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« 谷川俊太郎の14歳と金子光晴の三つの戦争/同時代について・2 | トップページ | 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その2 »

2015年6月21日 (日)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ

(前回からつづく)

 

敗戦の年に14歳(12月15日に誕生)だったのですから

谷川俊太郎は2015年6月の今83歳。

 

折しも、先日(6月19日)の朝日新聞朝刊記事は

歳月を感じさせる谷川俊太郎と大岡信の友情を伝えています。

 

 

詩友・大岡信が今月出したばかりの選集「丘のうなじ」(童話屋・刊)で

谷川俊太郎が詩作品の選者を担当し

本の最後には谷川の「微醺(びくん)をおびて」という新作詩を載せていることを案内しています。

 

 

「微醺をおびて」は

40年前の1975年、谷川俊太郎特集を組んだ雑誌(「現代詩手帖」10月臨時増刊「谷川俊太郎」か)に寄せた

大岡の詩への返詩であるそうです。

 

大岡は「初秋午前五時白い器の前にたたずみ/谷川俊太郎を思ってうたふ述懐の唄」という
長いタイトルの詩を贈ったのですが、

朝日の記事にはその一部が紹介されています。

 

君のうたを眼で逐ふと

涼しい穴がぽかりとあいた

牧草地の雨が

糞(ふん)を静かに洗ふのが君のうたさ

 

――は、その一部です。

 

詩誌「詩学」そして詩のグループ「櫂」にはじまる

長い交流の中でこそ

1975年の大岡のこの詩は生まれたものなのでしょう。

 

 

この詩から40年。

「おおおかぁ」

「君」

――と互いを詩の中で呼び合う親密な時間が

2015年現在にも実現したことになります。

 

 

谷川俊太郎の返詩の一部も紹介されています。

その一部の中に、

 

でもおれたち二人の肉だんごもいつかは

おとなしくことばと活字に化してしまうのかな

――という詩行はあります。

 

 

かつて「いつか死ねることの慰め」(「対詩」1981~1983年)を歌ったり

ほかにも幾つかの死に関する詩を歌った詩人が

83歳の今、「もうちょっと具体的になってきている」(同朝日記事の詩人の発言)テーマを

ここでも言葉にしていて

ギクリとしないではいられません。

 

エッセイ集「ひとり暮らし」(2001年)では、

1999年12月に69歳になった感想を述べていました(「ある日」)が

それから早くも10余年の歳月が流れました。

 

 

茨木のり子が「詩のこころを読む」で読んでいる

「かなしみ」は詩集「二十億光年の孤独」(1952年)に、

「芝生」は詩集「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(1975年)に、

「愛」は「愛について」(1955年)にそれぞれ収められていますが

「愛」が歌われてから60年、

今年は、戦後70年です。

 

何もかもが

歴史化されていくようですが

詩はその時々に作られたものでありながら

その時々の時をとらえ

後になって読んでも

その時の中に人々を誘い込んでしまうのは

どのような仕掛けがあるからでしょうか。

 

 

Paul Klee

 

いつまでも

そんなにいつまでも

むすばれているのだどこまでも

そんなにどこまでもむすばれているのだ

弱いもののために

愛し合いながらもたちきられているもの

ひとりで生きているもののために

いつまでも

そんなにいつまでも終わらない歌が要(い)るのだ

天と地をあらそわせぬために

たちきられたものをもとのつながりに戻すため

ひとりの心をひとびとの心に

塹壕(ざんごう)を古い村々に

空を無知な鳥たちに

お伽話を小さな子らに

蜜を勤勉な蜂たちに

世界を名づけられぬものにかえすため

どこまでも

そんなにどこまでもむすばれている

まるで自ら終ろうとしているように

まるで自ら全(まった)いものになろうとするように

神の設計図のようにどこまでも

そんなにいつまでも完成しようとしている

すべてをむすぶために

たちきられているものはひとつもないように

すべてがひとつの名のもとに生き続けられるように

樹がきこりと

少女が血と

窓が窓と

歌がもうひとつの歌と

あらそうことのないように

生きるのに不要なもののひとつもないように

そんなに豊かに

そんなにいつまでもひろがってゆくイマージュがある

世界に自らを真似させようと

やさしい目差でさし招くイマージュがある

 

(「詩のこころを読む」より孫引きです。)

 

 

「寂しさの歌」が終わり

「愛」がはじまる――。

 

茨木のり子は

「詩のこころを読む」で

金子光晴の長詩「寂しさの歌」と双子座のように似ているという読みをほどこしたのが

谷川俊太郎の「愛」でした。

 

こんなスケールの中で

いつしか谷川俊太郎の詩を読むことに

もはや何の異和感もありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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