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2015年6月10日 (水)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再2

(前回からつづく)

 

「詩のこころを読む」で茨木のり子はどのようなことを記しているのか

――という角度に絞って

 ようやく「寂しさの歌」へアクセスすることができる段取りになりました。

 

 

茨木のり子が「最晩年」を書いたのは1975年。

「詩のこころを読む」を書いたのは1979年。

 

 

ということは

 「共同体」という言葉を金子光晴が呟いたのを聞いた時が先で

 「詩のこころを読む」を書く頭の中には

 このことが意識されていたということになりそうですが 

「共同体」の言葉は現れません。

 

では

茨木のり子は「寂しさの歌」」をどのように読んだか――。

 

 

戦争によって損なわれた青春については

胸にわだかまるものが積もりに積もっていて

書きたいこと、吐き出してしまいことは渦巻いていたに違いませんし

だから(と断言してよいでしょう)

「詩」へ向かったのでしょうし

「わたしが一番きれいだったとき」や「根府川の海」のような詩を書き

「はたちが敗戦」のようなエッセイを書いたのでしょうが

詩やエッセイを書いても

戦争とは何だったのかについての思索は完成されなかったのでしょう。

 

 

そのようなときに

「詩のこころを読む」を書く機会を得て

これは初心者向けの案内という性格でしたから

できるだけわかり易く噛み砕いて

 読む人に伝えなければならないという目的に加えて

 (私の)戦争とはどんなことだったのかを

あらためて茨木のり子に考えさせるところとなったのです。

 

そこで即座に現れたのが

金子光晴でした。

 

 

ずいぶんと色々なことを書こうとしている様子がありますが

ここで読んでおきたいところは一つです。

 

かんたんに贋金(にせがね)をつかんでしまう日本人の心の風景――その心臓部を射ぬいている

――と「寂しさの歌」を読むところです。

 

 

 

第2次世界大戦時における日本とは何だったのか、なぜ戦争をしたのか、その理由が本を読んでも記録をみても私にはよくわかりません。

頭でもわからないし、まして胸にストンと落ちる納得のしかたができませんでした。

――という2行にはじまり、

東洋各国との戦争は侵略であることがはっきりしましたが、アメリカとの戦いは結局なんだったのか、原爆をおとされたことで被害国でもあり、全体は実に錯綜(さくそう)しています。そんなわけのわからないもののために、私の青春時代を空費させられてしまったこと、いい青年たちがたくさん死んでしまったこと、腹がたつばかりです。

――と続け、

 

私の子供の頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きていけない農村社会があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地よく思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。

 

貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ、と考えたとき、私の経験した戦争(12歳から20歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。

――と締めくくったところです。

 

 

 

この、最後の行の、

 私の経験した戦争(12歳から20歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。

――というところ。

 

ここが大事です。

この1行が茨木のり子の金子光晴との出逢いの意味の全てです。

 

 

私の青春を奪った戦争とは何だったのか――。

 

本や記録を読んでもわからなかったことが

金子光晴の詩を読んで

胸に落ちた、と茨木のり子は書いたのです。

 

その詩の一つが「寂しさの歌」でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 「寂しさの歌」は、

 即興的ではありましたがかなりじっくりと読みましたから

 蛇足ながらその記事へリンクしておきます。

 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌

 

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