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2015年7月23日 (木)

茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・「別れ」の流れ・続

(前回からつづく)

 

石垣りんから永瀬清子という流れは

実はすでに「峠」の章で見られました。

 

「峠」では

はじめに岸田衿子の「小学校の椅子」から入り

「一生おなじ歌を歌い続けるのは」を読み

安西均、吉野弘を読んだ後に

石垣りんの「その夜」と「くらし」を読み

永瀬清子の「諸国の天女」を読んで

河上肇で締めくくったのですが

石垣りんから永瀬清子への流れについては

先にこのブログでも読解を試みました。

 

 

はじめは気がつかなかったのですが

一通り読み通してみて

似通った風景があることを知り

ページをめくり返してみると

一度読んだ詩人が再び現れるというつくり(構造)がくっきりしてきたのです。

 

そこに茨木のり子の思い入れが

ないはずがありません。

 

すべての詩人がそうであるものではありませんから

そうと指摘できるのですが

本のページ順に従わないでも読めるのは

このような構成のためです。

 

この構成こそは茨木のり子のたくらみ(意図)にほかなりません。

 

 

「峠」では

石垣りん、永瀬清子の次に読むのは河上肇ですが

「別れ」では

石垣りん、永瀬清子の次には中原中也の「羊の歌」を読み

最後に岸田衿子の「アランブラ宮の壁に」を呼び出し

エンディングとします。

 

 

茨木のり子は中原中也の「羊の歌」をどう読んだか。

岸田衿子の「アランブラ宮の壁に」への流れを見るためにも

どうしてもそのところに触れないわけにはいきません。

 

 

「羊の歌」は

5節で構成される長詩ですが

茨木のり子が読むのは第1節に限ります。

 

ほかの節は駄作とし

一向に目をくれようともしません。


その第1節――。


羊の歌

        安原喜弘に

 

  祈 り

 

死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!

この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!

それよ、私は私が感じ得なかったことのために、

罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

 

ああ、その時私の仰向かんことを!

せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

 

(「詩のこころを読む」より。「新かな」に変えました。編者。)

 

 

茨木のり子が

この詩の最終行

せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

――に終始目を向けるのは

「感受性の詩」を歌った詩人ならではのこだわりであり

ジャストミートです。

 

ここでその詩を思い出してみましょう。

 

 

自分の感受性くらい

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

(ちくま文庫「茨木のり子集 言の葉2」より。)

 

 

「感じる」と「感受性」は同じことでしょうから

同じことに関心を寄せていた詩人が

ここで火花を散らすことになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。


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