現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その1「春」
(前回からつづく)
茨木のり子の詩集を一通りそろえて
彼女の詩を読みながら
散文著作「うたの心に生きた人々」(ちくま文庫)に沿って
明治以降の詩人4人の足跡を辿ることになり
与謝野晶子
高村光太郎
山之口貘
金子光晴と順を追って
時にはいつもながらの寄り道をして
これら現代詩の巨人たちのアウトラインほどはつかめたようなところに来ました。
詩人の足跡の背後には
滔々と流れる現代詩の
もはや歴史となった詩(人)の
さまざまな息づかいにも少し触れることになりました。
◇
茨木のり子自身が残した詩の業績の一端にも触れ
そのことによって
日本の現代詩、ことさら戦後詩への糸口をつかむことができました。
戦後に出発した茨木のり子の足跡を辿ることで
今度は戦後詩史を辿る足がかりをつかんだことにもなりました。
◇
茨木のり子が取りあげた4人の詩人のうち
金子光晴は戦前(それも大正デモクラシーの時代)から
戦争を経て戦後を生き抜いた現代詩の証言者のような存在ですから
もう少し詩を突っ込んで読んでおきましょう。
◇
「こがね虫」は
1923年(大正12年)7月に出された金子光晴の第2詩集です。
直後に関東大震災がありました。
◇
燈火の邦
誘惑
金亀子
風雅帖
拾遺二篇
散文詩
――と6章に分けられた2番目の章「誘惑」に「春」があります。
◇
春
春が来た。春が来た。
郊外の森や、枳殻(からたち)の、紅紗の垣根に春が来た。
下萌の悩ましい春が来た。
温泉の如く朦朧と、地界を立騰る春が来た。
駒鳥や、鶫(つぐみ)や、草雲雀の春が来た。
春が来た。春が来た。
二
地球は、霧の帯と五色の投糸の中にある。
地球は、傲れる業火の巨塊となり、黄金の空間を疾走してゆく。
地球は、昏倒する強酒の海を抱く。太陽は、真赤な手鼓(タンブール)を、
森や、林に擾がしく叩く。
三
春が来た。春が来た。
氷窟、氷窟は、水晶殿の如く鳴りさわぎ、
雪解(ゆきげ)が、山谷に歓呼して来た。
世界中の陽炎が小溝に踊ってきた。
私のしていることは悉く、幻術なのだ。
私の血液は、量を越えてあふれ。
私の涙腺はきらきらと顫えて来た。
耕地や果樹園が更紗衣につつまれた。
美女桜や柳が薫り、煙って来た。
世界が火の傘(からかさ)の如く旋回して来た。
(此物狂わしい進行曲が
私の心に悪業の蠱惑を種殖く。)
(昭森社「金子光晴全集1」「こがね虫」より。新かなに変えました。編者。)
◇
茨木のり子の案内にある詩ではなく
全集をパラパラめくりはじめて
「やさしそうな」感じがしたので
引いてみました。
立騰る=たちあがる
傲れる業火=おごれるごうか
擾がしく=さわがしく
顫えて=ふるえて
……
やや難しい言葉使いですが
漢字は表意文字ですから
「表音」にとらわれることなく
その漢字の意味を取れば自ずと意味は通じるはずです。
◇
枳殻(からたち)
紅紗の垣根
駒鳥
鶫(つぐみ)
草雲雀
美女桜や柳
……といった草木、花鳥
地球
森
林
海
太陽
氷窟
山谷
……といった大自然
それらが、
私の血液、
私の涙腺を解き放つ。
◇
火の傘(からかさ)のように
――という象徴表現に結ばれていく詩の終わり。
◇
末尾の
悪業の蠱惑を種殖く(あくごうのこわくをたねまく)
――とある「悪業」を誤解しなければ
「春」が私=詩人にもたらす解放への疼(うず)きを読むことができることでしょう。
◇
金子光晴は
詩人としての初期に
このような「夢」のある詩を書いていたのです。
◇
今回はここまで。
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