茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・結婚式に遅刻する
(前回からつづく)
「詩のこころを読む」を離れて
岸田衿子のプロフィールを見ておきましょう。
◇
昭和4年(1929年)東京に生まれる。東京芸術大学美術部油絵科卒。デッサンを硲伊之助(はざま・いのすけ)、油絵を伊藤廉(れん)に師事。岡鹿之助にも個人的に画をみてもらっていた。ピエロ・デルラ・フランチェスカ、アンリ・ルソー等の絵に親しんだ。
在学中に呼吸器を患い、山小屋暮しをしながら詩作をはじめる。同人雑誌「櫂」に参加。幼友達の谷川俊太郎と書肆ユリイカの伊藤得夫にすすめられて、最初の詩集「忘れた秋」(昭和30年、書肆ユリイカ)を出した。
その後の詩集は「ライオン物語」(昭和32年/書肆ユリイカ)、「くれよんの歌」(昭和49年/サンリオ出版)、「あかるい日の歌」(昭和54年/青土社)がある。
童謡・絵本の作品も多く、「ジオジオのかんむり」「ジオジオのパンやさん」「ジオジオのたんじょうび」などジオジオシリーズをはじめ、「ひとこぶらくだがまっていた」、昭和37年と49年にそれぞれサンケイ児童出版文化賞を受賞した「かばくん」「かえってきたきつね」などがある。
ほかに童謡のレコードとして「動物の十二ヶ月の歌」「生まれたままのひとみで」、エッセイ集「風にいろをつけたひとだれ」がある。
◇
このプロフィールは、
昭和54年(1979年)発行の
「日本の詩26 現代詩集(二)」(集英社)のものですから
平成23年(2011年)に亡くなった岸田衿子の前半期の創作活動になります。
編集責任者は「櫂」同人である大岡信でしたから
出発時のレア情報が記録されています。
◇
テレビアニメ「世界名作劇場」が広い支持を得るのは
1970年代中ごろに放映された「ムーミン」あたりからですから
「現代詩集」の刊行と交差する時期でした。
「アルプスの少女ハイジ」
「フランダースの犬」
「あらいぐまラスカル」
「赤毛のアン」
……などと
岸田衿子の作った歌詞は世間に広く知られることになります。
「あー!この歌、岸田衿子という人が作詞したんだ。」と
名前は多くの視聴者に伝わっていきましたが
詩人(現代詩の作家)であることまでは十分には伝わっていません。
翻訳の仕事も絶え間なく続けていますが
これも絵本・童話の翻訳に集中しています。
妹の女優・今日子とのコラボで
中央のメディアにも登場することが何度かありましたが
ほとんどの時間を北軽井沢の山小屋で費やしました。
山小屋は
岸田衿子の暮しの場であり
仕事場であり
遊び場でした。
◇
ここで
岸田今日子と衿子と谷川俊太郎の3人が
「山小屋の暮らし」を回想したおしゃべりから
ひろっておくことにしましょう。
そのおしゃべりは、
「ふたりの山小屋だより」(文春文庫)で読むことができます。
中に
岸田衿子が谷川俊太郎との結婚式の日に
遅刻したことが話題になっていて
茨木のり子が「詩のこころを読む」で案内したところとクロスオーバーしていて
思わずにんまりしてしまうところです。
◇
(略)
今日子 結婚式のとき、三好達治さんがすごい酔っ払っちゃったの。なぜだか知ってる?
衿子 私が遅れたからでしょう。
谷川 三好さん、お仲人役してくれたんだよね。それで祝辞も読んでくださった。そこへ花嫁が大いに遅刻して現れた。
今日子 それまでに三好さんがグデングデンに酔っ払っちゃったていう(笑)、そういう話。
衿子 珍しく着物だったんでね。髪に巻く花を買ったり。
谷川 でも、普段でもだいたい遅れる人なんですよ(笑)。
(略)
◇
衿子の言い訳が聞き入れられず
衿子本人も強弁していないところがほほえましい、というか――。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子「お話」のメタファー | トップページ | 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・4行詩の深み »
「112戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/岸田衿子」カテゴリの記事
- 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・4行詩の深み(2015.08.29)
- 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・結婚式に遅刻する(2015.08.23)
- 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子「お話」のメタファー(2015.08.22)
- 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子が見つめた死「忘れた秋」(2015.08.16)
- 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子の「知恵の木の実」(2015.08.11)
« 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子「お話」のメタファー | トップページ | 茨木のり子の「詩のこころを読む」を読む/岸田衿子・4行詩の深み »
コメント