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2015年8月29日 (土)

茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・4行詩の深み

(前回からつづく)

 

自分の結婚式に遅刻したというエピソードは

もちろんルースであることの比喩なのではありません。

 

それが世間離れした行動であって

のちに語り継がれて

天真爛漫さの伝説につながったというケースというのでもないことでしょう。

 

岸田衿子は

雲の上にすんでいるわけではありません。

 

 

書斎派とは無縁です。

子供を二人育てながら文筆で立っている

――と茨木のり子が記していますし

そちらの側面を見失っては

岸田衿子という人間の全体像を損なうことになります。

 

結婚式のエピソードからは

なぜそんなにいそがなければならないの?

――という声が聞こえてこなければなりません。

 

 

だれも いそがない村

 

あの丸木橋をわたると

だれもいそがない 村がある

まめのつるに まめのはな

こうしのつのに とまる雲

そのままで そのままで

かげぼうしになる 村のはなし

 

 北の大臣と南の酋長(しゅうちょう)が

 一日おきに けんかするって

 ほんとですか

 

あの丸木橋をわたると

だれもいそがない 村がある

まるい木の実に やすむかぜ

じゃんけんしてる こどもたち

そのままで そのままで

かげぼうしになる 村のはなし

 

 西でトラックが東でかもつせんが

 一日三かい しょうとつするって

 ほんとですか

 

(童話屋「いそがなくてもいいんだよ」より。)

 

 

岸田衿子が自然のなかで暮らすことは

生きるために必要なことなのでしたし

文字通り(実際にという意味を含めて)、

それは労働のようなものでした。

 

山小屋の暮らしは

創作の仕事に不可欠なものでしたし

ライフ&ワークバランスを実現するには

格好の環境であったのです。


それにしても

忙しかったのです。

 

 

「詩のこころを読む」に「生きるじたばた」の章があり

そのイントロ(導入)に岸田衿子の「くるあさごとに」を案内した

茨木のり子の意図は明確です。

 


くるあさごとに

 

くるあさごとに

くるくるしごと

くるなはぐるま

くるわばくるえ

 

 

岸田衿子は

大変忙しい暮らしを強いられていたのです!

 

文筆で生計を立てることでは同じ状況にあった茨木は

この詩を呪文替わりにしていることを明かしていますが

締め切りに追われる労働の切実さを想像できます。

 

 

この4行詩は

「言葉あそび」の詩の軽快さに感心させられますが

呪文のように何度も繰り返し読んでいると

深い含意が込められていることを発見する詩でもあります。

 

「マザーグース」のような。

 

茨木のり子は

「わらべうた」「民謡」に似ていると言っています。

 

 

アニメ主題歌

創作絵本・童話

そして半端じゃない翻訳の仕事――。

 

岸田衿子の仕事のはじまり(淵源)に

4行詩は位置しているということがわかろうというものです。

 

4行詩をいくつか読んでおきましょう。

 

 

夏の日の てのひらに

 

夏の日の てのひらに

つめたかった鳥の羽

雪のふる日には

ぬくもりがあった羽

 

(集英社「日本の詩26 現代詩集(二)」より。以下同。)

 

 

野生の鳥は

死んだのでしょうか?

 

かならずしも

そうではないかもしれないシーンは

色々なことを想像させますが

やはり鳥は死んだのだ

そして季節はめぐったのだと読むのが自然でしょう。

 

詩の世界に入った勢いで

次にぶつかるのはこんな詩――。

 

 

海の涯(はて)は 滝なのだ と

 

海の涯(はて)は 滝なのだ と

信じていた なつかしい人びと

海の底から とびおりると

空へ落下するのだ と

 

 

いい詩ですね。

 

かすかに

ノスタルジーを感じる読者があるかもしれないような

独特の宇宙というか。

 

岸田ワールドにいつしか入っています。

 

 

地球に 種子が落ちること

 

地球に 種子が落ちること

木の実がうれること

おちばがつもること

これも 空のできごとです

 

 

宇宙観とか

そんなこと考えなくってよいのでしょう。

 

4次元とか

シュールとかとも考えることはありません。

 

一瞬でありとも

この妙に逆立ちしたような時間に入り込み

迷うような感覚。

 

ここに詩はあります。

 

 

星はこれいじょう

 

星はこれいじょう

近くはならない

それで 地球の草と男の子は

いつも 背のびしている

 

 

草も男の子も

星ですらも

同じ世界内にあります。

 

 

鳥につばさのあることがふしぎだ

 

鳥につばさのあることがふしぎだ

卵から雛がかえる

親鳥になって卵をうむ

そんなことよりも

 

 

動物であることの同じ生育のプロセスよりも

決定的に異なるものへのまなざし。

 

憧憬に近いような。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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