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2015年3月 7日 (土)

現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その5「翡翠の家」

(前回からつづく)

 

「こがね虫」の第1章にあたる「燈火の邦」には

「雲」

「三月」

「時は嘆く」

「翡翠の家」

「章句」

――の5作が配置されていますが

「翡翠の家」については、

東方趣味で、後に「金亀子」の諸作へ発展した抒情詩の最初の試作

――と詩人自らが述べる(「作品年表」)ように

幾分か詩に変化が起こります。

 

 

翡翠の家

 

 林叢に、金のこのみを採る日、

燦(きらめ)きゆれる青葦の空に、蜻蛉(とんぼ)釣る日、

梢に盲目の兜虫を摘む日、

 

其頃、私は頬赤い少年であった。

私は熱病ほどに、空想し求める少年であった。

 

     二

 

 其頃、私は孤(ひと)り、友遊びを嫌い始めた。

其頃、私は鬱病の如くおもい憧れた。

 

緋桜の顔や、金花虫(たまむし)の脣や、

典麗優雅の処女(おとめ)らは、面映ゆる藤波や、絵日傘の下に、上気して。

或日は、五月雨降るつれづれに金のかるたを弄(もてあそ)んだ。

 

沈香(じんこう)や月檀香(げったんきょう)、素馨(そけい)はあたりに悩乱し漾(ただよ)うた。

 

珊瑚樹の如く明るく処女らはもえ、

指、指は青畳の上を惚々と零(こぼ)れた。

 

私は綾錦の振袖のかげに隠れ、

いつも、いつも虔(つつま)しく涙ぐんでいた。

 

一人の処女(おとめ)は私を庇(かば)い、弟のようにさし覗き、燃ゆる頬を推しあてて、宥(なだ)めなぐさめた。

緑藻の黒髪は私のうえに振りさがった。

息もつかれぬ窒息から、私は必死にのがれ出て、夢現の中をすりぬけた。

 

此身が赤裸の如くに恥かしく、

心は麻苧(あさお)の如くふり乱れた。

 

其頃、私は羞恥を罪業より恐れていた。

 

     三

 

私は竹縁を離れまっしぐらに奥庭の方へ走っていった。

咲乱れた金糸梅(びようやなぎ)、山吹のなかを

粉雨や、雫が手足を真紅に濡らした。

 

熱い涙が私の顔中に流れた。

 

私はただちに水辺の花菖蒲のなかに下りていった。

はや、こらえなく声立てて啜りあげた。

 

妖芬(ようふん)高い花菖蒲は、みどりの茎や葉や、臙脂(えんじ)の根から、

水々しい涙を無限に吸上げ、

巨大な花燈籠は狂気の如く、私の顔のまわりに回転し、燃え反映(うつ)った。

その葉脈は生々と私を取囲んだ。

 

精霊達は私を殉情に導いていった。

ああいつしか私は泣噦(じゃく)り泣噦(じゃく)りして、泣き止んだ。

 

     四


其頃、私は、情愛豊な少年であった。

其頃私の世界に総てのちかいは美しかった。


其頃の日々は、暗い、単調な私の生涯に、思出の細い燐寸を擦った。

其頃、私の涙は薄荷水であった。

其頃の懊悩は花綾(はなあや)であった。

其頃私の恋い心は茴香(ういきょう)であった。


其頃私は神々よりも幸であった。

其頃私は神々よりも幸であった。


(昭森社「金子光晴全集1」より。新かなに変えたほか、適宜、ルビを削除し又は加えました。編者。)

 

 

ここで抒情詩が初めて作られたと詩人は言うのですが

では「雲」「三月」「時は嘆く」は抒情詩ではないかというと

そうとはっきり言えるものでもなさそうなので

変化というよりも

連続している感じは残り続けます。

 

竹縁とか花菖蒲とか茴香(ういきょう)とか

……

歌われている風景が東方的であることや

季節がめぐったことほどの中にしか変化はなく

抒情がこの詩で初めて生まれたということでもなさそうです。

 

 

が、やがて「金亀子(こがねむし)」の諸作へ発展した、と記されるほどですから

そのような自作案内を無視するわけにもいきません。

 

 

詩人の案内するそのような眼差しに沿えば

其頃、私は頬赤い少年であった。

――と第1節に早くも現れる「私」には

抒情がよりストレートに歌われているものと読むことができるのかもしれません。

 

それまでにも「私」は登場しましたが

第1節にいきなり出てくることはありませんでした。

 

この詩には

「私」が包み隠さずといった感じで

第1節に登場し

最終節まで登場するのです。

 

そのことと抒情とに

大いなる関係があることは間違いないはずです。

 

 

私は熱病ほどに、空想し求める少年であった。

其頃、私は孤(ひと)り、友遊びを嫌い始めた。

其頃、私は鬱病の如くおもい憧れた。

 

私は綾錦の振袖のかげに隠れ、

いつも、いつも虔(つつま)しく涙ぐんでいた。

 

其頃、私は羞恥を罪業より恐れていた。

 

 

このように第2節にも「私」は露出しますし

第3節にも第4節にも

「私」は充満します。

 

 

そして、この「私」はどうやら

「恋い心」を経験するのですが

それが単に「心」の経験なのか

何らか実態のある「恋」だったのか

詩の全行にわたって「翡翠の家」の出来事として歌われた内実は

幻のようでありリアルなようであり

いずれであってもほかの言葉には言い換えられない

この詩の極度に鮮やかな世界が実現しています。

 

それは、

熱病ほどに空想され

鬱病のように思い憧れられた出来事であったようですが

そのような出来事が実際に体験されたものかどうか

そんなことは定かではありません。

 

それは、

其頃私は神々より幸であった。

――と断言されるほどのことですから

その幸は想像するしか近づく方法はありません。

 

 

今回はここまで。

 

 

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