金子光晴「落下傘」の時代・「風景」その2
(前回からつづく)
男の心も女の心も
なんとさみしくうらぶれた眺めであることか。
――と歌い起こされる景色の一つ一つは
もし戦争の時代でなかったなら
詩人の眼をも欺(あざむ)いて
わびさびやもののあわれの
ありふれた風景であったのでしょうか。
◇
「千本格子(せんぼんごうし)」は、目のこまかい縦の格子のこと、京都などの古都で見られる。
「茶しぶ」は、湯呑茶碗にこびりついた茶の渋(シブ=アク)。洗剤が普及する前は、どの家にも茶渋で赤茶けた湯呑が使われ、縁起かつぎにそれを磨き落さない風習があった。
「逃げ水」は、陽炎(かげろう)と同じものか。水が逃げるように見える小さな蜃気楼(しんきろう)。
「うるみいろ」は、深みのある黒味がかった色。日本の伝統色の一つ。
……などと、ボキャブラリーを調べているうちに
詩を見失ってはいけません。
これらの昔語は
知的遊びに使われているのではありません。
◇
昼下がりで人気ない街の千本格子と
物干しの向こうに見える鰯雲(いわしぐも)――。
この二つを同列に置く
詩人の眼差しに見えているものはなんでしょうか。
そして、
貧寒やすきま風。
人情の茶渋。
泪でじくじくに濡れた眼。
――と列挙した詩人に見えているものはなんでしょうか。
これらの風景を
みんな同列に置いた詩人の眼に何が見えているのでしょうか。
◇
しかしよく読めば
ここまでは寂しくはあれ平穏な風景です。
都市であれ田舎であれ
ある市井(しせい)の平時の風景を歌っています。
◇
この平穏でありふれた景色の中に
ふっと現れる女は
おどおどとしていじけています。
そして男たちは
酔狂に女を殴り
女を疑い監視する。
どこへ行っても
こんな景色ばかりと歌われるところで
穏やかな時間は異常な世界へと変質していることに気づかされます。
千本格子や鰯雲の風景が
酔狂に女を殴る男たちの風景に
いつしか変化しているのです。
にもかかわらず
これらの風景は連続しています。
繋がっているのです。
◇
そうして最後には
人の愛情が主語として現れ
はじまりの男と女の風景を受けて
やや象徴的な詩語に結ばれます。
逃げ水のような
男と女の愛情――。
それは
行き暮れて悲しい雲である。
それは
うるみ色の曇天に生えるいばらと萩の根に分け入る
――(ようなものである)というのです。
◇
いばらと萩の根とは
なんのことでしょうか?
◇
途中ですが
今回はここまで。
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