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2015年5月

2015年5月28日 (木)

金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」その2

(前回からつづく)

 

金子光晴は戦争が終わってから

立て続けに詩集を幾つか刊行します。

 

「落下傘」(1948年)

「蛾」(同)

「女たちのエレジー」(1949年)

「鬼の児の唄」(同)です。

 

読んでみないことには

これらの詩集の内容を比較することはできませんが

「落下傘」は日中戦争がはじめられ太平洋戦争が終わるまでの

戦争真っ只中に書かれた詩を集めたものであり

しかも戦争を真っ向から批判しているところに

めまいを覚えるような斬新さ(鮮烈さ)があります。

 

 

すべて発表の目的をもって書かれ

実際にこの詩集のおよそ半分が発表されたと詩人自らが「跋」に記す詩篇は

象徴主義の詩法が色濃いものとはいえ

よくも権力の網の目にかからないでいられたものと

驚かざるを得ません。

 

(同じ「跋」に、「犬等5篇は、雑誌社から返された。」と記したのは、自主規制へのイロニーなのでしょうか。)

 

 

茨木のり子はこのあたりのところを

見つかれば死刑という状態でこれらの詩を書きついでいました。

――とズバリとシンプルにコメントしています。

(「詩のこころを読む」)

 

 

詩集タイトルが

鮫でもなく蛾でもなく落下傘とされたのは

戦後だからできたことなのかもしれませんが

詩篇単体には「落下傘」もあり

「真珠湾」もあったのですから

目をつけられなかったはずがありません。

 

詩集題を「落下傘」とネーミングしたのには

ほかのタイトルにしなかった理由があったからのことでしょう。

 

 

共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。

――と茨木のり子が「最晩年」で記した自身の感慨(認識)は

多くの金子光晴の読者の感慨(認識)でもあったはずでしょう。

 

もしも茨木のり子によるこの記述がなかったら

その感慨(認識)は

ずっとそのままであり続けていたのかもしれない。

 

そのことを感じて

茨木のり子のこの記述は残されたのですから

やっぱり感受性の詩人です。

 

感受性とは勇敢なことです。

 

歯に衣を着せず

歯切れのよいことです。

 

 

というわけですから

詩集「落下傘」からもう1篇を読みたくなりました。

 

「湾」は

「真珠湾」に続き詩集の3番目に配置されています。

 

 

 

 

ピストルを食べよう。

春の早蕨(さわらび)のような、

 

風は爽やかに

湾を吹いて、

漣立つ

光はうつらうつら。

君よ。きょうはなにごともなしというか。

心は凪ぎ

世はやすらけく

幸福ゆえに、時はひまどるとおもうのか。

 

とどろきをきこう。

さあ、目をとじて、

 

蒼穹の奥の

いずくのはてにか

巨砲巨艦がむらがり立ち

天に朝するそのもの音を。

 

 

君よ。

ここにあるものは、もはや風景ではない。

それは要塞。

 

光でいぶる灌木林のかげに隠見する

島嶼(とうしょ)は、布陣。

地平は、音のないいかずち、

砲口の唸(うなり)で埋まる。

 

もはや、戦場ならぬ寸土もない。

一そよぎの草も

動員されているのだ。

 

地を這う虫にも

死と破滅が言渡される。

 

ここにある分秒は

刻々の対峙なのだ。

 

なんというきびしい

いたましい景観だ。

 

文明と権力を一元した

息もつまるこの静謐。

 

君よ。それでも猶、

きょうを無為だというか。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に変え、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

ここに歌われる風景を

共同体の風景を思い描きながら読むことは

それほど無理なことではなさそうです。

 

すでにその風景は失われ

要塞と化していますが。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月25日 (月)

金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」

(前回からつづく)

 

茨木のり子に「最晩年」というエッセイがあります。

 

「現代詩手帖」の「追悼特集・金子光晴」(1975年9月初出)に寄せたものですが

中に印象に残る記述がこのエッセイの結びにあり

いま「落下傘」の鑑賞を離れるにあたって

不意に思い出されて

どうしても紹介したくなりました。

 

 

「最晩年」とは

茨木のり子が

夫、安信の死に続いた金子光晴の死のことを

ともどもに回想し記録したことから命名された

エッセイのタイトルです。

 

二人の死は

1975年4月18日にあった山本安英の会主催の「ことばの勉強会」の模様から

説き起こされます。

 

金子光晴、谷川俊太郎と茨木のり子による鼎談が

岩波ビル9階会議室でこの日行われ

200人あまりの聴衆の熱気で溢れた今や歴史的なシーンですが

その翌日、病床にあった茨木の夫・安信の容態が急変し

肝臓癌が発見された末

およそ1か月後に他界してしまいます。

 

鼎談の内容や

帰り道での金子の様子、

小康を得た夫に金子の近況を語って聞かせる様子など

茨木の散文の筆先は冴えに冴え

息を飲む場面が続きますが

夫の告別式を済ませた茨木に金子光晴がふっと漏らした言葉を

このエッセイは書きとどめたのです。

 

「最晩年」は

「茨木のり子集 言の葉2」(ちくま文庫)に収められています。

 

 

足の悪い金子さんは骨箱の前に座り遺影に見入り「幾つ? ふうん、56ねえ、仏式でもないようですね」無宗教でやった告別式の残影をちらちら眺め、鉦もならさず線香も立てず、合掌もされなかった。「いま花屋から花が届きますからね、<いささか>からのいささかの志です」

 

 「いささか」というのは金子光晴、中島可一郎、岩田宏、私とで2号迄出していた小詩誌の名である。香奠を供えてふっと私のほうを振りかえり、「いまは八方ふさがりに思うでしょうが、そんなことは何でもないの、心配しなくっていいの、僕だって八方ふさがりばかりだったけどね、こうして生きてきたんだから。その人間になんらかの美点があれば、かならず共同体が助けてくれるもンです」ふしぎなことを聞くものかな。

(※改行を加え、洋数字に変換しました。編者。)

 

 

――とここまでを引用して来たブログ編者は

ここで引用を打ち切って

金子光晴の共同体意識について感想なり意見なりを述べたいところですが

それよりもこの件(くだり)に続けられる部分に

気を惹かれるところなのです。

 

 

 私のカランとした頭はそう思っていた。共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。しかし時が経って何度か反芻するうち、やっぱりこの中には彼の人間認識なり哲学なりがかっきり嵌め込まれてるのを感じ、自分一人の所有にしておくことは勿体ないと思われてくる。私以上に打ちのめされている人も多い筈である。風のように軽い、そして体験の裏打ちのある故にずしりと重くもあるこの言葉を、敢えて書き記しておくことにする。

 

 それだけ言うと、ひらりと身をかわすように帰ろうとされた。(後略)

 

 

共同体という言葉を残して

茨木宅を後にした5月末から1か月後の6月30日に

金子光晴の訃報が茨木のり子にもたらされますから

これが最後に聞いた言葉になりました。

 

 

詩集「落下傘」に充満する日本主義への痛烈な批判を読んできた者には

もう一度、この詩集を読み返してみることを薦めているような

詩人・茨木のり子のエッセイではありませんか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月20日 (水)

金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その2

(前回からつづく)

 

正覚坊(しょうがくぼう)はアオウミガメのことですが

大酒飲みの意味を持ちます。

 

 

大酒のみが

海の藻くずにからまれ浮いたり沈んだりしているように

わが地球よ!

頭から血のぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。

 

空で繰り広げられる死の恐怖を見上げて暮らす人々に

安堵はなく、まるでツンドラにでも起き伏しするようだ。

 

なぜ人は鷹を放したのだ。

その日から、人は天の高さを失った。

自分の放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。。

 

 

分別というものを誰も持たない。

泥まみれの奴らが、爆弾で開けられた大穴の周りに集まり

殺人(むごたらしさ)の新兵器とばかりに楽しんでいる(図)。

 

血の滲んだ剥がれ雲よ。

 

剥がれ雲は、はぐれ雲にかなり近い雲でしょうか。

大きな雲から剥がれて、孤立した状態の雲か。

 

鷹の比喩ではなく

人間の比喩でしょうか。

 

 

胃袋までもとりあげられて

呆然と

なすところをしらない人間よ。

 

(食べる元気も奪われて

自分を見失い

何をしてよいかわからないでいる人間よ)

 

 

 

怖れる馬鹿があるか!

もともと、おまえたちがはじめたことじゃないか!

 

ふるえるな。

みっともない。

 

おまえたちが加担して、

人の夫や人の子を戦争に追いやったんじゃないか!

 

 

おまえたちの手で空へ放たれて

すでに戻ることのできないのを

気づかないもの。

いたいけなもの。

 

鷹――。

 

 

ヨーグルトかなにか乳酸のように

空を濁(にご)す。

 

(のすり)だ!

隼(はやぶさ)だ!

 

 

天翔(あまがけ)る鷹が

青空を汚していく。

 

空から

美しいものが消え失せ

鷹が飛ぶたびに

死が飛翔するように

詩人の眼には見えたのでしょう。

 

憤懣の詩です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月19日 (火)

金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その1

(前回からつづく)

 

振り返れば

全22篇の詩を

「寂しさの歌」(22番)

「短章三篇」(11番)

「落下傘」(7番)

「風景」(5番)

「真珠湾」(2番)

「さくら」(18番)

――とアトランダムに拾って読んできました。

(※番号は詩集の配列順序で、読んだ順ではありません。)

 

なんの脈絡もないようですが

読んだ詩のイメージがすんなりと思い返せるのは

それぞれの詩が歌う風景が鮮烈だからでしょうか。

 

 

「――東京の廃墟に立って」を次に読むつもりでしたが

「鷹」の風景にも

触れてみたくなりました。

 

 

 

 

あのそらの奥の天国は

こわれちゃった!

 

あそこはいまいちめんに

青草がざわめいている。

 

あの青さは凍りついて

魚一尾棲めない。

ひっつったような湖面の光

 

芝居の小道具のように

どっかのすみへ忘られて

ほこりをかぶって

面やつれした

月や星。

 

その空のまんなかへ舞いあがる鷹!

義眼(いれめ)をした蒼鷹!

 

鉤(かぎ)なりの嘴につららをさげた

硝子のような

透明な大鷹!

 

もはや、あの天は、救いをもとめて

人がみあげる神座ではない。

 

あれは、重たいふた石だ。

磨ぎあげた

首斬刀(くびきりがたな)だ。

あれをみているといらいらする。

澄んでなんかいるものか。

酢のようにとごってるじゃないか。

 

あのむなしさを一ぱいにしてるのは鷂(はいたか)らの

死の飛翔だ。

羽ばたきの恐怖だ。

 

 

藻くずをかついで浮きつしずみつしている正覚坊のように、

地球よ。頭から血ぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。

 

空の恐怖をみあげてくらす人々に、安堵はなく、まるで凍土帯にでも起伏するようだ。

なぜ人は鷹を放した。その日から人は天の高さを失い、じぶんの放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。

 

分別らしいものは誰ももっていない。泥まみれな奴らが、爆弾で穿(うが)たれた大穴のまわりにあつまり、

斬新なむごたらしさの到来をたのしんでいる。

 

血のにじんだ

剥がれ雲よ。

胃袋までもとりあげられて

呆然と

なすところをしらない人間よ。

怖れる馬鹿があるか。もともと、

おまえたちがはじめたことじゃないか。

ふるえるな。みっともない。

おまえたちが加擔して、

人の夫を、人の子を戦争に追いやったんじゃないか。

 

おまえたちの手で空へ放たれて

すでに戻ることのできないのを

気づかないもの。

いたいけなもの。

 

酸乳のように空をかきにごす

(のりす=ママ)だ!

隼(はやぶさ)だ!

 

                    昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

「一」に出てくる「とごってる」は

「にごってる」の誤植ではありません。

「濁(にご)る」「沈殿する」という意味の方言です。

 

末尾の鵟(のりす)とあるルビは

「のすり」の間違いらしい。

 

鷂(はいたか)と同じ猛禽類で、

日本ではトビについでふつうに見られるタカ。

 

 

冒頭、「こわれちゃった!」とあるのは

冷笑して落着いている感情というより

爆発的な気持ちを伝えるものでしょう。

 

憤懣は、それでも抑制されているか。

 

空が、

それまでの天国の空ではなくなってしまったのを

慨嘆(がいたん)しているのです。

 

 

いま空は、一面に青草がざわめいている。

――と青空に異変が起きていることから歌い出されるのですが

その青空はすぐに海に変わります。




青は凍りつき

魚一尾も生きられない。

湖面の光は引きつっている。

 

月や星も。

 

芝居の小道具のように

どっかの隅に忘れられて

埃(ほこり)をかぶって

面(おも)やつれしてしまった。

 

 

その空へ鷹!

義眼(いれめ)をした蒼鷹(あおたか)!

 

くちばしに氷柱(つらら)をさげた

硝子(ガラス)のような

透明な大鷹!

 

 

自爆攻撃がこの時行われたのか。

決死の突撃機が鷹に見立てられました。

 

 

空は、もはや、救いをもとめて

人がみあげる神座、天国ではない。

 

重たいふた石だ。

 

磨(と)ぎあげた

首斬刀(くびきりがたな)だ。

 

あれをみているといらいらする。

 

澄んでなんかいるものか。

酢のようにとごってるじゃないか。

 

 

空をむなしさで満たす。

死の飛翔。

鷹。

 

 

特攻機の飛ぶ空は

とごってる(=にごってる)のです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月17日 (日)

金子光晴「落下傘」の時代・「さくら」その2

(前回からつづく)

 

「さくら」は

「二」に入ると男が現れます。

 

戦争から帰って来た男たちですが

その男たちは豹変(ひょうへん)したかのように

放蕩者(ほうとうもの)が放蕩者ではなくなっています。

 

根性が変りでもしたかのように

大和心(やまとごころ)の衣(ころも)をかぶった男になるのです。

 

 

同時に、あの弱々しかった女たちは

軍神の母になり、銃後の妻に成り変わります。

 

 

時あたかも桜花真っ盛り。

 

(出征する兵士を送る)

涙を太陽の光が祝福する。

 

 

ちりばめる螺鈿(らでん)、

落花の卍(まんじ)、

こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、

――というのはいずれも桜花の姿態か。

 

巨大なさくらが花吹雪を飛ばし

散り乱れ

枝々を春嵐が吹く様は

白象が練り歩く姿に見まごう(美しさ)。

 

 

桜花の向こうに聳える天守閣。

――という絵葉書のステレオタイプに

胸おどらせて、飽きもせず人は言う。

さくらは、お国とともにある人ごころだ、と。

 

 

(そうだろか?)

におやかなさくらしぐれに肌をうずめて

馬鹿な私は、うっとりとして、ただ思います。

 

桜花の中を泳ぎながら

思うことは淫(みだ)らなことばかり。

 

雪のように散り舞う鼻紙。

ぬけ毛。

落ち櫛。

あぶらのういた化粧のにごり水。

ふまれたさくら。

泥になったさくら。

 

みんな同じじゃないか。

 

 

ここは

美しいばかりではない桜の

ありのままの姿を受け入れる自然な感じ方を

痴れ者(馬鹿)の私に語らせるヤマです。

 

 

鼻紙(はながみ)や

脱け毛や

落ち櫛や

あぶらのういた化粧のにごり水や

……が

生存の必然であるのと同じように

踏まれたり、泥になったりするさくらもまた

さくら。

 

生存は美しいばかりではない。

美しくあらんとする観念の以前に

生きるために格闘するのだし

万物はやがては死を迎える

――ということまでは歌っていないのかもしれませんが

生きることの内実から眼をそむけて

見失うものがあることへの注意を呼びかけていることは確かでしょう。

 

もののあわれを観念の死へとショート(短絡)

美化する危なさ。

  

 

さくらよ。

だまされるな。

 

あすのたくわえもないという

さくらよ。

 

忘れても、

世の俗説にのせられて

烈女節婦となるな。

 

散り際がよいとおだてられて、

女のほこり、よろこびを、

かなぐりすてるな。

 

汚いもんぺをはくな。

 



最後には

「さくら」は女を励ます歌のようになりますが

その女の背後には同じ道を行く男の存在があることを

読み取らねばならないようです。

 

男よ!

女にもんぺをはかすな、と。 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月16日 (土)

金子光晴「落下傘」の時代・「さくら」その1

(前回からつづく)

 

「さくら」は

詩集末尾の「寂しさの歌」から数えて5番目に配置されていて

末尾に昭和19・5・5の日付のある詩。

 

続く「鷹」の末尾には、

昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。

――とあり、

続く「――東京の廃墟に立って」は、

昭和20・6・20。

 

「わが生に与う」に日付はなく

「寂しさの歌」に、

昭和20・5・5 端午の日

――と詩集の結びに入って記録の傾向がやや強調されたのか

その意図はなかったのか。

 

 

桜花(さくら)が

女性そのものとして歌われ出すのに

抵抗感はなく自然なのは

象徴詩法の世界に馴染(なじ)んだからでしょうか。

 

 

さくら

 

 

おしろいくずれ、

紅のよごれの

うす花桜。

 

酔わされたんだよう。

これもみすぎ世すぎさ。

 

あそばれたままの、しどけなさ。

雨にうたれ、色も褪(さ)めて、

汗あぶら、よごれたままでよこたわる

雲よりもおおきな身の疲憊(つかれ)よ。

 

女はなんたる弱いものだろう。

 

家柄とあい性でむすばれる

よい花嫁。

しきたりのまえの伏し目がち。

鉄気くさい貞操、女 今川。

水仕業、ぬい針、世帯やつれて、

あるいは親たちのために身うりして、

あるいは愛するがゆえにしりぞいて、

あきらめに生きる心根のいじらしさ。

 

それこそは、花の花。

花の下の小ぐらさ。哀しい仄(ほの)明かり。

 

近々と花はおもてをよせながら

かたらいもえで

はやちりかかる風情。

 

染井、よし野。

遠山桜。

糸ざくら。

 

ことしの春を送る花。

この国のやさしい女たちの

いのちのかぎり、悔もなく

天にも地にも咲映えて。

 

八重一重

手鞠(てまり)、緋ざくら、

遅桜。

 

 

戦争がはじまってから男たちは、放蕩ものが生まれかわったように戻ってきた。

敷島のやまとごごろへ。

 

あの弱々しい女たちは、軍神の母、銃後の妻。

 

日本は桜のまっ盛り。

 

涙をかざる陽の光、

 

ちりばめる螺鈿(らでん)、落花の卍、こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、

 

花にうく天守閣。――その一枚のえはがきにも

胸おどらせて、人はいう。

さくらは、みくにのひとごごろと。

 

におやかなさくらしぐれに肌うずもれて

世のしれものの私は、陶然として、

ただおもう。

 

さくらのなかをおよぎながら

おもうことは淫らなことばかり。

雪とちりまう鼻紙よ

ぬけ毛、落ち櫛、

あぶらのういた化粧のにごり水。

ふまれたさくら。

泥になったさくら。

 

さくらよ。

だまされるな。

あすのたくわえなしという

さくらよ。忘れても、

世の俗説にのせられて

烈女節婦となるなかれ。

 

ちり際よしとおだてられて、

女のほこり、よろこびを、

かなぐりすてることなかれ。

きたないもんぺをはくなかれ。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

化粧の白が崩れ

口紅は乱れる

うす花桜の女。

 

うす花桜は

咲き初めというより

盛りをすぎてうすら白くなった桜でしょうか。

 

 

酔わされたんだ。

みすぎ世すぎのためなのさ。

 

あそばれて、しどけなく。

雨にうたれ、色も褪(さ)めて、

汗あぶら、よごれたままでよこたわっている

雲よりも大きい疲れ。

 

汚れたままで横たわっている

――のは桜ですが女でもあります。

 

疲れをためた女の存在が

この詩行によって

ブローアップされます。

 

 

詩人は

女がそこに存在するかのように

さくらを見ています。

 

 

その女は

なんと弱いものか。

 

家柄とあい性でむすばれる花嫁。

 

しきたりの伏し目。

 

鉄気くさいの鉄気は、「かなけ」「かなっけ」か?

 

堅苦しく貞操を守ろうとし

教訓書「女今川」のいう通りに

生きようとする。

 

水仕業(水仕事)や、ぬい針やで、世帯やつれして、

あるいは親たちのためにと説き伏されて身売りして、

あるいは愛するがゆえにと思わされて身を引いて、

あきらめに生きる心根がいじらしい。

 

 

これが、花の中の花。

 

花の小ぐらさだ。

哀しい仄(ほの)明かりだ。

 

 

近々と花(女)はおもて(顔)を寄せながら

語らいもえで(語らって燃えもせず?)

早くも散りかかる風情(様子)である。

 

染井、よし野。

遠山桜。

糸ざくら。

……。

 

色々な姿態(すがた)を見せて。

 

 

ことしの春を送る花。

 

この国のやさしい女たちは

いのちのかぎり、悔いもなく

天にも地にも咲き映える。

 

八重一重

手鞠(てまり)、

緋ざくら、

遅桜。

……

色々に形を変えて。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月13日 (水)

金子光晴「落下傘」の時代・「真珠湾」その2

(前回からつづく)

 

金子光晴は、

1929年(34歳)と1932年(37歳)にマレー周辺を放浪に似た旅をした詩人ですから

勘のようなものがあって

日本が真珠湾を攻めるということを予感していたのでしょうか。

 

太平洋戦争は

マレー作戦に続いて行われた南方作戦の早い時期の実践でしたから

ハワイ作戦がくっきりと見えていたのかもしれません。

 

 

南方放浪の中で

日本軍がハワイあたりを狙うであろうことを自然に感じていたということは

分かる気がしますが

それにしても「真珠湾」は奇跡のような詩です。

 

 

なんら戦争らしきものは明示されていません。

 

あっても

ことごとくが暗喩です。

 

 

くらやみのなかで草木までが咬みあう

 

いのちあるものも、ないものもみな、ぶざまに、虫けらのように匍出す

 

平安の海は均衡を失ってなだれ、

舟足はたゆたい、ゆく先が絶壁なしてきって落され、

舟もろともにいまにも落込むか

 

波のこげるにおい

 

鍋や皿のぶつかる音

 

……。

 

詩の後半部「二」のこれらの詩行が

ふとランボーの「酔いどれ船」を想起させるし

戦争のメタファーであることを思わせますが

断定もできません。

 

 

でも

詩集「落下傘」の冒頭2番目に配置されているのです。

 

冒頭詩は「あけがたの歌 序詩」ですから

詩集編集のための戦略的配置の意味があることを考えれば

「真珠湾」は1番詩とみなしてもよい詩なのです。

 

戦争以外の暗喩であろうはずがないのです。

 

 

白日夢のようなまばゆさの真芯が地獄と化す

――というような事件を

この詩に読んで大いに可能であると言わざるを得ません。

 

満ち溢れる光と歓喜のアポロンの島に

突如として訪れる「無意味」。

 

この「無意味」はしかし……。

 

私(僕)のこころの風景をゆきすぎる「無意味」であり

末行で

絶望に似た安堵

しらじらしさ

――と結ばれる果てしない寂寥感をともなうものでした。

 

後になって

詩人は真珠湾攻撃のニュースを聞いたときの様子を

回想記に記します。

 

 

自叙伝「詩人」は1956年に詩誌「ユリイカ」に書きはじめたものを

翌57年に単行発行した回想記ですが

中に真珠湾攻撃のことが当然ながら記録されているところがあります。

 

先に日本主義の研究にとりかかった頃のことを紹介し

宣長(のりなが)、篤胤(あつたね)、佐藤信淵(のぶひろ)などを読みはじめたと記された

その続きに書かれています。

 

 

其頃、不拡大方針をうたっていた戦争は、底なし沼に足をつっこんで、12月8日、ラジオは、真珠湾奇襲を報道した。僕の一家が、そのとき、吉祥寺1831番地の家へ移ってまもなくであった。母親も、子供も、ラジオの前で、名状できない深刻な表情をして黙っていた。

 

「馬鹿野郎だ!」

 

 噛んで吐き出すように僕が叫んだ。戦争が不利だという見通しをつけたからではなく、まだ、当分この戦争がつづくといううっとうしさからであった。どうにも持ってゆきどころがない腹立たしさなので、僕は布団をかぶってねてしまった。「混同秘策」がはじまったのだ。

 

丁度、その日、新劇に出ていた元左翼の女優さんだった女の人がとびこんできて、

「東条さん激励の会を私たちでつくっているのよ」

 と、いかにも同意を期待するように、興奮して語った。東条英機は、女たちの人気スターになっていたのだ。

 

僕は床のなかで、その話をききながら眼をとじた。国土といっしょにそのまま、漂流しているような孤独感――無人の寂寥に似たものを心が味わっていた。

(略)

 

(旺文社文庫「詩人」より。改行・行空きを加えてあります。編者。)

 

 

※「混同秘策」は佐藤信淵の著作です。

 

 

これは作品「真珠湾」への記述ではありません。

 

「真珠湾」が作られた動機を

この記述は何も語っていませんが

最後の行で述べられた「無人の寂寥」という孤独感は

「真珠湾」の「無意味」とまっすぐに繋がっているもののように思えてなりません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月12日 (火)

金子光晴「落下傘」の時代・「真珠湾」その1

(前回からつづく)

 

詩集「落下傘」の目次を見てみましょう。

 

 

あけがたの歌 序詩

真珠湾

風景

天使

落下傘

洪水

太沽バーの歌

短章三篇

瞰望

いなずま

ごはん

追放

屍の唄

奇蹟

さくら

――東京の廃墟に立って

わが生に与う

寂しさの歌

 

(「現代表記」に直してあります。編者。)

 

 

「寂しさの歌」

「短章三篇」

「落下傘」

「風景」

……と読んできて

タイトルだけを眺めてみれば

「真珠湾」と「さくら」と「――東京の廃墟に立って」の3作品に関心が向きます。

 

風景というキーワードで追ってきた読み(主観)の流れから

どうしてもこの3作が気になるのです。

 

 

「さくら」から読みたいのは

風景のさまざまな形の列挙が

和の象徴たるべきさくらへと収斂(しゅうれん)して行くのかと想像されるところからですが

その意図があるのかどうか

その前に「真珠湾」の風景を見ておく意義もありそうですから

「真珠湾」をまず読みます。

 

 

日本軍の真珠湾攻撃は1941年(昭和16年)12月8日に行われたのですから

この詩「真珠湾」末尾に「昭和15・8・10」とあるのを

驚きの眼で読む人は多かろうことが推測されるところです。

 

真珠湾攻撃の前に「真珠湾」という詩は

制作されたのです。

 

 

真珠湾

 

 

湾(いりうみ)のあさい水底に

真珠母(あこやがい)がひらく。

 

そのまばゆさは、

水の足うらをくぐり、

天ののどを擽(くすぐ)る。

逃げまどう旗魚(かじき)たち。

かんざしをさした

美貌の島嶼(しまじま)。

 

十人の令嬢のまえに立たされたように、

早朝、僕のこころはずんで

そらと海にむかって出発した。

すう息はふかく

富貴のようにかぎりなく、

吐く息はやわらかく

情愛のように涯(はてし)なく、

 

骨牌(かるた)のように翻(ひるがえ)る

鴎。

 

別墅(べっしょ)。

郵便船。

目にうつるものは薔薇色(ばらいろ)に。

 

天使らのもてあそぶ

雲の巻貝ら

そらにならぶ。

 

水にちらばう光をひろい、

思念は紡錘(つむ)のようにゆききし

うとうととする。

 

ああそこには、

すみわたる歓喜みちあふれ、

くちづけの恍惚に似て、

そらふかくしずむ神々の姿を

まぼろしにみる。

 

 

目もあやな有頂天な風景をゆきすぎつつ、私のこころに

ふと、僕のこころにかげってゆく翼のような「無意味」があった。

 

雲の峯たちならぶ

毛なみ柔かな海上を走りつつ、

風とともに不興をやりすごすため、

僕は目をとじた。無念無想になって、

 

もう一度、母の胎内にもぐりこんで、ぬくぬくと寝たいとおもったのだ。

だが、たちまち、くらやみのなかで草木までが咬みあうのをきき、

いのちあるものも、ないものもみな、ぶざまに、虫けらのように匍出すのをおぼえた。

 

平安の海は均衡を失ってなだれ、

舟足はたゆたい、ゆく先が絶壁なしてきって落され、

舟もろともにいまにも落込むかとこころは怖れまどうた。

 

波のこげるにおい。

麦熟れ。

鍋や皿のぶつかる音。

魚でなまぐさい手。

鼻歌まじりの恥しらずなとりひきのなか、

裸の乳房、尿壺のぬらぬら。

いきねばならぬ奔騰の狂気のなかを、僕は

ちるはなびらのようにもてあそばれた。

 

いまはしいくらがりの幕、

おずおずと僕はまぶたをあげる。

おお真珠湾よ。

髪かたち化粧のむずかしい天女らの

うぬぼれ鏡よ。

白痴かと疑う無垢の肌の

臍までうつすおどけ鏡。

 

むらがる裸女たちでまばゆい海。

瀧となっておちる光

ふたたび均整と正義と、遠近法の

ひたむきな虚妄の壮麗に立ちかへったことの

絶望に似たなんというふかい安堵。

また、なんといふしらじらしさ。

                              昭和15・8・10

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、一部ルビを加えました。編者。)

 

 

湾(いりうみ)のあさい水底に真珠母(あこやがい)がひらく――。

 

そのまばゆさ

美貌の島嶼(しまじま)

十人の令嬢

僕のこころはずんで

富貴のようにかぎりなく

骨牌(かるた)のように翻る鴎

目にうつるものは薔薇色

天使

雲の巻貝

水にちらばう光

すみわたる歓喜みちあふれ

くちづけの恍惚

そらふかくしずむ神々

……

 

 

「一」に戦争の気配は何一つありません。

それどころか――

真珠(パール)の養殖で知られるあこやがいの生息する湾の

まばゆく

薔薇色の

光散らばる

歓喜に満ち

接吻の恍惚に似た

神々の姿。

――と一点の翳(かげ)りもない

アポロンの島の景色が歌われる中に

これらがまぼろしであることが明かされるのです。

(※このように意訳して失われるものがあることに注意しなければなりません。)

 

 

「二」

目もあやな有頂天な風景を行く私(僕)の心に

「無意味」がふと生じ

この「無意味」が戦争を暗示するものであるのか

容易に判断できないところからはじまります。

 

「一」と「二」に断絶を読むか連続を読むか

まぼろしをどう読むかにかかるようですが

どちらにしても「無意味」を読むことになります。

 

 

海上を走る僕――。

 

目を閉じ

母の胎に潜り込もうとする僕。

 

暗闇の中で

草木が咬み合うのを聞く。

ありとあらゆるものが

虫けらのように這い出す。

(「草木が咬み合う」には
平穏な時の終焉が暗示されます。)

 

 

平安の海ではなくなり

行く先は絶壁となって落ちている

恐怖。

 

 

波が焦げる

麦が熟れる

鍋・皿がぶつかる

 

魚の匂いで生臭(なまぐさ)い手

鼻歌まじりの取り引きで

裸の乳房、糞尿のヌラヌラ。

(修羅場。)

 

生きねばならない

狂気の世界にはなびらのように弄ばれた僕。

 

 

幕があがり

僕は瞼(まぶた)を上げる

 

真珠湾だ。

 

髪の形、化粧を凝(こ)らした天女らが

鏡の前でうぬぼれている

 

白痴と見まがうほどの無垢な肌が

臍までを映し出す鏡。

 

 

裸の女たちが群がりまばゆい海。

 

光は滝となって落ち

また

均整と正義と遠近法の虚妄に立ち返った

 

絶望と安堵と

なんという白々しさ。

 

 

読み下してみましたが

逸脱があるかもしれません。

 

 

象徴詩表現は

細部よりも全体を鷲掴(わしずか)みにできるかどうかが

分かれ目のようです。

 

「二」の冒頭に「風景」の1語があるのは

よい手がかりであるかもしれません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月10日 (日)

金子光晴「落下傘」の時代・「風景」その3

(前回からつづく)

 

底深く黒ずんだ曇天の下に生えている

いばらと萩。

その根。

 

いばらには棘(とげ)があり

萩は秋を代表する花であり

二つは対照的な存在でありながら

根っ子は同じ世界にあるもの。

 

その世界に分け入っていく

――のは、詩人その人なのか。

 

 

詩は

根っ子にあるものに到達しようとしているようですが

直截(ちょくさい)な表現にはなりません。

 

 

「二」は冒頭に

おそらく金子光晴が何らかの格言・警句をモデルにして(――「 」の部分)

みずから作った警句を詩行に置いたものでしょう。

 

「一」 末尾の象徴的表現を

さらに韜晦(とうかい)します。

 

 

訓を垂れる岩壁や天来の声は

権力とか支配者とか軍部とかを含意し

それらへの痛撃が込められているのでしょうか。

 

それとも

これから列挙しようとしている風景への案内なのでしょうか。

 

再び、列挙されるのは

この国の人間の風景です。

 

 

月の肋(あばら)は、月のうさぎの別の言い方でしょう。

 

月面のデコボコになお

もののあわれを見い出そうとするこの国の民草の感受性。

 

蘭や菊のにおいの漂う昔語りを

この国の人(文の道)は1000年来くり返している。

 

いつでもイキのいいのは武士道だったし

いまもそうである。

 

 

掃墨(はいずみ)。「掃き墨(はきずみ)」の音便形で「はいずみ」と読み、墨の一種。

苔庭の寂び。

紬織(つむぎおり)は高潔の気風。

 

秘事秘伝や雲烟(くも・かすみ)ばかりを歌う詩人たち。

腹芸(はらげい)に走る政治家たち。

 

 

これらの同列列挙は

詩人の自由自在、融通無碍(ゆずうむげ)の飛翔のようです。

 

詩人と政治家を並べたのは

ソクラテスを真似たのでしょうか。

 

 

思い入れ

七笑い。色々な笑い方をすること(人)か。

咳払い

しかめ顔。

 

さわり。聞き所か。義太夫や三味線の技(わざ)の一つでもあり、それを意図したのかも。

小手先の芸を生み出すからくり。

鬼火の燃える田んぼとネオンサイン。

 

信淵(のぶひろ)とルソー。

 

 

日本人の仕草、一挙手一投足、表情から

器用な小手先へ。

鬼火が見える田んぼはネオンサインの風景へと繋がっていきます。

 

そして

佐藤信淵(さとうのぶひろ)とジャンジャック・ルソーまでもが

引っ張り出され、

 

ぜげん(女衒)。人身売買の一種。女性を廓(くるわ)に売ることを商売としていた。

奉公人。丁稚(でっち)。

乱破(らっぱ)=素っ破(すっぱ)。忍びの者、盗人、うそつき等の意味がある。

神憑(がか)り。霊媒師みたいな職業か。

――までもが同じ土俵に乗るのです。

 

 

佐藤信淵は、江戸時代の思想家。

 

金子光晴は、日本主義の研究対象として

信淵を挙げていて

幾つかの著作を読んだことを記録しています。(「詩人」)

 

ルソーと共通するものを見たのでしょうか。

 

 

詩の最後には

酒と世渡りを覚えて街を闊歩する学生。

活け花と茶にいそしむ乙女。

 

 

例示のつもりが

次第に列挙となり

なかには象徴とされる風景もあるようです。

 

 

文化とか伝統とか。

もののあわれとかわびさびとか。

 

詩人の眼に見える風景の寂しさの先に

どかんと聳(そび)えているのは戦争でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月 9日 (土)

金子光晴「落下傘」の時代・「風景」その2

(前回からつづく)

 

男の心も女の心も

なんとさみしくうらぶれた眺めであることか。

――と歌い起こされる景色の一つ一つは

もし戦争の時代でなかったなら

詩人の眼をも欺(あざむ)いて

わびさびやもののあわれの

ありふれた風景であったのでしょうか。

 

 

「千本格子(せんぼんごうし)」は、目のこまかい縦の格子のこと、京都などの古都で見られる。

 

「茶しぶ」は、湯呑茶碗にこびりついた茶の渋(シブ=アク)。洗剤が普及する前は、どの家にも茶渋で赤茶けた湯呑が使われ、縁起かつぎにそれを磨き落さない風習があった。

 

「逃げ水」は、陽炎(かげろう)と同じものか。水が逃げるように見える小さな蜃気楼(しんきろう)。

 

「うるみいろ」は、深みのある黒味がかった色。日本の伝統色の一つ。

 

……などと、ボキャブラリーを調べているうちに

詩を見失ってはいけません。

 

これらの昔語は

知的遊びに使われているのではありません。

 

 

昼下がりで人気ない街の千本格子と

物干しの向こうに見える鰯雲(いわしぐも)――。

 

この二つを同列に置く

詩人の眼差しに見えているものはなんでしょうか。

 

そして、

貧寒やすきま風。

人情の茶渋。

泪でじくじくに濡れた眼。

――と列挙した詩人に見えているものはなんでしょうか。

 

これらの風景を

みんな同列に置いた詩人の眼に何が見えているのでしょうか。

 

 

しかしよく読めば

ここまでは寂しくはあれ平穏な風景です。

 

都市であれ田舎であれ

ある市井(しせい)の平時の風景を歌っています。

 

 

この平穏でありふれた景色の中に

ふっと現れる女は

おどおどとしていじけています。

 

そして男たちは

酔狂に女を殴り

女を疑い監視する。

 

どこへ行っても

こんな景色ばかりと歌われるところで

穏やかな時間は異常な世界へと変質していることに気づかされます。

 

千本格子や鰯雲の風景が

酔狂に女を殴る男たちの風景に

いつしか変化しているのです。

 

にもかかわらず

これらの風景は連続しています。

 

繋がっているのです。

 

 

そうして最後には

人の愛情が主語として現れ

はじまりの男と女の風景を受けて

やや象徴的な詩語に結ばれます。

 

逃げ水のような

男と女の愛情――。

 

それは

行き暮れて悲しい雲である。

 

それは

うるみ色の曇天に生えるいばらと萩の根に分け入る

――(ようなものである)というのです。

 

 

いばらと萩の根とは

なんのことでしょうか?

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月 7日 (木)

金子光晴「落下傘」の時代・「風景」その1

(前回からつづく)

 

「風景」は「落下傘」の二つ前に配置され

冒頭から5番目の詩です。

 

ここに歌われるのは戦場ではなく

巷間(こうかん)の日常風景です。

 

巷間といっても

金子光晴という詩人の眼を通したものですから

そこに現れるのは風俗ばかりではありません。

 

 

風景

 

 

おとこのこころの淋しいながめよ。

 

おんなのこころのなおうらぶれた眺望よ。

 

みるかぎり蕭索として、うす埃をかぶったそのあたり

弱日さす千本格子、

物干しのそとの鰯雲。

貧寒やすきま風。

人情の茶しぶ、

泪でじくじくな眼。

 

胸にたつ小骾(こぼね)のいたみ、おどおどと心いじけた女たち、

酔狂に女を殴る男たち。

あるいは身や家の外聞を怖れ

猜疑の目で女を監視するもの

――右も左も、そんなけしきばかり。

 

人の愛情は逃げ水のごとく

ゆきくれたかなしい雲、

うるみいろの曇天のしたの

いばらと萩の根にわけ入る。

 

 

すねに毛のない岩壁は訓を垂れる。――「無一物を尊べ。」

榾火(ほたび)でパチパチいいながら天来の声は語る。――「形骸をゆめゆめ信ずるな。」

 

月の肋(あばら)。

うち嘆く杪(こずえ・びょう)をかすめて、なお

諦観が

もののあわれがさまよう。

蘭や菊のにおう昔がたりを人は、千年もくり返す。

この国でもっとも新鮮なものは、武士道である。

 

掃墨。

苔寂びた庭。

紬織――高節の気風。

 

秘事秘伝、雲烟のなかの詩人たち。

はら芸をみせる政治家たち。

 

おもいいれ、七笑い、咳払い、しかめ顔。

さわり、繊細な小手先のからくり。

おに火のもえる水田と

ネオンサイン。

 

信淵とルッソー。

ぜげん、奉公人、乱波(らっぱ)、神憑り。

 

鴉のように巷にあふれる学生どもは、酒くせと、世わたりをならいおぼえ、

嫁入り前の娘らは、床花を活け、茶の湯の作法に日々をくらし。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな・新漢字」に改め、一部、ルビを加えました。編者。)

 

 

一読して

難解語がやや多目の詩ですから

辞書を引かないと理解できないところがあるかもしれません。

 

単語の意味が不明でも

前後関係(文脈)からなんとか類推できる部分もあるので

めげずに読んでいきましょう。

 

 

難解語を多用したという意識が

詩人にあったものか

古今東西の風習風俗文化に造詣が深く

度重ねた海外経験や

多彩な交友関係のある詩人のことですから

難しい言葉を使っているという感覚はなかったのかもしれませんし。

 

戦時下であり

相当に危険な内容を扱い

相当に危険な主張を詩に込めているわけですから

官憲の目から逃れるために難語を敢えて使用したということも考えられます。

 

 

というよりよく読むと

一つも二つも前の時代に使われていた昔言葉の類が多く

難しさはそのあたりから来る場合が多いことに気づきます。

 

すでに見られなくなった風習・風物を

すでに使われなくなった言葉で表現すれば……

 

たとえば

「榾火(ほたび)」は「焚火(たきび)」に近いものではありましょうが

「榾=ホタもしくはホダ」を知る者は現代ではほとんどいなくなったと言っていでしょうから

「焚火」に替えて想像するしかないことになります。

 

金子光晴の詩の言葉使いには

このような昔語(むかしご)が実に多く現れます。

 

 

千本格子

茶しぶ

小骾(こぼね)

逃げ水

うるみいろ

 

月の肋(あばら)

杪(こずえ・びょう)

掃墨(はいずみ)

紬織(つむぎおり)

はら芸

七笑い

さわり

おに火のもえる水田

ぜげん

乱波(らっぱ)

神憑り

床花

 

 

ほかに、

単語の難しさ以上のものがある詩語として――。

 

もののあわれ

蘭や菊のにおう昔がたり

武士道

秘事秘伝、雲烟のなかの詩人たち

信淵とルッソー

 

 

警句などの引用――。

 

すねに毛のない岩壁は訓を垂れる。――「無一物を尊べ。」

榾火(ほたび)でパチパチいいながら天来の声は語る。――「形骸をゆめゆめ信ずるな。」

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月 6日 (水)

金子光晴「落下傘」の時代・「落下傘」その2

(前回からつづく)

 

「二」の終りの部分にある

「もののふの

たのみあるなかの

酒宴かな」

――は、有名な能の「羅生門」から採ったものらしく

酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治した武将として知られる渡辺綱らが

主君の源頼光に招かれた酒宴を描写する導入の謡。

 

「もののふ」は、武士。

「たのみあるなか」は、頼みある仲。

 

互いに勇猛であることを誇りにしていた仲間が集まって

酒の宴を開いたものでした

――と、能のイントロで謡われる口上です。

 

何故、戦国の武将が登場するのでしょう。

その酒宴を案内する能が呼ばれたのでしょう。

 

 

言葉がなんでも通じ

顔色の底にある意味までがわかり合える

朋党。

お仲間。

 

もののあわれ(有情)という

日本美が通じる友だちが住む国こそ

祖国。

 

 

もみ殻や魚の骨。

食べ物の残り。

 

ひもじくても微笑を絶やすまいという躾(しつけ)。

 

寒さのなかでも

きりりとしているものの景色。

 

 

ほかに……。

 

洪水の中の電柱にも。

草葺きの家の廂にもかかる日の丸。

 

さくらしぐれ。

忠魂碑。

家々の庇は義理人情が建ち並ぶ。

盆栽。

置物の富士山。

 

 

金子光晴がこの詩で呼び出す風物・習慣・景色は

とりとめもないようですが

みんな繋がっています。

 

空に浮かびながら

祖国の風景がいよいよ繋がってはっきりと見えるのです。

 

 

じゅつなげには「術」「無げに」か。

 

昼顔の花のように、しおれ、もつれて、

青天にただよう。

落下傘=わたしの足の下にあるもの。

(「一」)

 

 

ゆらりゆらり。

二つの足の裏をすりあわせるわたし。

(「三」)

 

落ちても落ちても

落ちるところがない――。

 

無間地獄(むげんじごく)でありませんように。

 

 

「落下傘」はあきらかに「寂しさの歌」に繋がる詩で

詩集全体がこれに似たトーンを帯びていることが想像できますが

このような詩を書いた詩人は

いったいどのような時代(状況)を生きていたのだろうか

――という関心の赴くままに

自叙伝「詩人」を読んでいると

この頃を記したところにぶつかりました。

 

少し長い引用になりますが――。

 

 

(略)

だが、その当時から、僕としては、どうしても腑に落ちないことが一つあった。内心はともかくとして、例え、表面のことだけとしても、昭和7、8年頃までの日本人のなかには、たくさんのインテリと称するものがいて、世界共通な人間的正義感を表にかざし、自由解放を口にしていたものが、いかに暴力的な軍の圧力下とは言え、あんなにみごとに旗いろを変えて、諾々として一つの方向に就いてながれ出したということは、十年近くも日本をはなれてかえってきた僕には、了解できないことであった。

 

明治の日本人が、わずか一銭の運賃値上に反対して、交番を焼打ちした血の気の多さが、今日、こんな無気力な、奴隷的な、なんの抵抗もできない民衆になりはてたということを、そんなにとり立てて不思議におもうのは、昭和のはじまりからの、特に発達してきた大機構の重圧のしたに、我々国民が全くスポイルされてきた経路を、不在のために僕が、いっしょに味わい、理解する機会をえられなかったからであったろう。

 

 戦争がすすむに従って、知人、友人達の意見のうえに、国民教育の反応が如実にあらわれてくるのをみて、僕は呆然とした。丁度、外来思想が根のない借りもので、いまふたたび、小学校で教えられた昔の単純な考えにもどって、人々が、ふるさとにでもかえりついたようにほっとしている顔を眺めて、僕は、迷わざるをえなくなった。古い酋長達の後裔に対して、対等な気持しか持てない僕、尊厳の不当なおしつけに対して、憤りをこめた反発しかない僕は、精神的にこの島国に居どころがほとんどないわけだった。

 

 そして、その頃までは、決して僕の方からゆずりたくない気持で、ごく自然に、戦争に反対し、戦争にまで追い込む政治機構に反対して、「鬼の児の唄」までの詩篇を書きつづけてきた僕は、一コスモポリタンの僕の考えよりもこの民族をうごかしているものが、もっともっと厳密で、底ふかい、国土とむすびついたものにちがいないということにやっと気が付きだした。

 

その頃から、僕は日本思想というものを勉強しようとおもい立った。

(略)

 

(旺文社文庫「詩人」より。改行を加えてあります。編者。)

 

 

こうして、金子光晴の日本美への本格的な研究がはじめられたのです。

 

この記述の直後に真珠湾奇襲がありますから

1941年の頃のことです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月 3日 (日)

金子光晴「落下傘」の時代・「落下傘」その1

(前回からつづく)

 

詩集「落下傘」には

詩集題と同じタイトルの詩「落下傘」があり

「短章三篇」の4つ前に配置されています。

 

数えてみれば計22篇ある詩の

7番目が「落下傘」で

11番目が「短章三篇」で

22番目が最終詩である「寂しさの歌」ということになります。

 

 

「落下傘」に制作年は記されていませんが

「短章三篇」の1936、7年(昭和11、12年)よりも後に作られたであろうことは

落下傘という言葉自体から推測できることでしょう。

 

落下傘は

戦争が本格化したことを物語るからですが

詩の象徴性ということを考えれば

この推測の根拠は意味のないことかもしれません。

 

そうだとしても

落下傘も「短章三篇」の弾丸も

戦場そのものですし

戦場が近くにあることは明らかですし

戦場そのものの形象(イメージ)です。

 

 

詩人が実際に落下傘をどこかで見たことがあったか。

 

なかったとしても

落下傘が「短章三篇」の「弾丸」と同じく

詩人の「化身」であるかのように

自在に戦場を行き来する存在であることには瞠目(どうもく)せざるを得ません。

 

 

落下傘

 

 

落下傘がひらく。

じゅつなげに、

 

旋花(ひるがお)のように、しおれもつれて。

 

青天にひとり泛びただよう

なんというこの淋しさだ。

雹や

雷の

かたまる雲。

月や虹の天体を

ながれるパラソルの

なんというたよりなさだ。

 

だが、どこへゆくのだ。

どこへゆきつくのだ。

 

おちこんでゆくこの速さは

なにごとだ。

なんのあやまちだ。

 

 

 この足のしたにあるのはどこだ。

……わたしの祖国!

 

さいわいなるかな。わたしはあそこで生れた。

 戦捷の国。

父祖のむかしから

女たちの貞淑な国。

 

もみ殻や、魚の骨。

ひもじいときにも微笑(ほほえ)む。

躾(しつけ)。

さむいなりふり。

有情(あわれ)な風物。

 

 あそこには、なによりわたしの言葉がすっかり通じ、かおいろの底の意味までわかりあう、

 額の狭い、つきつめた眼光、肩骨のとがった、なつかしい朋党達がいる。

 

「もののふの

たのみあるなかの

酒宴かな」

 

洪水(でみず)のなかの電柱。

草ぶきの廂にも

ゆれる日の丸。

 

さくらしぐれ。

石目(きめ)あたらしい

忠魂碑。

義理人情の並ぶ家庇。

盆栽。

おきものの富士。

 

 

ゆらりゆらりとおちてゆきながら

目をつぶり、

雙つの足うらをすりあわせて、わたしは祈る。

 「神さま。

 どうぞ。まちがいなく、ふるさとの楽土につきますように。

 風のまにまに、地上にふきながされてゆきませんように。

 足のしたが、刹那にかききえる夢であったりしませんように。

 万一、地球の引力にそっぽむかれて、落ちても、落ちても、着くところがないような、悲しいことになりませんように。」

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「現代かな」に変えました。編者。)

 

 

「二」の、

わたしの祖国!

――と

さいわいなるかな。わたしはあそこで生れた。

――という詩行に導かれて歌い出されるこの国の風景・風物の根本は

やがては「寂しさの歌」の寂しい精神のうぶすなとしてとらえられるものですが

ここ「落下傘」では

「一」や「三」で

落下傘(という表徴)のたよりなさ、足のつかない感覚によって現れます。

 

たよりなさが

混じり気なく

より鮮烈に

ゆらりゆらりと

落ちてゆくところもわからない不安の象徴として描かれています。

 

 

なんという

どこへ

なにごとだ

なんの

――という畳みかけ(一)は

神様への祈りで終わるしかありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月 1日 (金)

金子光晴「落下傘」の時代・「短章三篇」その3

(前回からつづく)

 

「短章三篇」は

「A北京」、「B弾丸」、「C八達嶺にて」で構成される連作詩ですが

「C八達嶺にて」の「八達嶺」が

首都・北京郊外の万里の長城の一部であることを知っていれば

金子光晴一行が昭和12年(1937年)の元旦にこの地を訪れたことのイメージを

いっそう近しく感じ取ることができるでしょう。

 

「A北京」には「1936・12」とあるのですから

前年末に北京に入って

何日かした年明けの初日(はつひ)を

夫妻は万里の長城で見たことになります。

 

 

A 北京

 

ビラがはがされ、そのうえに又ビラがはられる。

古陶玩具の国民よ、ものうげにみあげるどの眼も、それをよもうとはしない。

うす陽のあたる土塀には疥癬。人の足には黴。

 

こまかい障子の桟のうしろには、くすぶった蝋燭皿。

                      1936・12 尚賢公寓村上氏を訪ねて

 

 

ビラがはがされ、また、ビラがはられる

――というのは日本軍と抗日のせめぎあいを意味しています。

 

古陶玩具の国民

――というのは有史5000年を秘めた民衆のことか。

 

はがされ・はられるビラを民は読んで読まぬ顔。

街中の土塀はダニに蝕(むしば)まれ、人の足も皮膚病に罹(かか)っている。

 

障子の向こうでくすぶっている蝋燭皿(ろうそくざら)。

 

人々の貧しい暮らしぶりを

詩人はまずは記録したのでしょう。

 

日中戦争がはじまったばかりの北京――。

 

 

金子光晴が1956年(62歳の時)に書きはじめ

翌1957年に単刊発行された自叙伝「詩人」の一節を

ここで読んでおきましょう。

 

 

(略)

戦争中の新聞雑誌の報道や論説は、いつでも眉唾ものときまっているが、他の言説が封鎖されていると、公正な判断をもっているつもりの所謂有識者階級も、つい、信ずべからざるものを信じこむような過誤を犯すことになる。人間はそれほど強いものではない。

 

実際に戦場の空気にふれ、この眼で見、この耳で直接きいてこなければ、新聞雑誌の割引の仕方もよみかたもわからなくなってくるのだ。そこで、僕は、この年の12月20幾日の押しつまった頃になって、森をつれて、北支に出発した。

 

渡航はなかなかむずかしかった。文士詩人ということは伏せ、むろん、報道員などの肩書はなく、洗粉会社の商業視察の許可をえて、神戸から、上海にわたった。

 

師走の北支の水は、汚れたシャーベットのようだ。天津、北京の寒さは、二重に毛糸の手袋を穿いても、そのすきまから錐で刺すように肌に透った。凄惨なものがわだかまり、それが戦線の方につづいていた。

 

現地から帰ってくる人間は、恐怖に憑かれ、人間の相貌を失うことで、弱い人間性を発揮していた。発狂一歩手前の兵士が、銃剣で良民を突刺すような事件も、頻発していた。

 

北支でその年を越し、戦争第2年目の正月を、八達嶺で過すつもりで、箱詰めの列車に便乗し、元日の朝、青龍駅に着いた。氷結した坂路を、長城までのぼりつくと、歩哨兵がいて、するどく誰何(すいか)した。軍以外の人間の立入るのをまだ許可されていないからだった。

 

烈風のなかに聳え、枯草の揺れるの海波のようだった。山襞に、まだ敗残兵がいて、壁から上に首を出した僕らが、標的になる可能性があるといって注意された。

(略)

 

 

戦争の中の日常。

日常の中の戦争。

 

戦争は、常に、戦闘シーンであるはずもなく

殺戮は日に日に結果として積み重ねられていく。

 

何百万という人間の死の山が

いつしかこうして築き上げられました。

 

詩人の眼に映った

戦場の外側(一部)――。

 

 

次に

詩人は戦場の中に入ります。

想像の翅に乗って。

 

 

B 弾丸

 

筒口をとび出すなり、弾丸は小鳩となる。鳩は平和の使者。

だから、敵、味方はない。誰でも神のみもとへ東道するのが役目。

弾丸殿すこしお神酒がすぎたかもしれない。口笛をふき、ちどり足の上々機嫌。それはいいが、ゆきずりに罪もない、荒地野菊の首をちぎり、クリークのかわいた泥に人さし指をつっこんだほどの穴をあけてはもぐりこみ、火のようにやけた鉄兜のまわりを辷り、あるときは、誰かの骨と肉のあいだの窮屈なかくれがをみつけて小首を抱いたまま一眠り。

 

 

アレチノギクの首をちぎり。

骨と肉のあいだのカクレガでヒトネムリ。

 

 

弾丸と化した詩人は

小鳩になり

神のみもとへ

敵も味方もなく

東道(トウドウ)=案内します。

 

死の充満するところですから

恐怖を紛らわせる役目をアルコールに頼んで。

 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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