現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その6「翡翠の家」続
お(前回からつづく)
「こがね虫」の巻末に金子光晴自身が記した「作品年表」というものがあり
その中に、
「翡翠の家」は東方趣味で、
後に「金亀子」の諸作へ発展した抒情詩の最初の試作
――とあるのに惹かれて「金亀子」の章を追うと
そこには「二十五歳」「金亀子」の2作があるだけであり
肩すかしを食らった気分になります。
「金亀子」の諸作とは
この2作品のことだったのか
これでは発展といえないではないかと早合点しそうでしたが
じっくりと考え直せば
ここは「金亀子」以降の諸作と読むべきところで
「風雅帖」や「散文詩」などを含めているという推定にいたります。
「作品年表」をそのように読まないと
行き詰まってしまいます。
◇
金子光晴は「こがね虫」の「作品年表」で
1919年(の制作)を振り返ったのです。
「翡翠の家」は
一に、東方趣味であり
二に、抒情詩の最初の試作である
三に、それが7月下旬に完成した
――ということを記録しておきたかったには
特別の思い入れがあったことがここに示されているのでしょう。
◇
詩集「こがね虫」は
「翡翠の家」で頂点の輝きに達します。
そう断定できるのは
この詩の、特に第2節、第3節の「抒情」が
ひときわ絢爛華麗にして幻想的
ひときわ直情的で物語的でもあるからです。
象徴表現の極みにありながら「私」の感受性が吐露(とろ)され
二つの要素が渾然一体になっています。
◇
詩人は詩集巻末の「作品年表」で
その達成の制作日を記録しておく必要(衝動)に駆られたともいえますが
そういえば「こがね虫」への自己評価は
すでに「自序」に縷々(るる)として宣言されていました。
曰く、
余の秘愛「こがね虫」一巻こそは、余が生命を賭(と)した贅沢な遊戯(あそび)である。
倡優の如く余は、「都雅(みやび)」を精神(こころ)とし、願わくば、艶(つや)白粉、臙脂の屍臘となろうものを……。
「こがね虫」は其綺羅な願である。
◇
「倡優」は俳優のことですが、「詩経」「楚辞」に現れる原初の「道化」のイメージが込められているか。
「屍臘(しろう)」はミイラのこと。
「臙脂(えんじ)の屍臘(しろう)」を渇望するまでに
「みやび」を追求した詩群を
詩人は命がけの贅沢(ぜいたく)と自賛したのですから
只事ではありません。
◇
この自賛(オマージュ)に
最も相応しいのが「翡翠の家」といえることでしょう。
「翡翠の家」に分け入って
第2節、第3節だけを読むことにします。
◇
二
其頃、私は孤(ひと)り、友遊びを嫌い始めた。
其頃、私は鬱病の如くおもい憧れた。
緋桜の顔や、金花虫(たまむし)の脣や、
典麗優雅の処女(おとめ)らは、面映ゆる藤波や、絵日傘の下に、上気して。
或日は、五月雨降るつれづれに金のかるたを弄(もてあそ)んだ。
沈香(じんこう)や月檀香(げったんきょう)、素馨(そけい)はあたりに悩乱し漾(ただよ)うた。
珊瑚樹の如く明るく処女らはもえ、
指、指は青畳の上を惚々と零(こぼ)れた。
私は綾錦の振袖のかげに隠れ、
いつも、いつも虔(つつま)しく涙ぐんでいた。
一人の処女(おとめ)は私を庇(かば)い、弟のようにさし覗き、燃ゆる頬を推しあてて、宥(なだ)めなぐさめた。
緑藻の黒髪は私のうえに振りさがった。
息もつかれぬ窒息から、私は必死にのがれ出て、夢現の中をすりぬけた。
此身が赤裸の如くに恥かしく、
心は麻苧(あさお)の如くふり乱れた。
其頃、私は羞恥を罪業より恐れていた。
三
私は竹縁を離れまっしぐらに奥庭の方へ走っていった。
咲乱れた金糸梅(びようやなぎ)、山吹のなかを
粉雨や、雫が手足を真紅に濡らした。
熱い涙が私の顔中に流れた。
私はただちに水辺の花菖蒲のなかに下りていった。
はや、こらえなく声立てて啜りあげた。
妖芬(ようふん)高い花菖蒲は、みどりの茎や葉や、臙脂(えんじ)の根から、
水々しい涙を無限に吸上げ、
巨大な花燈籠は狂気の如く、私の顔のまわりに回転し、燃え反映(うつ)った。
その葉脈は生々と私を取囲んだ。
精霊達は私を殉情に導いていった。
ああいつしか私は泣噦(じゃく)り泣噦(じゃく)りして、泣き止んだ。
(昭森社「金子光晴全集1」より。新かなに変えたほか、適宜、ルビを削除し又は加えました。編者。)
◇
やたらな説明はナンセンスでしょう。
何度読んでも飽き足らない詩世界を
堪能(たんのう)されることだけが待たれています。
◇
今回はここまで。
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