茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・「別れ」の流れ・続
(前回からつづく)
石垣りんから永瀬清子という流れは
実はすでに「峠」の章で見られました。
「峠」では
はじめに岸田衿子の「小学校の椅子」から入り
「一生おなじ歌を歌い続けるのは」を読み
安西均、吉野弘を読んだ後に
石垣りんの「その夜」と「くらし」を読み
永瀬清子の「諸国の天女」を読んで
河上肇で締めくくったのですが
石垣りんから永瀬清子への流れについては
先にこのブログでも読解を試みました。
◇
はじめは気がつかなかったのですが
一通り読み通してみて
似通った風景があることを知り
ページをめくり返してみると
一度読んだ詩人が再び現れるというつくり(構造)がくっきりしてきたのです。
そこに茨木のり子の思い入れが
ないはずがありません。
すべての詩人がそうであるものではありませんから
そうと指摘できるのですが
本のページ順に従わないでも読めるのは
このような構成のためです。
この構成こそは茨木のり子のたくらみ(意図)にほかなりません。
◇
「峠」では
石垣りん、永瀬清子の次に読むのは河上肇ですが
「別れ」では
石垣りん、永瀬清子の次には中原中也の「羊の歌」を読み
最後に岸田衿子の「アランブラ宮の壁に」を呼び出し
エンディングとします。
◇
茨木のり子は中原中也の「羊の歌」をどう読んだか。
岸田衿子の「アランブラ宮の壁に」への流れを見るためにも
どうしてもそのところに触れないわけにはいきません。
◇
「羊の歌」は
5節で構成される長詩ですが
茨木のり子が読むのは第1節に限ります。
ほかの節は駄作とし
一向に目をくれようともしません。
その第1節――。
安原喜弘に
Ⅰ 祈 り
死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。
ああ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
(「詩のこころを読む」より。「新かな」に変えました。編者。)
◇
茨木のり子が
この詩の最終行
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
――に終始目を向けるのは
「感受性の詩」を歌った詩人ならではのこだわりであり
ジャストミートです。
ここでその詩を思い出してみましょう。
◇
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(ちくま文庫「茨木のり子集 言の葉2」より。)
◇
「感じる」と「感受性」は同じことでしょうから
同じことに関心を寄せていた詩人が
ここで火花を散らすことになります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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