人は命がけの贅沢(ぜいたく)と自賛したのですから

只事ではありません。

 

 

この自賛(オマージュ)に

最も相応しいのが「翡翠の家」といえることでしょう。

 

「翡翠の家」に分け入って

第2節、第3節だけを読むことにします。

 

 

     二

 

 其頃、私は孤(ひと)り、友遊びを嫌い始めた。

其頃、私は鬱病の如くおもい憧れた。

 

緋桜の顔や、金花虫(たまむし)の脣や、

典麗優雅の処女(おとめ)らは、面映ゆる藤波や、絵日傘の下に、上気して。

或日は、五月雨降るつれづれに金のかるたを弄(もてあそ)んだ。

 

沈香(じんこう)や月檀香(げったんきょう)、素馨(そけい)はあたりに悩乱し漾(ただよ)うた。

 

珊瑚樹の如く明るく処女らはもえ、

指、指は青畳の上を惚々と零(こぼ)れた。

 

私は綾錦の振袖のかげに隠れ、

いつも、いつも虔(つつま)しく涙ぐんでいた。

 

一人の処女(おとめ)は私を庇(かば)い、弟のようにさし覗き、燃ゆる頬を推しあてて、宥(なだ)めなぐさめた。

緑藻の黒髪は私のうえに振りさがった。

息もつかれぬ窒息から、私は必死にのがれ出て、夢現の中をすりぬけた。

 

此身が赤裸の如くに恥かしく、

心は麻苧(あさお)の如くふり乱れた。

 

其頃、私は羞恥を罪業より恐れていた。

 

     三

 

私は竹縁を離れまっしぐらに奥庭の方へ走っていった。

咲乱れた金糸梅(びようやなぎ)、山吹のなかを

粉雨や、雫が手足を真紅に濡らした。

 

熱い涙が私の顔中に流れた。

 

私はただちに水辺の花菖蒲のなかに下りていった。

はや、こらえなく声立てて啜りあげた。

 

妖芬(ようふん)高い花菖蒲は、みどりの茎や葉や、臙脂(えんじ)の根から、

水々しい涙を無限に吸上げ、

巨大な花燈籠は狂気の如く、私の顔のまわりに回転し、燃え反映(うつ)った。

その葉脈は生々と私を取囲んだ。

 

精霊達は私を殉情に導いていった。

ああいつしか私は泣噦(じゃく)り泣噦(じゃく)りして、泣き止んだ。

 

(昭森社「金子光晴全集1」より。新かなに変えたほか、適宜、ルビを削除し又は加えました。編者。)

 

 

やたらな説明はナンセンスでしょう。

 

何度読んでも飽き足らない詩世界を

堪能(たんのう)されることだけが待たれています。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

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