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2015年10月31日 (土)

折りにふれて読む名作・選/朝鮮女

1974年3月。

ぼくはクレタ島のイラクリオンの町を歩いていた。

 

バスで島を縦断して

イラクリオンの南東に位置する町イエラペトラで1日を過ごし

アテネに帰る日だった。

 

イラクリオンに戻って

ピレウスへ向かう船の出港を待っていた。

 

まだ2時間ほどの余裕があり

ぼくは港近くの小さな広場をふらついていた。

 

3日前、島に着くとすぐに

この広場の横を通る幹線道路をたどって

クノッソス神殿のある丘を訪ねたので少し馴染みのある広場だった。

 

緩やかな斜面の広場(というより人の手の入らない空き地)で

はだけた土の所々に雑草が生え

周囲は白亜の民家がまばらに建つ静かな住宅地街である。

 

 

広場はガランとしていて

ぼくは一人きりだった。

 

オフシーズンのクレタ島に日本人は見当たらなかったし、

日本語を話さない旅をこの1週間以上も続けてきたのだった。

 

その日その時、水晶のかけらほどの淋しさがなかったとは

いま振り返って、なかったとは言えない。

 

 

乾いた土を踏みしめて歩いていて

アルミニウム硬貨が一つ落ちていたのをふと見つけ拾った。

 

その時だった。

 

空き地の向こう側の入り口に黒い服の影が二つ現われ

やがてその影はしだいに大きくなって

母と娘の親子であることがわかった。

 

二つの黒い影は

早足でぼくの方に向かってきて

もの凄い速さでぼくとすれ違う時

娘のほうが突然足を止めてぼくの目を見つめると

I KNOW YOU と張りのある声で言い、ぼくを指さした。

 

思いがけない少女の言葉だったが

ぼくは咄嗟(とっさ)に SO DO I と応じ

小さく笑ってみせた。

 

 

母親が娘の手を引っ張って先を急ごうとしている間も

少女はぼくに何かしゃべりかけてきたが

よく聞き取れなかった。

 

すれ違いざまの

ほんのわずかな時間のことだった。

 

二人の影は

次の瞬間には遠ざかって行った。

 

視界から影が消えようとしたときに

少女はぼくの方を1度だけ振り返った――。

 

 

以上は

一生に一度だけ

ロマと出会った旅の記憶です。

 

 

朝鮮女

 

朝鮮女(おんな)の服の紐(ひも)

秋の風にや縒(よ)れたらん

街道(かいどう)を往(ゆ)くおりおりは

子供の手をば無理に引き

額顰(ひたいしか)めし汝(な)が面(おも)ぞ

肌赤銅(はだしゃくどう)の乾物(ひもの)にて

なにを思えるその顔ぞ

――まことやわれもうらぶれし

こころに呆(ほう)け見いたりけん

われを打(うち)見ていぶかりて

子供うながし去りゆけり……

軽く立ちたる埃(ほこり)かも

何をかわれに思えとや

軽く立ちたる埃かも

何をかわれに思えとや……

・・・・・・・・・・・

 

(「新編中原中也全集 第1巻 詩Ⅰ」より。現代かなに改めました。編者。)

 



中也のこの詩を読むとき

40余年前の記憶がよみがえるようになりました。

このよみがえりは

最近のことです。

 

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