茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金光晴の「寂しさの歌」その2
(前回からつづく)
「寂しさの歌」は口語体非定型詩です。
普通の人が経験しない特別の場所や風習を表わす言葉が詩語として使われたり
時々、金子光晴独特の用語があったりするために
やや取っつきにくい部分がありますが
主述関係や文法や
詩行の1行1行や詩語の1語1語(用語)に
意味不明の難解さが多量にあるものではなく
ほとんどが類推(想像)のできる範囲にあり
わかりやすい詩といえるでしょう。
なにぶんにも長いので
読むのに時間がかかりますし
よく読めば金子光晴固有の膨大で該博な知識・経験が織り込まれているので
読みこなすには時間がかかりますが。
◇
構成も4節の起承転結が比較的に明確です。
ニーチェの「ツアラトストラ――」がプロローグに配置されたところくらいが
仰々しいといえば仰々しい印象ですが
本文内容の思想性に見合うには
19世紀最大のこの哲学者(現代哲学の源流でもある)を引用する以外になかったのかもしれません。
◇
末尾に「昭和20・5・5 端午の日」とあり
東京(3月10日)、
名古屋(3月12日)、
大阪(3月14日)、
神戸(3月16日)、
名古屋(3月25日)と大空襲が続き
4月には沖縄戦開始
……と列島各地が焦土と化す状況下で書かれたものであることがわかります。
一億玉砕、七生報国が叫ばれる中で
このような詩が作られていたこと自体が歴史の一コマであり
その奇跡は伝説にもなっています。
◇
吉原筏(よしわらいかだ)、
百目砲(ひゃくめづつ)、
水調子(みずちょうし)
常念仏(じょうねんぶつ)
形代(かたしろ)
洗米(あらいごめ・あらいよね)
……などの聞きなれない名詞は
頑張って辞書を引くなり
ググったりして
意味を知る必要があるものもあります。
おもざし
うしろ影
障子明り
みすぎ
涙じみ
……などの古語っぽい用語も
厳密な意味をつかめなくてもなんとか想像することができますし
それができなければ辞書やウィキペディアに当たればよいでしょう。
◇
これらは2015年現在の大都会では
ほとんど見ることのできなくなった風物であり
使われなくなった言葉ですが
戦前の日本社会では
それほど疎遠なものではなかったようです。
◇
言葉や風物が
昭和20年(1945年)と現在とでは
歴史の彼方に風化してしまったようなものもありますが
詩の中で蘇(よみがえ)るというようなことが起こるのも
詩の醍醐味(だいごみ)の一つといってよいでしょうから
じっくりゆっくり味わうことにしましょう。
そんなチャンス(機会)は
めったにないのですから!
◇
では「寂しさの歌」を
茨木のり子の読みからいったん離れて
「一」から順に読んでいくことにしましょう。
◇
「どっから」は「どこから」ですが
「どっから」と詩人がしたかったのは
「汚れっちまった」と中原中也が歌った言語意識と
似ているようなことでしょう。
しゃべり言葉で入ることによって
この詩は読者に親しみのある世界となって現れます。
いきなり引きずり込まれる感じで
寂しさの生まれてくるところを探している詩人の気持ちに
同期するのです。
◇
どっから来るんだろう?
それは
夕暮れの中に、ポッと咲き出したような
あの女の肌からか
面差しからか
後ろ姿からか
――と、ふだん美しいと感じている女の湯上りの姿のような
そこはかとない幽玄の存在(の色気)。
ここは「あの女の」「肌」ではなく
「あの」「女の肌」と読むべきところでしょう。
糸のように細々とした心からか。
その心を誘う周囲の風景からか。
月光からか。
障子明りからか。
古くなって節目(ふしめ)浮き出た畳に吹き飛ばされてきて走る枯葉からか。
◇
寂しさは
僕の背筋に這いこみ
湿気や黴(かび)のように
僕の知らないまま
心を腐らせ、
皮膚に沁み出てくる。
◇
寂しさの風景が
次から次に繰り返しくりかえし
クレッシェンドしデクレッシェンドし
螺旋的に下降し上昇し
歌われていきます。
◇
次に現れる女も
先ほど夕闇に現れた女でしょうか。
金で売られ金で買われる
苦界の女の寂しさ。
飢えの中で育った
孤児(みなしご)の寂しさ。
それを生業(なりわい)と思っているやつの
己のない心のない、人形が揺れ動いている寂しさ。
元々、人は土器(かわらけ)だと言われるが。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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