茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その4
(前回からつづく)
ぼくは妖精のように人々の間をとびまわっていたい――。
茨木のり子は谷川俊太郎が
どこにだか明示していませんが
このように書いていることを紹介して
立ち止まります。
女の子ならともかく、大の男が妖精とは?
◇
妖精……。
フェアリー……。
「ピ-ター・パン」のあのティンカー・ベルをすぐさま思い出してしまいますから
女の子ならともかく、と茨木のり子はおどけてみせたのでしょうが
谷川俊太郎はきっと本気だったのでしょう。
◇
突然ですがここで
中原中也の詩に出てくるコボルトを呼んでみましょう。
◇
この小児
コボルト空に往交(ゆきか)えば、
野に
蒼白(そうはく)の
この小児(しょうに)。
黒雲(くろくも)空にすじ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……
地球が二つに割れればいい、
そして片方は洋行(ようこう)すればいい、
すれば私は“もう片方”に腰掛けて
青空をばかり――
花崗(かこう)の巌(いわお)や
浜の空
み寺(でら)の屋根や
海の果て……
(「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えてあります。編者。)
◇
中也のコボルトにも
茨木のり子が「愛」に読み取った
詩のありかとか、詩人の覚悟とかが
幾分か歌われていることを想起しないわけにはいきませんから
この連想はとんでもない的外れではないでしょう、きっと。
谷川俊太郎のイメージのなかに
このコボルトが浮かんでいなかったともいえませんし。
◇
妖精のように
どんな場所へも気軽に入ってゆき、
映画の台本
作詞
絵本
マザーグースやスヌーピーの翻訳
自作詩朗読
……などの異なった分野に進出する谷川俊太郎の多彩な活動は
あたかも「タレント」のようですが
まったくタレントとは異なるものです。
茨木のり子は
そのことを十分に知っていながら
さらにそのことにひねりを加えて
次のように語ります。
◇
これも結ばれよう結ばれようとしている動きに力を貸したいというあらわれで、
かるがるとやってのけているようにみえますが、
すべては全力投球で、
肉体労働者と同じくらいの消耗をともなう勤勉さです。
(改行を加えてあります。編者。)
◇
「詩のこころを読む」を書いた1970年代当時の妖精ぶりは
2015年現在、いっそう旺盛であることは周知のことです。
肉体労働にもタレントにも比肩(ひけん)する活動は
それまでの詩人のイメージをぶちこわしました。
◇
茨木のり子によればそれまでの詩人は、
俗物を軽蔑し孤高、
世に容れられず、
ひねくれもの、
破滅型、
借金の名人、
大酒のみ
――といったイメージでしたが
谷川俊太郎はこれらのイメージをことごとく覆(くつがえ)してしまったのです。
谷川俊太郎の
これが新しさでした。
それは
「愛」の新しさでもありました。
◇
イマージュという言葉は
「愛」に詩語として歌われたのですが
実は詩の中に具体的に例示されています。
樹がきこりと
少女が血と
窓が窓と
歌がもうひとつの歌と
あらそうことのないように
――という詩行(詩語)を茨木のり子は取りあげて、
このイメージは世界とつながっていて、
フランスの少女を連想してもいいし、
きこりはシベリアでもよく、
窓はメキシコ、
歌と歌は江差追分とファド……
まったく自由です。
――と読み解きます。
全世界にむかって開かれた詩は
前代未聞であったことを断言するのです。
◇
愛
Paul Kleeに
いつまでも
そんなにいつまでも
むすばれているのだどこまでも
そんなにどこまでもむすばれているのだ
弱いもののために
愛し合いながらもたちきられているもの
ひとりで生きているもののために
いつまでも
そんなにいつまでも終わらない歌が要(い)るのだ
天と地をあらそわせぬために
たちきられたものをもとのつながりに戻すため
ひとりの心をひとびとの心に
塹壕(ざんごう)を古い村々に
空を無知な鳥たちに
お伽話を小さな子らに
蜜を勤勉な蜂たちに
世界を名づけられぬものにかえすため
どこまでも
そんなにどこまでもむすばれている
まるで自ら終ろうとしているように
まるで自ら全(まった)いものになろうとするように
神の設計図のようにどこまでも
そんなにいつまでも完成しようとしている
すべてをむすぶために
たちきられているものはひとつもないように
すべてがひとつの名のもとに生き続けられるように
樹がきこりと
少女が血と
窓が窓と
歌がもうひとつの歌と
あらそうことのないように
生きるのに不要なもののひとつもないように
そんなに豊かに
そんなにいつまでもひろがってゆくイマージュがある
世界に自らを真似させようと
やさしい目差でさし招くイマージュがある
(「詩のこころを読む」より。)
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その3 | トップページ | 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その5 »
「115戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/谷川俊太郎」カテゴリの記事
- 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その5(2015.07.03)
- 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その4(2015.06.30)
- 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その3(2015.06.28)
- 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その2(2015.06.27)
- 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ(2015.06.21)
« 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その3 | トップページ | 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その5 »
コメント