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2015年4月16日 (木)

茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む・金子光晴「寂しさの歌」その6

 (前回からつづく)

 

「寂しさの歌」「三」へと入っていきます。

(茨木のり子の読みから離れています。編者。)

 

 

僕は実はあの寂しさを軽蔑しつつも

僕自身(の美意識)を形作るものとして秘かに愛着をもっていたことを告白しよう。

 

潮来節(いたこぶし)を。

うらぶれた流しの水調子(みずちょうし)を。

 

「水調子」は三味線を使った音曲というほどの意味でよいでしょう。

巷を行く流しのうらぶれた調子を詩人=僕はかつて(今も)愛好していたのです。

その得も言われぬ寂しい音調、風体を。

 

廓(くるわ)の裏手の街の

あんどん(行灯)やしっぽく(卓袱)の湯気を。

 

立ち回りの、田舎役者が見せる狂気で吊り上がったまなじり。

 

茶漬の味。

風流。

神信心。

 

糞壺のにおいをつけた人たちが、僕のまわりを行き来する日常。

僕もその一人なのだが。

 

 

僕が座っているところのむこうの椅子で

珈琲を飲みながら、僕の読んでいるのと同じ夕刊をその人たちも読む。

 

小学校では、同じ字を教わった。

僕らは互いに日本人だったので、

日本人であるより幸はないと教えられた。

(それは結構なことだが、少々僕らは正直すぎる。)

 

 

何もかも同じような習慣、暮らし。

その根源にあるもの。

 

万世一系の天皇。

 

 

ああ、なにからなにまで、

いやになるほどこまごまと、

僕らは互いに似ていることか。

 

膚のいろから。

眼つきから。

人情から。

潔癖から。

 

 

僕らの命がお互いに僕らのものでない空無からも、

なんと大きな寂しさがふきあげ、

天までふきなびいていることか。

 

 

僕らの命が

どうしたというのでしょう?

 

僕らのものでない空無とは

何でしょう?

 

 

天皇(制)のことでしょうか?

 

 

 

空無から

強大な寂しさが吹き上げ

天に届いている。

 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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