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2015年3月13日 (金)

現代詩の証言・金子光晴の「こがね虫」その9「陶酔」

(前回からつづく)

 

「こがね虫」第2章にあたる「誘惑」には

「パラダイス」

「悪魔」

「春」

「誘惑」

「神話」

「幻術」

「陶酔」

――の7篇が収められていますが

「金亀子」以降の「東方趣味の、抒情詩」と詩人のいう夢幻世界に入る前の制作だからでしょうか

趣の異なる世界が歌われています。

 

「作品年表」には、

「悪魔」「パラダイス」等と、同時に、「章句」を書いた時期が可成長く、凡そ2、3か月にわたった。

そして、40許の章句が出来上ったが、帰郷後、散佚して、ここに載せた4、5の作を除いては特殊なものがない。

――とある1群の詩で、

フランドル滞在中の長い期間を

詩人はこれらの詩境に馴染んでいたことが明らかにされています。

 

同じ時期に作られたからといって

作品が同じ詩境のものであるとは限りませんが

「章句」の流れが「誘惑」の詩群にあると見ても

見当はずれではないでしょう。

 

 

詩集「こがね虫」を初めてめくってみた時に

「春が来た。春が来た。」ではじまるフレーズに親しみを覚え

この鑑賞記のスタートとした詩「春」は「誘惑」の章にあります。

 

「誘惑」の末尾に置かれているのが

「陶酔」です。

 

 

陶酔

 

 今日青空は焼爛(やきただ)れる恋の日のはげしさでうち続いている。

 

今日業炎の爐に見えざる千の恒星がとどろく。

 

今日陶棺(すえもののひつぎ)の山嶽は祈りの如く燃え、

長い長い砂浜は絹のいぶきを吐く。

 

今日森林の精霊界は海底よりもしずかに、

老杉の列は猩猩緋を掛けめぐらし、

 

鎧扉が金の塵を少しづつ運ぶ。

 

今日あらゆる、聖なる炎の息がこの世界を火爐で煉り、

今日あらゆる、時刻は我を深入する。

 

     二

 

 私はふじつぼあつまる岩蔭にしずかに眠る。

小さな金鎖の如く海はゆらぎ。

 

岩角に虹の扉がひらかれ、

捧呈物(ささげもの)の波は岩をのり越えてひろがる。

 

海の青が私の背を越え、

私の手足が長々とのびて、海盤車(ひとで)の如く海底を潜る。

 

岩礁の底の紅藻の森を私は巡歴し

青遍羅(あおべら)や河豚や石花菜(てんぐさ)や

魚貝の夢、竜人のくにをみてすぎる。

 

ああ、この世ならぬハルモニー

悲しく点るいのちの燈火よ。

 

     三

 

 私は青春の強酒をのんで自滅を願うもの。

金羊毛の争奪者。

 

忽ち、紅金襴の岩礁の間に、

猛獣の炎の口腔をひらく深渕。

美貌の外洋は、はるかに環り。

 

美麗きわまりない琺瑯の水蛇類がその水たまりに棲む。

紅糸青糸が私のからだに巻きつき、

生血は、なんの痛みもおぼえず他の命に逃れてゆく。

白蓮の花の燈明も、

恍惚となった意識に夢の如く遠ざかる。

 

ああ、紫金(しこん)の島影は渺か、大洋の彼方に没落し、

臨終は今、水平線に早鐘を打つ。

浮萍(うきぐさ)の波動は、

私の屍の上に勝鬨をあげる。

 

(昭森社「金子光晴全集1」より。新かなに変えたほか、適宜、ルビを削除し又は加えました。編者。)

 

 

花菖蒲の咲き乱れる夜の庭園の水辺(鴛鴦の巻)とは

遥かに隔たった別世界にやって来たのでしょうか。

 

別世界ではありながら

やがては東方の楽園へと繋がっていく兆しをも

ここに見た方がよいのでしょうか。

 

 

こちらは真昼の世界。

 

青空は焼き爛れ

焼き爛れる恋。

 

青空が恋です。

 

 

視界がグンと開けるのは

ここに現れる自然が

北欧フランドルのものだからでしょうか。

 

自然が

文字通りの自然ではなく

象徴としての自然であっても

そのように感じられる理由が

ここにあっておかしくありません。

 

 

千の恒星

陶棺の山

長い長い砂浜

 

森林の精霊界

海底

老杉の列

……

 

これら壮大な自然は

業炎の爐の内で燃えるものです。

 

私はその内部に深く深く入ります。

 

 

そこは海です。

岩陰からやがて海底へ。

 


藤壺

ヒトデ

紅藻

青べら

河豚(ふぐ)

天草

……と

次々に登場する海の生命は

魚貝の夢。

竜人のくに。

 

この世ならぬハーモニー。(二)

 

 

私がいまそのただ中にある青春は

強い酒を求めて自滅を願う。

 

さながら金羊毛を奪還しようとするイアソン。

 

 

最終節(三)は

イアソンの金羊毛奪還の冒険を歌うかのようです。

 

 

今回はここまで。

 

 

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