茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む・金子光晴「寂しさの歌」その4
(前回からつづく)
「寂しさの歌」の「二」へ読み進みましょう。
(茨木のり子の読みを一時的に離れています。編者。)
◇
蓬(よもぎ)が生えた庭先に洗い米を供(そな)える民の暮らしの一コマも
寂しさに蔽(おお)われた国土の、深い霧の風景の一つでした。
その中から詩人=僕は生まれたのです。
霧は、
山頂や峡谷を消すように覆(おお)い
湖上を飛び
生まれて50年もの僕の過去と未来とを閉ざしている。
後から後から湧き上がっては
行く手を閉ざしてしまう雲煙とともに
この国では
さびしさだけが新鮮だ、いつも。
この寂しさの中から人生のほろ甘さを搾(しぼ)り取り
それを素(もと)にして僕らは詩を書いてきたものだ。
◇
詩の根拠(よりどころ)が寂しさにあると
ここで自らもよりどころとしてきたものが
寂しさにほかならないことを明らかにします。
寂しさだけが新鮮なわけ(理由)が
解き明かされていると言えるでしょう。
◇
詩を書いてきたのは僕だけのことではない。
僕らみんな。
◇
寂しさの果てに
桔梗(ききょう)よ紫苑(しおん)よと、花を愛(め)でてきた。
零(こぼ)れ落ちる露と一体になってしだれ
手折(たお)られるがままの女たち。
諦(あきら)めた果てに咲く日陰の花。
(そんな寂しさを歌いあげてきた。)
◇
接吻(キス)の後に残る口の苦さ、化粧のやつれほころび。
その寂しさの奥にあるもの。
衰えることが人並み以上に早い(苦界の)女の宿命の暗さから
聞こえてくる常念仏(じょうねんぶつ)を僕は聞く。
鼻紙に包んだ一房の黒髪。
(吉原の女は死んで初めて娑婆に出られる。女の遺髪が間に合わせのちり紙にくるまれて舟で送られていく情景)
その髪で繋(つな)いだ太い毛綱。
――この寂しさに曲づけして歌われる「吉原筏(よしわらいかだ)の物語」。
◇
この寂しさを象嵌(ぞうがん)した(=嵌め込んだ)ような「百目砲(ひゃくめづつ)」。
百目砲(ひゃくめづつ)の「百目」は「百匁(ひゃくもんめ)」でおよそ375グラムの重さのことらしい。
百目砲は大砲の一種で、
さまざまなデザインが施され、
象嵌(眼)の技法も使われたらしい。
吉原筏も百目砲も
寂しさを閉じ込めたような
音曲であり工芸です。
◇
四方を海で囲まれ
這(は)いだす隙間(すきま)もないこの国の人たちは
外へ向かわず自らを閉じ込め
この国こそ朝日ののぼる国(日の本=ひのもと)と信じ込んだのだ。
◇
爪楊枝(つまようじ)を削るように!
細かい作業に打ち込み
しなやかな仮名文字(ひらがな)にもののあわれを綴り、
寂しさで何万回何千回と洗って作り上げた歌枕(うたまくら)の数々。
◇
象潟(きさがた)
鳰の海(におのうみ)
志賀のさざなみ
鳥海山、羽黒山の雲に突き入る山々。
――は、古今、新古今の旧跡でしょうか。
奇瑞(きずい)の湯は、
弘法大師、伝教大師や日蓮ら高僧の行脚(あんぎゃ)の結果現れた奇跡の温泉が
各地に残ることを指しているのでしょう。
◇
遠山がすみ、山桜、蒔絵螺鈿(まきえらでん)の秋の虫づくし
――は万葉集の美意識、それとも室町のでしょうか。
すでに万葉の時代を越えて
中世、江戸をも含む日本美のすべてを象徴しているのでしょうか。
◇
この国にみだれ咲く花の友禅もよう。
うつくしいものは惜しむひまなくうつりゆくと、詠嘆をこめて、
いまになお、自然の寂しさを、詩に小説に書きつづる人々。
ほんとうに君の言うとおり、寂しさこそこの国土着の悲しい宿命で、寂しさより他なにものこさない無一物。
◇
――となるに及んでは
紫式部、清少納言、小野小町ばかりでもなさそうで
「いまになお」詩に小説に書く人々とは
現在なお寂しさをよりどころにしている「君」や
あるいは「僕」をも射程に入れているのでしょうか。
古代から現代にいたる
この国の詩歌全般、芸能全般、暮らし全般に
眼差しが向けられている
遠大なスケールの中に入り込んでいるようです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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