茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再1
(前回からつづく)
茨木のり子には「はたちが敗戦」というエッセイがあり
この詩人の輪郭(りんかく)をくっきりとさせるものの一つとしてとりわけ有名です。
「茨木のり子集 言の葉Ⅰ」(ちくま文庫)で読むことができますが
同文庫の巻末資料「初出一覧」には
たいまつ新書36「ストッキングであるく時」(堀場清子編、1978・5)への書き下ろしとありますから
純然たる詩誌への発表ではなかったことが理解できます。
この新書を読んでいませんからはっきり言えませんが
戦争で失われた青春を敗戦と同時に取り戻した
――といった内容のアンソロジーと想像できますから
茨木のり子にぴったりしたテーマだったのでしょう。
茨木のり子という詩人が
そのように位置づけられて
詩誌以外のメディアに登場したことを示しているものと見てよいはずです。
◇
その「はたちが敗戦」の中に
薬剤師への道を捨てて戯曲作家を志し
その後、詩の道へ転じた経緯(いきさつ)が書かれてあります。
◇
茨木のり子は
昭和21年にあった読売新聞の「戯曲」募集に応募し
選外佳作に選ばれたのですが
これをきっかけに新劇女優・山本安英と相知ることになり
多くの芝居を見、戯曲を読む中で
詩を勉強しようと決意します。
なぜ詩だったのか。
そこのところは
茨木のり子自身の言葉で読んでおかないといけません。
◇
沢山の芝居を観、戯曲を読むうち、台詞の言葉がなぜか物足らないものに思えてきた。生意気にもそれは台詞の中の<詩>の欠如に思われてきたのである。詩を本格的に勉強してみよう、それからだなどと詩関係の本を漁るうち、金子光晴氏の詩に出逢った。
(ちくま文庫「はたちが敗戦」より。)
◇
戯曲(台詞で作られている)の中の「詩の欠如」が
詩人・茨木のり子のモチベーションとなったのでした。
◇
急ぎ足で書かれてあるせいか
詩誌への発表ではないせいか
回想であり整理されてあるせいか
余計なことはちっとも書かずに
山本安英と金子光晴の二人の固有名だけにズバリ触れているところは
いかにも茨木のり子らしいところですが
詩人として出発しようとしていたまさにこの時に
自然に金子光晴の名があげられているところに
驚きを感じる人は多いことではないでしょうか。
◇
驚こうと驚くまいと
茨木のり子は詩を書こうとしていた当初に
金子光晴の詩に出会ったのでした。
その詩が実際にはどの詩であったか
「金子光晴――その言葉たち」(1972年5月「ユリイカ」)などに
若干、具体例が記されていますが
それは記憶に残った一部の詩であることでしょう。
中に「洪水」の6行が引用されているところがありますから
詩集「落下傘」を読んだことは間違いありません。
「寂しさの歌」も
この時に目を通したことも容易に想像できます。
◇
「落下傘」の最終詩「寂しさの歌」を
茨木のり子はどう読んだか。
ようやく
そこへ辿りつきました。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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