金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」その2
(前回からつづく)
金子光晴は戦争が終わってから
立て続けに詩集を幾つか刊行します。
「落下傘」(1948年)
「蛾」(同)
「女たちのエレジー」(1949年)
「鬼の児の唄」(同)です。
読んでみないことには
これらの詩集の内容を比較することはできませんが
「落下傘」は日中戦争がはじめられ太平洋戦争が終わるまでの
戦争真っ只中に書かれた詩を集めたものであり
しかも戦争を真っ向から批判しているところに
めまいを覚えるような斬新さ(鮮烈さ)があります。
◇
すべて発表の目的をもって書かれ
実際にこの詩集のおよそ半分が発表されたと詩人自らが「跋」に記す詩篇は
象徴主義の詩法が色濃いものとはいえ
よくも権力の網の目にかからないでいられたものと
驚かざるを得ません。
(同じ「跋」に、「犬等5篇は、雑誌社から返された。」と記したのは、自主規制へのイロニーなのでしょうか。)
◇
茨木のり子はこのあたりのところを
見つかれば死刑という状態でこれらの詩を書きついでいました。
――とズバリとシンプルにコメントしています。
(「詩のこころを読む」)
◇
詩集タイトルが
鮫でもなく蛾でもなく落下傘とされたのは
戦後だからできたことなのかもしれませんが
詩篇単体には「落下傘」もあり
「真珠湾」もあったのですから
目をつけられなかったはずがありません。
詩集題を「落下傘」とネーミングしたのには
ほかのタイトルにしなかった理由があったからのことでしょう。
◇
共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。
――と茨木のり子が「最晩年」で記した自身の感慨(認識)は
多くの金子光晴の読者の感慨(認識)でもあったはずでしょう。
もしも茨木のり子によるこの記述がなかったら
その感慨(認識)は
ずっとそのままであり続けていたのかもしれない。
そのことを感じて
茨木のり子のこの記述は残されたのですから
やっぱり感受性の詩人です。
感受性とは勇敢なことです。
歯に衣を着せず
歯切れのよいことです。
◇
というわけですから
詩集「落下傘」からもう1篇を読みたくなりました。
「湾」は
「真珠湾」に続き詩集の3番目に配置されています。
◇
湾
一
ピストルを食べよう。
春の早蕨(さわらび)のような、
風は爽やかに
湾を吹いて、
漣立つ
光はうつらうつら。
君よ。きょうはなにごともなしというか。
心は凪ぎ
世はやすらけく
幸福ゆえに、時はひまどるとおもうのか。
とどろきをきこう。
さあ、目をとじて、
蒼穹の奥の
いずくのはてにか
巨砲巨艦がむらがり立ち
天に朝するそのもの音を。
二
君よ。
ここにあるものは、もはや風景ではない。
それは要塞。
光でいぶる灌木林のかげに隠見する
島嶼(とうしょ)は、布陣。
地平は、音のないいかずち、
砲口の唸(うなり)で埋まる。
もはや、戦場ならぬ寸土もない。
一そよぎの草も
動員されているのだ。
地を這う虫にも
死と破滅が言渡される。
ここにある分秒は
刻々の対峙なのだ。
なんというきびしい
いたましい景観だ。
文明と権力を一元した
息もつまるこの静謐。
君よ。それでも猶、
きょうを無為だというか。
(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に変え、適宜、ルビを加えました。編者。)
◇
ここに歌われる風景を
共同体の風景を思い描きながら読むことは
それほど無理なことではなさそうです。
すでにその風景は失われ
要塞と化していますが。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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