カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015年10月31日 (土)

折りにふれて読む名作・選/朝鮮女

1974年3月。

ぼくはクレタ島のイラクリオンの町を歩いていた。

 

バスで島を縦断して

イラクリオンの南東に位置する町イエラペトラで1日を過ごし

アテネに帰る日だった。

 

イラクリオンに戻って

ピレウスへ向かう船の出港を待っていた。

 

まだ2時間ほどの余裕があり

ぼくは港近くの小さな広場をふらついていた。

 

3日前、島に着くとすぐに

この広場の横を通る幹線道路をたどって

クノッソス神殿のある丘を訪ねたので少し馴染みのある広場だった。

 

緩やかな斜面の広場(というより人の手の入らない空き地)で

はだけた土の所々に雑草が生え

周囲は白亜の民家がまばらに建つ静かな住宅地街である。

 

 

広場はガランとしていて

ぼくは一人きりだった。

 

オフシーズンのクレタ島に日本人は見当たらなかったし、

日本語を話さない旅をこの1週間以上も続けてきたのだった。

 

その日その時、水晶のかけらほどの淋しさがなかったとは

いま振り返って、なかったとは言えない。

 

 

乾いた土を踏みしめて歩いていて

アルミニウム硬貨が一つ落ちていたのをふと見つけ拾った。

 

その時だった。

 

空き地の向こう側の入り口に黒い服の影が二つ現われ

やがてその影はしだいに大きくなって

母と娘の親子であることがわかった。

 

二つの黒い影は

早足でぼくの方に向かってきて

もの凄い速さでぼくとすれ違う時

娘のほうが突然足を止めてぼくの目を見つめると

I KNOW YOU と張りのある声で言い、ぼくを指さした。

 

思いがけない少女の言葉だったが

ぼくは咄嗟(とっさ)に SO DO I と応じ

小さく笑ってみせた。

 

 

母親が娘の手を引っ張って先を急ごうとしている間も

少女はぼくに何かしゃべりかけてきたが

よく聞き取れなかった。

 

すれ違いざまの

ほんのわずかな時間のことだった。

 

二人の影は

次の瞬間には遠ざかって行った。

 

視界から影が消えようとしたときに

少女はぼくの方を1度だけ振り返った――。

 

 

以上は

一生に一度だけ

ロマと出会った旅の記憶です。

 

 

朝鮮女

 

朝鮮女(おんな)の服の紐(ひも)

秋の風にや縒(よ)れたらん

街道(かいどう)を往(ゆ)くおりおりは

子供の手をば無理に引き

額顰(ひたいしか)めし汝(な)が面(おも)ぞ

肌赤銅(はだしゃくどう)の乾物(ひもの)にて

なにを思えるその顔ぞ

――まことやわれもうらぶれし

こころに呆(ほう)け見いたりけん

われを打(うち)見ていぶかりて

子供うながし去りゆけり……

軽く立ちたる埃(ほこり)かも

何をかわれに思えとや

軽く立ちたる埃かも

何をかわれに思えとや……

・・・・・・・・・・・

 

(「新編中原中也全集 第1巻 詩Ⅰ」より。現代かなに改めました。編者。)

 



中也のこの詩を読むとき

40余年前の記憶がよみがえるようになりました。

このよみがえりは

最近のことです。

 

2015年10月28日 (水)

折りにふれて読む名作・選/夏の夜に覚めてみた夢

今日は気温も上昇し

朝からほかほか。

9時過ぎには日向ぼっこが心地よい日和(ひより)とはなりました。

 

昨夜は

山田哲人が3本目を打ったところで観戦を中止し寝たのでした。

 

首を2回振って投げたのが直球でしたから

だいぶ自信があるんでしょう

――と解説の江本が言った直後でした、確か。

 

その鼻っ柱をコーンと

無理な力を込めない感じで山田はセンター左席へと運んだのでした。

 

 

夏の夜に覚めてみた夢

 

眠ろうとして目をば閉じると

真ッ暗なグランドの上に

その日昼みた野球のナインの

ユニホームばかりほのかに白く――

 

ナインは各々(おのおの)守備位置にあり

狡(ずる)そうなピッチャは相も変らず

お調子者のセカンドは

相も変らぬお調子ぶりの

 

扨(さて)、待っているヒットは出なく

やれやれと思っていると

ナインも打者も悉(ことごと)く消え

人ッ子一人いはしないグランドは

 

忽(たちま)ち暑い真昼(ひる)のグランド

グランド繞(めぐ)るポプラ竝木(なみき)は

蒼々(あおあお)として葉をひるがえし

ひときわつづく蝉しぐれ

やれやれと思っているうち……眠(ね)た

 

(「新編中原中也全集 第1巻 詩Ⅰ」より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

なんというタイミング!

 

「在りし日の歌」は

「秋の消息」

「骨」

「秋日狂乱」

「朝鮮女」

――という名作の並びに

この詩を配置していました。

 

 

狡(ずる)そうなピッチャは相も変らず

お調子者のセカンドは

相も変らぬお調子ぶりの

――という詩行は

そのまま昨夜の日本シリーズ第3戦のシーンと同列のものではありません。

 

まったく関係ありませんが

試合の流れの中で生じる瞬間の攻防は

ナインは各々(おのおの)守備位置にあり

そのナイン同士の駆け引きに左右されるところは同じでしょう。

 

 

中也の目には、

ずるそうなピッチャー

お調子者のセカンド

――と映ったのでしょうが

そう見えたのには理由があったのですし

そう見えたのをメタファーとして歌った(詩語にした)のは

日々の鋭い観察があればこそのことなのでしょう。

 

 

それにしてもソフトバンクの

セカンドゴロをさばいた選手の見事なフットワークなど

見応えのあるプレーが随所に見られたゲームでした。


中也の見た試合は

ヒットが出なくてやれやれ、だったのに。

2015年10月27日 (火)

折りにふれて読む名作・選/秋の消息

木枯らし1号がすでに吹いて

まもなく冬将軍だの

西高東低だの

雪下ろしだの雪掻きだの

……

テレビは冬モードに切り替わろうとしています。

 

このところ

靴下を履かないでいて足、冷たい!と思っていたら

昨日など、手袋がほしいと感じる早朝の寒さでした。

 

 

つるべ落としの暮方(くれがた)には

ああ、冬が来てしまう

 

落ち葉掃きのおじさんからは

「45リットルが5袋もあっという間さ」などとの声が漏れてきますし。

 

 

秋の消息

 

麻(あさ)は朝、人の肌(はだえ)に追い縋(すが)り

雀(すずめ)らの、声も硬(かと)うはなりました

煙突の、煙は風に乱れ散り

火山灰(かざんばい)掘れば氷のある如(ごと)く

けざやけき顥気(こうき)の底に青空は

冷たく沈み、しみじみと

 

教会堂の石段に

日向(ひなた)ぼっこをしてあれば

陽光(ひかり)に廻(めぐ)る花々や

物蔭(ものかげ)に、すずろすだける虫の音(ね)や

 

秋の日は、からだに暖(あたた)か

手や足に、ひえびえとして

此(こ)の日頃(ひごろ)、広告気球は新宿の

空に揚(あが)りて漂(ただよ)えり

 

(「新編中原中也全集 第1巻 詩Ⅰ」より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

この詩は

新宿の広告気球の印象が強くて

ビルの谷間の青空に浮かんだアドバルーンのイメージが先立ちますが

よく読めば

 

手や足に、ひえびえとして

――とあるのに気づいて

素足じゃ冷たい、靴下履こう

手が寒い、手袋が要るなと感じるのと同じじゃんと

違う方向からアプローチが可能になりました。

 

朝晩は冷え込みますが

昼日中の日向はポカポカポカポカと

何事も忘れる天国の日々ですね。

2015年10月25日 (日)

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺8

11

 

 

 

 

 

本殿に通じる参道を、詩人は毎日歩いたのだろうか。ほかに通用する道があったのか、定かではありません。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺7

21_3

 

 

 

 

 

森閑(しんかん)とした参道はゆるやかな上り坂で、上り切った正面に本殿はある。中也は、本殿手前を右に折れる脇道に面した家に住んでいた。

 

通行止めになっているその道は、思索に耽(ふけ)りながら歩く詩人が、今にも現れそうな面影を残します。

2015年10月24日 (土)

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺6

Photo_11

 

 

 

 

 

ぴーひょろろ、ぴーひょろろ。けだるい秋の日の午後に、中也も鳶(とんび)の声を聞くことがしばしばあったであろう。江の島から鎌倉、逗子……と、一帯は海に面した街だから、鳶が輪を描く光景は馴染みのものなのです。

 

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺5

31

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内左手にあるこの木は、檜(ヒノキ)か? 山門を入らず、左へ回り込み源氏山へ抜ける道に覆うように生えている。中也は、このような大木を見なかったか。北条政子に招かれた栄西が創建したこの古寺が、中也の時代に鬱蒼(うっそう)とした樹木の森でなかった理由もない。

 

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺4

Photo_4

 

 

 

 

 

寿福寺の前の線路の向こうに、中也がいつも目にしていた切り岸(きりぎし)が見える。鎌倉は、あちこちに切り岸が見られるが中也の時代、この切り岸は町中に忽然(こつぜん)と現れる印象が現在よりも強くあったのではないか。手前の白い建物などは無かったはずだから。

 

 

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺3

Photo_3

 

 

 

山門を抜け少し歩いた右手に、中也が住んでいたのとほぼ変わらない場所に、まるで今も中也が暮らしているかのような家がひっそりと建っているのが見える。

 

2015年10月22日 (木)

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺2

寿福寺山門。

 

 

 

1_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2_8

 

 

 

 

 

 

左脇の「五輪塔」は、実朝、政子の供養塔(墓)と同じ由来のものらしい。

 

常日頃、中也はこの山門を抜けたのか、ほかに専用の脇道があったのか、境内右手にあった住まいへ歩いたようです。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺1

2_6

 

 

 

中也の命日に先立つ18日、思い立って、晩年の住居を訪れました。

 

ここは「寿福寺踏切」です。左手に寿福寺はあり、踏み切りを渡って前方へ進んだ右手に、小林秀雄や大岡昇平らの住まいが、当時、ありました。

 

寿福寺敷地内にあった住まいから小林の住まいまで、「在りし日の歌」の清書原稿を抱えて、中也がこの道を辿(たど)ったのはこの年(1937年)9月のことでした。

 

 

2015年10月21日 (水)

折りにふれて読む名作・選/秋日狂乱

日は、朝焼けが見られ

昼下がりは

うす曇りに時折ゆるい陽が射して

けだるい秋の午後。

――といった景色で

思わず中也の詩が浮かんできました。

 

ヨーロッパは戦争をするのか

そんなこと誰も知りやしない

 

おぼろげになっている詩行を

あらためて読んでみると。

 

 

秋日狂乱

 

僕にはもはや何もないのだ

僕は空手空拳(くうしゅくうけん)だ

おまけにそれを嘆(なげ)きもしない

僕はいよいよの無一物(むいちもつ)だ

 

それにしても今日は好いお天気で

さっきから沢山の飛行機が飛んでいる

――欧羅巴(ヨーロッパ)は戦争を起(おこ)すのか起さないのか

誰がそんなこと分るものか

 

今日はほんとに好いお天気で

空の青も涙にうるんでいる

ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて

子供等(こどもら)は先刻(せんこく)昇天した

 

もはや地上には日向(ひなた)ぼっこをしている

月給取の妻君(さいくん)とデーデー屋さん以外にいない

デーデー屋さんの叩(たた)く鼓(つづみ)の音が

明るい廃墟を唯(ただ)独りで讃美(さんび)し廻(まわ)っている

 

ああ、誰か来て僕を助けて呉れ

ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが

きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ

地上に落ちた物影でさえ、はや余(あま)りに淡(あわ)い!

 

――さるにても田舎(いなか)のお嬢さんは何処(どこ)に去(い)ったか

その紫の押花(おしばな)はもうにじまないのか

草の上には陽は照らぬのか

昇天(しょうてん)の幻想だにもはやないのか?

 

僕は何を云(い)っているのか

如何(いか)なる錯乱(さくらん)に掠(かす)められているのか

蝶々はどっちへとんでいったか

今は春でなくて、秋であったか

 

ではああ、濃いシロップでも飲もう

冷たくして、太いストローで飲もう

とろとろと、脇見もしないで飲もう

何にも、何にも、求めまい!……

 

(「新編中原中也全集第1巻 詩Ⅰ」より。現代かなに改めました。ブログ編者。)

 

 

今日はほんとに好いお天気で

空の青も涙にうるんでいる

――とあるので、秋晴れの景色ですが

独特の倦怠感が

昇天の幻想とか錯乱とかにかぶさっています。

 

今は春でなくて、秋であったか

――とかとあるのは

狂いの感覚ではいささかもなく

白日夢のような

眩暈(めまい)のような感覚の明晰すぎる把握というもので

それが乗り移ってきて……

にわかに甘いものを口に入れたい気分です。

 

 

とろけるような青空の日に

詩心は

赴(おもむ)くままに歌いはじめ

終わらない歌になりそうなところで

濃いシロップを飲むイメージで閉じられました。

 

なんとも言えないこのあ・ざ・や・か・さ。

 

爽快さ!

 

すっきり!

 

何にもいらない!

 

 

こうして

ドトールで今日もまた

ブレンド・コーヒーを飲みながら

「在りし日の歌」をめくったのです。






明日(10月22日)は

詩人の命日です。

 

 

 

2015年10月13日 (火)

茨木のり子厳選の恋愛詩・黒田三郎「ひとりの女に」補遺/5億円の詩

(前回からつづく)



 

茨木のり子が「詩のこころを読む」の「恋唄」の章で

詩行を引いて実際に取り上げた詩は――

 

みちでバッタリ 岡真史(ぼくは12歳)

十一月 安西均(花の店)

それは 黒田三郎(ひとりの女に)

賭け 黒田三郎(同)

僕はまるでちがって 黒田三郎(同)

君はかわいいと 安水稔和(愛について)

鳩 高橋睦郎(ミノ・あたしの雄牛)

葉月 阪田寛夫(わたしの動物園)

練習問題 阪田寛夫(サッちゃん)

顔 松下育男(肴)

海鳴り 高良留美子5(見えない地面の上で)

木 高良留美子(同)

男について 滝口雅子(鋼鉄の足)

秋の接吻 滝口雅子(窓ひらく)

ふゆのさくら 新川和江(比喩でなく)

助言 ラングストン・ヒューズ 

――というラインアップです。

(※詩のタイトル、作者、詩集名の順。)

 

 

黒田三郎の「ひとりの女に」にさしかかって

茨木のり子は突如「値段ごっこ」という

自身のひそかな楽しみを公開します。

 

詩に値段をつけたら

どれほどになるか、という遊びです。

 

 

詩ほど値のつけにくいものはなく、

ゼロとも言えるし、

1篇1億円とも言えるもので、

現実に世間がつけてくれる値段は1万円くらい。

――と茨木のり子は前置きして、

なかば本気であるかのように

なかば遊び心であるかのように

(と読めるのですが)

その値段ごっこ(の値=あたい)を怪しむ意見があることをも付言して

 

たとえば、

果物店にレモンは50円で売っているけれど

「私のなかで5000円くらい」はするかしら。

 

高村光太郎の詩や梶井基次郎の小説に現れるレモンは

宝石なみに扱われているので

これは正確な感覚ね。

 

では、芭蕉の句はいくらになるか? と問えば

新聞の見出し、天気予報、日常会話にさえ

芭蕉の句はしのびこんでいるほどなのだから

計り知れない値がつくはずよ

――などといった意味の想像を繰り広げます。

(※このあたり、「詩のこころを読む」では、会話体で書かれているものではありません。編者。)

 

 

結果、

「黒田三郎の詩ばかりでなくこの本で私が選んだ詩はすべて、1篇5億円くらいの値打ちあり」

――という値踏みを敢行します。

 

 

そう言われればそうかな。

 

 

 こうして再び三度(みたび)

「詩のこころを読む」のページをめくり返すことになります。

 

 

 途中ですが

今回はここまで。

 

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »