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2015年7月12日 (日)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子のエキス

(前回からつづく)

 

小学校の椅子 

 

ながいながい一生のあいだに

みじかいみじかい一瞬に

だれでも いちどは

ここへ戻ってくる

みんながいなくなった教室

さわるとつめたい 木の椅子に

 

 

一生おなじ歌を 歌い続けるのは

 

一生おなじ歌を 歌い続けるのは

だいじなことです むずかしいことです

あの季節がやってくるたびに

おなじ歌しかうたわない 鳥のように

 

(岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」より。)

 

 

茨木のり子は

「生きるじたばた」に続く「峠」の章で

まず岸田衿子(きしだえりこ)の二つの詩を

詩集「あかるい日の歌」から紹介し、

峠について案内します。

 

 

茨木のり子のいう峠とは、

 

汗をながしながらのぼってきて、うしろを振りかえると、過ぎこしかたが一望のもとにみえ、これから下ってゆく道もくっきり見える地点。

 

荷物をおろし、つかのま、どんな人も帽子をぬぎ顔などふいて一息いれるところ。

 

年でいうと、四十代、五十代にあたるでしょうか。

 

峠といっても、たった一つというわけではなく、人によっては三つも四つも越えてゆきます。

 

――ということです。

 

 

眺望がきく年代にさしかかった詩人の仕事を集める――。

 

その「峠」の冒頭に

岸田衿子を置いてイントロダクション(導入部)とし

同時に岸田衿子という詩人を

これほど短い言葉で鷲づかみにできるものかと唸(うな)らせるほど

簡単にズバリと案内してみせます。

 

いわく――

 

岸田衿子には自分だけの音符というものがはっきりあって、たえず独特の音楽が鳴っています。

 

本も新聞もおよそ読まない人ですが、知恵の木の実は、自然の野山から、人との交流から、ふんだんに採(と)っていて書斎派(しょさいは)とは無縁です。

 

子供を二人育てながら文筆で立っていますが、男の子の友達の、お父さんなる人が行商(ぎょうしょう)をやっているのについていって、道ばたでイカノスミトリ器やホーキーという掃除具を一緒に売りさばきながら岩手県をさすらっていたり、かと思うと、スイスの片田舎でパイをたべていたりします。

 

 

詳しい事実はわかりませんが

岸田衿子という詩人のエキスが詰め込められているような冴えを

ここに見る思いがしませんか?

 

「峠」の冒頭に岸田衿子を置いたのは

次の章であり最後の章である「別れ」の終わり(というのは、この本の巻末ということです)に

岸田衿子の詩「アランブラ宮の壁の」を置いた意図とつながっていきます。

 

「詩のこころを読む」の最後の最後に岸田衿子の詩を置いて

エンディング(結び)とした意図は

それを読んでみればわかるのですが

誰もがこの本を読んでよかったと思える感動の仕掛けになっています。

 

 

――ということにはいま突っ込みませんが

岸田衿子を紹介する茨木のり子の

ペン先の冴え(筆致)を

ここではじっくり味わっておくことにとどめましょう。

 

「櫂」同人としての長い付き合いは

プライベートな交流にも及んだからでしょうか。

 

岸田衿子という詩人が

どういう詩人なのか

短い案内のなかに

すべて(というのはオーバーか)が言い表されているかのようで

このような文の類例を他に見ることは容易ではありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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