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2015年5月12日 (火)

金子光晴「落下傘」の時代・「真珠湾」その1

(前回からつづく)

 

詩集「落下傘」の目次を見てみましょう。

 

 

あけがたの歌 序詩

真珠湾

風景

天使

落下傘

洪水

太沽バーの歌

短章三篇

瞰望

いなずま

ごはん

追放

屍の唄

奇蹟

さくら

――東京の廃墟に立って

わが生に与う

寂しさの歌

 

(「現代表記」に直してあります。編者。)

 

 

「寂しさの歌」

「短章三篇」

「落下傘」

「風景」

……と読んできて

タイトルだけを眺めてみれば

「真珠湾」と「さくら」と「――東京の廃墟に立って」の3作品に関心が向きます。

 

風景というキーワードで追ってきた読み(主観)の流れから

どうしてもこの3作が気になるのです。

 

 

「さくら」から読みたいのは

風景のさまざまな形の列挙が

和の象徴たるべきさくらへと収斂(しゅうれん)して行くのかと想像されるところからですが

その意図があるのかどうか

その前に「真珠湾」の風景を見ておく意義もありそうですから

「真珠湾」をまず読みます。

 

 

日本軍の真珠湾攻撃は1941年(昭和16年)12月8日に行われたのですから

この詩「真珠湾」末尾に「昭和15・8・10」とあるのを

驚きの眼で読む人は多かろうことが推測されるところです。

 

真珠湾攻撃の前に「真珠湾」という詩は

制作されたのです。

 

 

真珠湾

 

 

湾(いりうみ)のあさい水底に

真珠母(あこやがい)がひらく。

 

そのまばゆさは、

水の足うらをくぐり、

天ののどを擽(くすぐ)る。

逃げまどう旗魚(かじき)たち。

かんざしをさした

美貌の島嶼(しまじま)。

 

十人の令嬢のまえに立たされたように、

早朝、僕のこころはずんで

そらと海にむかって出発した。

すう息はふかく

富貴のようにかぎりなく、

吐く息はやわらかく

情愛のように涯(はてし)なく、

 

骨牌(かるた)のように翻(ひるがえ)る

鴎。

 

別墅(べっしょ)。

郵便船。

目にうつるものは薔薇色(ばらいろ)に。

 

天使らのもてあそぶ

雲の巻貝ら

そらにならぶ。

 

水にちらばう光をひろい、

思念は紡錘(つむ)のようにゆききし

うとうととする。

 

ああそこには、

すみわたる歓喜みちあふれ、

くちづけの恍惚に似て、

そらふかくしずむ神々の姿を

まぼろしにみる。

 

 

目もあやな有頂天な風景をゆきすぎつつ、私のこころに

ふと、僕のこころにかげってゆく翼のような「無意味」があった。

 

雲の峯たちならぶ

毛なみ柔かな海上を走りつつ、

風とともに不興をやりすごすため、

僕は目をとじた。無念無想になって、

 

もう一度、母の胎内にもぐりこんで、ぬくぬくと寝たいとおもったのだ。

だが、たちまち、くらやみのなかで草木までが咬みあうのをきき、

いのちあるものも、ないものもみな、ぶざまに、虫けらのように匍出すのをおぼえた。

 

平安の海は均衡を失ってなだれ、

舟足はたゆたい、ゆく先が絶壁なしてきって落され、

舟もろともにいまにも落込むかとこころは怖れまどうた。

 

波のこげるにおい。

麦熟れ。

鍋や皿のぶつかる音。

魚でなまぐさい手。

鼻歌まじりの恥しらずなとりひきのなか、

裸の乳房、尿壺のぬらぬら。

いきねばならぬ奔騰の狂気のなかを、僕は

ちるはなびらのようにもてあそばれた。

 

いまはしいくらがりの幕、

おずおずと僕はまぶたをあげる。

おお真珠湾よ。

髪かたち化粧のむずかしい天女らの

うぬぼれ鏡よ。

白痴かと疑う無垢の肌の

臍までうつすおどけ鏡。

 

むらがる裸女たちでまばゆい海。

瀧となっておちる光

ふたたび均整と正義と、遠近法の

ひたむきな虚妄の壮麗に立ちかへったことの

絶望に似たなんというふかい安堵。

また、なんといふしらじらしさ。

                              昭和15・8・10

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、一部ルビを加えました。編者。)

 

 

湾(いりうみ)のあさい水底に真珠母(あこやがい)がひらく――。

 

そのまばゆさ

美貌の島嶼(しまじま)

十人の令嬢

僕のこころはずんで

富貴のようにかぎりなく

骨牌(かるた)のように翻る鴎

目にうつるものは薔薇色

天使

雲の巻貝

水にちらばう光

すみわたる歓喜みちあふれ

くちづけの恍惚

そらふかくしずむ神々

……

 

 

「一」に戦争の気配は何一つありません。

それどころか――

真珠(パール)の養殖で知られるあこやがいの生息する湾の

まばゆく

薔薇色の

光散らばる

歓喜に満ち

接吻の恍惚に似た

神々の姿。

――と一点の翳(かげ)りもない

アポロンの島の景色が歌われる中に

これらがまぼろしであることが明かされるのです。

(※このように意訳して失われるものがあることに注意しなければなりません。)

 

 

「二」

目もあやな有頂天な風景を行く私(僕)の心に

「無意味」がふと生じ

この「無意味」が戦争を暗示するものであるのか

容易に判断できないところからはじまります。

 

「一」と「二」に断絶を読むか連続を読むか

まぼろしをどう読むかにかかるようですが

どちらにしても「無意味」を読むことになります。

 

 

海上を走る僕――。

 

目を閉じ

母の胎に潜り込もうとする僕。

 

暗闇の中で

草木が咬み合うのを聞く。

ありとあらゆるものが

虫けらのように這い出す。

(「草木が咬み合う」には
平穏な時の終焉が暗示されます。)

 

 

平安の海ではなくなり

行く先は絶壁となって落ちている

恐怖。

 

 

波が焦げる

麦が熟れる

鍋・皿がぶつかる

 

魚の匂いで生臭(なまぐさ)い手

鼻歌まじりの取り引きで

裸の乳房、糞尿のヌラヌラ。

(修羅場。)

 

生きねばならない

狂気の世界にはなびらのように弄ばれた僕。

 

 

幕があがり

僕は瞼(まぶた)を上げる

 

真珠湾だ。

 

髪の形、化粧を凝(こ)らした天女らが

鏡の前でうぬぼれている

 

白痴と見まがうほどの無垢な肌が

臍までを映し出す鏡。

 

 

裸の女たちが群がりまばゆい海。

 

光は滝となって落ち

また

均整と正義と遠近法の虚妄に立ち返った

 

絶望と安堵と

なんという白々しさ。

 

 

読み下してみましたが

逸脱があるかもしれません。

 

 

象徴詩表現は

細部よりも全体を鷲掴(わしずか)みにできるかどうかが

分かれ目のようです。

 

「二」の冒頭に「風景」の1語があるのは

よい手がかりであるかもしれません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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