金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その1
(前回からつづく)
振り返れば
全22篇の詩を
「寂しさの歌」(22番)
「短章三篇」(11番)
「落下傘」(7番)
「風景」(5番)
「真珠湾」(2番)
「さくら」(18番)
――とアトランダムに拾って読んできました。
(※番号は詩集の配列順序で、読んだ順ではありません。)
なんの脈絡もないようですが
読んだ詩のイメージがすんなりと思い返せるのは
それぞれの詩が歌う風景が鮮烈だからでしょうか。
◇
「――東京の廃墟に立って」を次に読むつもりでしたが
「鷹」の風景にも
触れてみたくなりました。
◇
鷹
一
あのそらの奥の天国は
こわれちゃった!
あそこはいまいちめんに
青草がざわめいている。
あの青さは凍りついて
魚一尾棲めない。
ひっつったような湖面の光
芝居の小道具のように
どっかのすみへ忘られて
ほこりをかぶって
面やつれした
月や星。
その空のまんなかへ舞いあがる鷹!
義眼(いれめ)をした蒼鷹!
鉤(かぎ)なりの嘴につららをさげた
硝子のような
透明な大鷹!
もはや、あの天は、救いをもとめて
人がみあげる神座ではない。
あれは、重たいふた石だ。
磨ぎあげた
首斬刀(くびきりがたな)だ。
あれをみているといらいらする。
澄んでなんかいるものか。
酢のようにとごってるじゃないか。
あのむなしさを一ぱいにしてるのは鷂(はいたか)らの
死の飛翔だ。
羽ばたきの恐怖だ。
二
藻くずをかついで浮きつしずみつしている正覚坊のように、
地球よ。頭から血ぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。
空の恐怖をみあげてくらす人々に、安堵はなく、まるで凍土帯にでも起伏するようだ。
なぜ人は鷹を放した。その日から人は天の高さを失い、じぶんの放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。
分別らしいものは誰ももっていない。泥まみれな奴らが、爆弾で穿(うが)たれた大穴のまわりにあつまり、
斬新なむごたらしさの到来をたのしんでいる。
血のにじんだ
剥がれ雲よ。
胃袋までもとりあげられて
呆然と
なすところをしらない人間よ。
怖れる馬鹿があるか。もともと、
おまえたちがはじめたことじゃないか。
ふるえるな。みっともない。
おまえたちが加擔して、
人の夫を、人の子を戦争に追いやったんじゃないか。
おまえたちの手で空へ放たれて
すでに戻ることのできないのを
気づかないもの。
いたいけなもの。
酸乳のように空をかきにごす
鵟(のりす=ママ)だ!
隼(はやぶさ)だ!
昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。
(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)
◇
「一」に出てくる「とごってる」は
「にごってる」の誤植ではありません。
「濁(にご)る」「沈殿する」という意味の方言です。
末尾の鵟(のりす)とあるルビは
「のすり」の間違いらしい。
鷂(はいたか)と同じ猛禽類で、
日本ではトビについでふつうに見られるタカ。
◇
冒頭、「こわれちゃった!」とあるのは
冷笑して落着いている感情というより
爆発的な気持ちを伝えるものでしょう。
憤懣は、それでも抑制されているか。
空が、
それまでの天国の空ではなくなってしまったのを
慨嘆(がいたん)しているのです。
◇
いま空は、一面に青草がざわめいている。
――と青空に異変が起きていることから歌い出されるのですが
その青空はすぐに海に変わります。
◇
青は凍りつき
魚一尾も生きられない。
湖面の光は引きつっている。
月や星も。
芝居の小道具のように
どっかの隅に忘れられて
埃(ほこり)をかぶって
面(おも)やつれしてしまった。
◇
その空へ鷹!
義眼(いれめ)をした蒼鷹(あおたか)!
くちばしに氷柱(つらら)をさげた
硝子(ガラス)のような
透明な大鷹!
◇
自爆攻撃がこの時行われたのか。
決死の突撃機が鷹に見立てられました。
◇
空は、もはや、救いをもとめて
人がみあげる神座、天国ではない。
重たいふた石だ。
磨(と)ぎあげた
首斬刀(くびきりがたな)だ。
あれをみているといらいらする。
澄んでなんかいるものか。
酢のようにとごってるじゃないか。
◇
空をむなしさで満たす。
死の飛翔。
鷹。
◇
特攻機の飛ぶ空は
とごってる(=にごってる)のです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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